新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



あなたは相手をダメにする!?~「メンヘラ製造機」の生態系とメカニズム~

数年前。
当時付き合っていた彼女と別れて傷心していたとき、知人から「メンヘラ製造機」というたいへん不名誉な通り名を頂いたことを、未だに覚えています。
なんでも彼曰く、「生徒や保護者の相談を聞くのと同じスタンスで彼女と接するから、相手をダメにしていく」のだそう…笑
言わんとすることは、分かるような、分からないような、という感じだったのですが、それ以降、僕の中で「メンヘラ製造機」タイプの人を見つけ度に気になって生態を観察していました。
そんな僕の「探究活動」が実り(?)、ある程度特徴がカテゴライズできてきたので、ざっとまとめてみたいと思います。


そもそもなぜ「メンヘラ製造機」になるのか?

冒頭から僕は「メンヘラ製造機」という言葉を多用していますが、もちろんですが僕がメンヘラと呼んでいるのは病気の人のことではありません。
そうではなく、相手への依存気質が高かったり、相手からの承認欲求を求めたがったりする人を指してこの言葉を使っています。
僕のいう「メンヘラ製造機」とは、相手をどんどん承認欲求を求める体質にしたり、構って欲しいという性格にしていってしまう人のことです。

では、なぜ「メンヘラ製造機」なる人たちたちが相手をメンヘラにしてしまうのか?
僕はその最大の理由は親和的承認の過剰供給にあると考えています。
親和的承認とは、山竹伸二さんが「『認められたい』の正体―承認不安の時代」の中で紹介している承認欲求のひとつです。
親和欲求とは、家族や恋人から与えてもらうタイプの承認です。
何かの見返りで得られるものではなく、また、決して尽きることのない、「無償の愛」のような承認のこと。
本来、親和的承認は他者からの贈与に近い性質のものですので、本人がいくら「もっと欲しい」と望んでも、無尽蔵に得られるものではありません。
しかし、「メンヘラ製造機」の人たちは、これを際限なく与え続けてしまう。
当然受け取る側としては、何らかのコミットをしなければ得られないタイプの承認(山竹さんはそれを「集団的承認」と呼んでいます)と無償で得られる親和的承認があるのなら、後者に流れます。
結果、どんどん親和的承認を求めるようになってしまうわけです。
これが、「メンヘラ製造機」の人たちがメンヘラを生み出してしまうメカニズムです。

 

メンヘラ製造機かを判断する3つの指標

マンガ家の山田玲司先生が以前自身の連載コラム(

付き合う約束をしない男が常に欲しがるもの/山田玲司の男子更衣室(2ページ目) AM

)で、男は、自分専用のAV嬢と、ホステスと、チアガールを求めているというお話をしていました。
山田先生はAV嬢の部分は肉体的な話として説明されていましたが、僕はこれが人の求める親和欲求の構成要素だと考えています(性別は関係ありません)。
AV嬢とは自分を気持ちよくしてくれる存在、ホステスは自分の悩みを聞いてくれる存在、そしてチアガールは自分を応援してくれる存在です。
つまり、人は自分のことを①気持ちよくしてくれて、②悩みを聞いてくれて、応援してくれる承認を求めているのではないかと思うのです。

僕が見てきた限り、「メンヘラ製造機」の人たちは、それが天性のものなのか、職業上習慣になってしまっているからなのかは別として、結果的に相手にとってのAV嬢、ホステス、チアガールになっています。
「気持ちよくして欲しい」「悩みを聞いて欲しい」「応援して欲しい」の3つの焦がれている欲求を際限なく満たしてくれるから、気付くとどんどんそれを求める体質にしてしまうのです。

僕が観察してきたかぎり、「メンヘラ製造機」気質の人には以下のような特徴があります。
①ちょっとしてサプライズをしたり、ひと言お礼を添えたりしがち。
②自分の話をするよりも人の話を聞いている方が、けっこう面白いと感じる。
③何かに頑張っている人をみると、尊敬したり、損得関係なく協力したくなる。
3つ全てに大きくうなずく人がいたら、あなたは十中八九「メンヘラ製造機」です。
彼女さん、彼さんを「承認欲求モンスター」に化けさせないために、AV嬢出力、ホステス出力、チアガール出力を意識して調節することが重要です(笑)

 

アイキャッチは「メンヘラ製造機」特性をプラスに転換する主人公が出てくるスーパースーパーブルーハーツ。

 

肉じゃがをどう「切る」か?〜抽象化の「具体例」を集めてみた〜

先日、行きつけの居酒屋の大将との会話の中で「抽象と曖昧をごっちゃにしている人が多いね」という話になりました。

その話がむちゃくちゃ面白かったので、備忘録としてまとめておきたいと思います。

 

前田さんの『メモの魔力』を始め、結構色々なところで「抽象化」という言葉を聞くようになりました。

(もしかしたら僕の周りだけかも...)

で、抽象化が大切なんだ!と思ってやってみようとするのだけど、いざそれをしようとすると中々上手くいかない。

あるいは、抽象化してみたはいいけれど、思うように役立てることができない。

こういう風に悩んでいる人って意外と多いような気がします。

抽象化の仕方が分からない、或いは抽象化してみたけれど思うように役立てる事ができない。

こう思う人がやっているのは、実は「抽象化」ではなく「曖昧化」なのではないかというのが僕の持論です(というか、大将の考え)。

 

僕は抽象化と曖昧化の違いに関してよく、肉じゃがを例にとって説明します。

抽象化とは、肉じゃがを「ジャガイモと玉ねぎと人参と牛肉を煮込んで、和風の味付けをした料理」みたいな要素に分解すること。

それに対して曖昧化とは肉じゃがを「美味しい和食」みたいにまとめてしまうこと。

(もちろん、肉じゃがを和食というカテゴリで捉えることも抽象化といえるのですが、今回扱っているのはビジネス等で使えるスキルとしての「抽象化」なので、ここではあえて抽象化と曖昧化という言葉に分けています)

 

何かを要素に分解して理解するのが抽象化、何かをざっくりカテゴライズするのが曖昧化です。

 

抽象化することで少しひねったアイデアが出せるようになる

 

ちょっと面白いアイデアを出せたり、ひねった企画を作るのがうまい人は、物事を抽象化の側で捉えている場合が殆どです。

先ほどに続いて肉じゃがの例でアイデアの出かたについて考えていきたいと思います。

仮に「肉じゃがから連想する料理を考えて」と言われた時に、「美味しい和食」という「曖昧化」をした人から出てくるアイデアは、おそらくみそ汁や茶碗蒸し、筑前煮みたいなものになるでしょう。

それに対して、肉じゃがを「ジャガイモと玉ねぎと人参と牛肉を煮込んで、和風の味付けをした料理」と「抽象化」した人ならば、そこから出てくるアイデアはカレーやビーフストロガノフといった料理になります。

肉じゃがから連想する料理としてカレーやビーフストロガノフみたいなものを提案できる人が、いわゆる「ひねったアイデアを出すのがうまい人」の正体なのです。

彼らは格段優れたアイデアセンスを持っている訳でも、発想力がある訳でもありません。

イデアを作る際の道具として、曖昧化の他に抽象化を使っているだけなのです。

 

抽象化の「具体例」を集めるっていう、「右に左折」みたいなことをしてみた

コンセプトの作り方のエントリ(http://column-usukuti.hatenadiary.jp/entry/2019/05/15/030901)でも書いたのですが、こういった話は言葉で説明されても、いざ実践に移すのは簡単ではありません。

とうことで、今回も僕がパッと思い出した抽象化の例をいくつかまとめていこうと思います。

 

清水ミチコさん「ドリカム作曲法」

モノマネ芸人さんのモノマネがどうしてあんなに似ているのかと言えば、その人らしさを抽象化して捉えているからだというのが僕の持論です。

清水ミチコさんのこの「ドリカム風の曲を、その仕組みを解説しつつ歌う」というネタは、その抽象化そのものをネタにしているため、非常に勉強になります。

それ以前に単純に面白いです(笑)

ドリカム作曲法 - YouTube

 

 

岡田斗司夫さん朝日新聞連載コラム「悩みのるつぼ」

僕が抽象化を身につける際に1番参考にしたのがこの人です。

朝日新聞に月一で連載している「悩みのるつぼ」というコーナーで、岡田さんは質問者の悩みを表層でとらえず、一旦抽象化して、その奥にある構造上の問題にアプローチするという手法をとっています。

というわけで、むちゃくちゃ勉強になる連載です。

【悩みのるつぼ】「父親が大嫌い」 - FREEexなう。

 

ちはやふるの周防名人のカルタ

物事を抽象化して実践レベルにまで落とし込むというのを実際にやって見せている例として最もよいと思うのが、『ちはやふる』というマンガに出てくる周防名人のカルタに対するスタンスです。

突き詰めればカルタには「相手が取る」「自分が取る」「相手がミスる」「自分がミスる」の4パターンしかない。

ちはやふる」23巻

カルタのルールを原理原則の次元まで突き詰めて解釈する。

23巻に出てくる周防名人のやりとりには、抽象化の仕方が端的に表れています。

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④チャーリーさん「ビジネスモデル図鑑」

抽象化の例なんて挙げ始めたらキリがないのでラストにしたいと思います。

最後はチャーリーさんのビジネスモデル図鑑。

ビジネスモデル図解のコツ|チャーリー|note

この方は社会に溢れる様々なビジネスモデルを、抽象化して、その仕組みを解説しています。

毎回見るたびに脱帽です。

たぶん、全部読むだけで抽象化とは何なのかが分かるように思います。

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(ビジネスモデル図鑑https://note.mu/tck/m/m6efbe0f8e287より引用させてもらいました)

 

抽象化ができると便利な事が多いので、興味がある人は是非参考にして見てください!

僕もまだまだ勉強中なので、お前が言うなという話なのですが(笑)

超攻撃的太鼓持ちのすすめLV7〜「マウントおじさん」の倒し方〜

僕は職場、サークル等のコミュニティ内、あるいは初対面のバーカウンターなどで、年下や性別を理由にいきなり高圧的に接するタイプのコミュニケーションをとってくる人のことを「マウントおじさん」と呼んでいます(性別は関係ありません)
マウントおじさんを相手にしたときの波風立てない対処法として僕は①言ったふりアタック、②教えてくださいレシーブ、③大丈夫ですブロックを推奨しているのですが(詳しくはこちらのエントリ[http://column-usukuti.hatenadiary.jp/entry/2019/05/07/110538]で)、先日地元で飲んでいたときに、友人の行きつけの飲食店のマスターから面白い「技」を教えていただいたのと、確かに自分もよくやっているという気づきがあったので、今回はそれを踏まえたマウントおじさんの扱い方の続編をまとめていきたいと思います。

前回のエントリで紹介した①言ったふりアタック、②教えてくださいレシーブ、③大丈夫ですブロックは、どちらかというと相手の気分をよくして、その場をなんとなくやり過ごす方法です。
それに対して今回のものは、下手にでつつも言いたいことはきちんと通す方法です。
いわば「マウントおじさんの制し方」(笑)
もちろん相手へのリスペクトや礼儀は忘れてはいけませんが、「さすがにそれはちょっと…」というようなときってありますよね?
そういうときに有効なテクニックを、例によって3つにまとめました。

 

マウントを取れない場に引きずり込む「助けてくださいスマッシュ」

下手に出つつもマウントおじさんをだまらせる有効な手段として僕が考えたのが(というか僕がよく使っているのが)、①助けてくださいスマッシュ、②無茶ぶりトス、③言ってましたよねサーブの3つ。
まず①の助けてくださいスマッシュとは、複数人で話している中で議論が深まってきたタイミングで、マウントおじさんに助けを求める体で議論に引きずり込むというテクニックです。
マウントおじさんは年下に対してはめっぽう強気ですが、自分より年上であったり、専門的な知識を有した人との議論ではそのメッキが剥がれます。
この特性を利用したのが「助けてくださいスマッシュ」です。
マウントおじさんよりも年上の人と会話が盛り上がっているときや、専門性のある人がその分野について話している場に自分がいるとき、一定のタイミングで助けを求めます。
上下関係をはっきりさせたような物言いをしているマウントおじさんは、そこで会話に入ることを「断る」という選択肢は心理的に難しいでしょう。
そうなると、必然的にその話題に巻き込むことができるのです。
一対一であれば完全な上下関係がありますが、対象者よりも年上・専門性を有した人といる場合には、その「権威性」は相対的なものになってしまいます。
仮にその中でも自分に対してマウントをとるような態度を取れば、親分的なポジションでそこで白熱している議論に参加しなければなりません。
反対に、その議論に参加しないのであれば発言が減るため、マウントを取られることもない。
こうすることで何もせずともマウントを取れていたポジションを一気に崩すことができるのです。
これが助けてくださいスマッシュです。


いい気になって大きく言ったことに付け入る「無茶ぶりトス」

相手の自慢話に少し「イラッ」ときたときに有効なのが②の無茶ぶりトスです。
ここでいう「無茶ぶり」とは、全く脈絡のない事柄をいきなり振るという、本来の無茶ぶりとは少し違います。
そうではなく、あくまで相手の会話を利用した無茶ぶり。
高圧的な態度で来る人は、気分がよくなると、ついついエピソードを誇張してかたりがちになります。
本当は10くらいの成果なのに、それを30とか40とか、ときには100とかの大きさにして話してしまう。
無茶ぶりトスは、そんなビックマウスになった状態を利用した切り替えしの手段です。
やりかたはいたってシンプル。
明らかに誇張しているなと感じられたときに「それ具体的に教えて下さい」とか「実際にやってもらっていいですか?」みたいに、実経験がなければ答えられないような質問をするだけです。
その場の気分が良くなって大げさに話しているだけの場合、具体的なエピソードは皆無(あったとしてもしょぼい)ので、上記の質問を投げかけられた瞬間にそれまでに話したこととの整合性が取れなくなり、ボロが出ることを恐れて「ええっと、、、」みたいな感じで、とたんにそれまでの雄弁な語り口が収まります。
そのタイミングでいろいろつっこめば、それまでのマウントを取られていたポジションをひっくり返すことができるわけです。


相手の主張を誇張して利用する「言ってましたよねサーブ」

最後の言ってましたよねサーブは、地元の居酒屋の大将が、本当に苦手なお客さんを相手にするときのテクニックだそう(笑)
(言われてみれば僕も近いことをしていました 笑)
お酒がすすむと気大きくなって、ついつい人や社会の批評をしたり、持論を展開する人がでてきます。
言ってましたよねサーブは、そんな言葉を聞いたときに用いるテクニックです。
言ってましたよねサーブは、マウントおじさんが言った主張や持論を引用して、自分の主張を混ぜ込んだり、その人が言った以上の大げさな表現を含めたりする方法です。
語尾に「~って○○さん言ってましたもんね?」という言葉をつけて、本人に同意を求めることが大切です。
たとえば、Aさんが「Bの××というところが良くない」と言っていたとして、別の人と話しているなかでBさんの話題になったとき、「Bさんの××ってほんとに何やってもダメで、クソだ、って○○さん言ってましたもんね!」みたいな感じです。
あるいは、バイト先の先輩から理不尽に「在庫の片付けしとけって言ったやろ!」みたいに起こられた場合なら、社員さんと雑談をしているときとかに「たとえ客さんが待っていて、そっちの対応をした方がいいって思う場合でも、在庫の片づけを優先しろ!って○○さん言ってましたもんね!」みたいな感じです。
自分が言った内容が言葉以上に解釈されて再発信されると、相手は「いや、そこまでは言っていないんやけど…」と及び腰にならざるを得ません(なんてったって「言った」のは事実なわけですから)。
こうやって勢いを奪うのがこの、言ってましたよねサーブです。

以上の3つが前回のエントリで紹介した①言ったふりアタック、②教えてくださいレシーブ、③大丈夫ですブロックの発展形、①助けてくださいスマッシュ、②無茶ぶりトス、③言ってましたよねサーブです。
こちらは、相手とのコミュニケーションを円滑にするのではなく、マウントを取られたくないときに使う、ある意味で攻撃的な手段なのでいざという時の防衛手段くらいの位置づけにしておくのがいいでしょう(笑)
僕はよく、「今の職場はもちろん、今までサークルやバイトでムカつく先輩や上司に一度も当たったことがない」という話をしていたのですが、よくよく考えたら、これらの道具を使って、自分が不快に思うマウントはかわしていたのだということに気がつきました。
基本相手はしっかりと尊重して、相手を持ち上げる時はしっかり持ち上げて、どうしても嫌なとき、話を逸らしたいときだけは上の技でいなすようにする。
そんな、いざというときのテクニックとして参考になれば幸いです。

 

アイキャッチは僕の尊敬する編集者の一人、柿内芳文さん編集のこの一冊(笑)

 

じじいリテラシー (星海社新書)

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槇原敬之「もう恋なんてしない」考察〜「君」を通して成長する主人公を追いかける〜

「おばあちゃん」へ
私に色々なことを教えてくれた
おばあちゃん。
最後は命の儚さを。
本当にありがとう。
(「一筆啓上賞 日本一短い手紙コンクール」より)

本当に練りこまれた言葉は、直接感情が書かれていなくても、そこに置かれたことばから、場面や心情が伝わります。
冒頭に引用した一筆啓上賞の文面からは、おばあちゃんに対する感謝以上に、「亡くなってしまったことへの悲しみ」が溢れています。
こんな風に言葉を追うことで自然と感情が伝わるような歌詞を見ると、本当に凄いなあと感じます。
今回の槇原敬之さんの『もう恋なんてしない』は、まさに直接気持ちを言うことなしに気持ちを伝える典型例。
一文字ずつ歌詞を追いながら、じっくりと登場人物たちを分析してみたいと思います。

 

Aメロで投げられた設定を紐解く

 

〈君がいないと何にもできないわけじゃないと ヤカンに火をかけたけど紅茶のありかがわからない〉
この歌は全文通して凄いと思っているのですが、特にこの出だしは圧巻です。
「君がいなくたっていろいろできる」と主人公は強がって言いますが、さっそく上手く行かないことがあって困ってしまう。
そんな主人公の様子を描いた場面なのですが、ここを細かく見ていくと、本当に様々な情報が詰まっています。
まず、
まず主人公は「君がいなくたって大丈夫なんだ」と強がってヤカンに火をかけます。
この段階では実際に上手くいくように見える。
しかしその直後に「紅茶のありかがわからない」という想定外のところで問題が発覚してしまう。
一旦上手く行きそうに見えて、実は主人公が予想もしないところに問題が潜んでいたという描写をいれることで、主人公にとって「君」がいかに身近な存在であったかを示しています。
〈紅茶のありかもわからない〉というのは、「いつも紅茶を入れてくれるくらいに親しい間柄だった」ということ。
1番のAメロの前半だけで、主人公の心情だけでなく、主人公にとっての「君」の大切さを描ききっているのです。
(しかも、〈君がいないと何にもできないわけじゃないと ヤカンに火をかけた〉というのは、そのまま1番のサビに出てくる「強がり」の伏線になっている。)
こんなとんでもない出だしを受けて、1番はAメロを繰り返します。

〈ほら 朝食も作れたもんね だけどあまりおいしくない 君が作ったのなら文句も思いきり言えたのに〉
〈朝食も作れたもんね〉とやはりここでも「強がり」から始まります。しかし結局うまくいかず、〈君が作ったのなら文句も思いきり言えたのに〉と後悔をしています。
やはりここでも「君になら思い切り文句を言えた」といった意味の言葉から、主人公がどれほど「君」の事を信頼していたのかが伺えます。

この場面、得られる情報はこれだけではありません。
ぼくはこのAメロで主人公が立っている場が「キッチン」であることにも注目しています。
もちろん料理は女性がするものなんて偏見はありませんが、少なくともこの歌の中ではキッチンは女性が主役、この歌で言えば「彼女」の主戦場ということができます。
主人公はそんな場所に立ってお茶を入れたり料理を作ったりすることで、一層「君」のことを思い出してしまっているのです。

『もう恋なんてしない』は、こんな風にAメロでかなり丁寧に場面の設定がされています。
だから、このあと聞いている僕たちは、どんどん歌詞の世界に引き込まれていってしまうのだと思うのです。

Bメロで、付き合っていたときは自由が欲しいと思っていたけれど、実際に君と離れたらもっと寂しくなってしまったという感情が歌われ、サビに繋がります。


失恋理由はここにある!?1番のサビとそれ以降の主人公の変化

 

〈さよならと言った君の気持ちはわからないけど  いつもよりながめがいい左に少しとまどってるよ〉

主人公主人公の視点で歌われるこの歌には、直接「君」の気持ちは出てきませんが、このサビのフレーズで、「君」が主人公の元を離れた理由が暗示されています。

それが、「君の気持ちはわからないけど」という部分。

1番の冒頭の様々なエピソードも含めると、お茶をいつも入れてもらって、料理を作ってもらうのが当たり前な上に文句まで言います。

その上主人公は大切な「君」が自分の元を去っても「気持ちは分からないけど」なんて言ってしまえる人。

「君」が出て行った1番の理由は、そんな主人公の態度そのものにあると思うのです。

 

そして後半。

〈もし君に一つだけ強がりを言えるのなら もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対〉

ここまでの歌詞の流れを全て回収してあるのがこのサビの後半です。

主人公は「強がり」のために、〈もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対〉という気持ちを発します。

これが「強がり」であるとすれば、主人公のホンネは「新しい恋なんて考えられない」です。

「もし君に一つだけ強がりを」なんて言っていますが、それまでも主人公は平気なフリをして全然ダメという姿を見せてきています。

Aメロから何度も描かれた「君」に対する「強がり」が、このサビのフレーズで、しっかり回収され、「どうしようもないくらいに『君』の事を考えている主人公」の気持ちが描かれているのです。

 

紙芝居型の歌詞とアニメーション型の歌詞

 

続いて2番。

〈2本並んだ歯ブラシも一本捨ててしまおう 君の趣味で買った服ももったいないけど捨ててしまおう 男らしくいさぎよくとごみ箱抱える僕は他のだれからみても一番センチメンタルだろう〉

僕はアーティストさんが作る歌詞には①紙芝居型と②アニメーション型があると思っています。

ひとつひとつの場面を丁寧に歌詞にして歌う事で、聞いた側が頭で繋いでいくのが①の紙芝居型(BUMPとかミスチルとかが僕の中でこのイメージ)、歌詞の中に動きが歌いこまれているのが②のアニメーション型です。

僕の中で槇原敬之は②が異常に上手いアーティストという印象です。

槇原さんの歌は主人公が、その場面の中で動くのです。

その典型がこの2番の歌詞のAメロです。

歯ブラシや君と買った服など、「君」との思い出を振り払おうとする主人公は、これらを捨ててしまいます。

しかし、次の場面でごみ箱を抱えて感傷に浸っている。

ごみ箱に捨てる→抱えるという動きから、思い出の品をごみ箱に詰めていったはいいけれど、それを見て、また「君」の事を思い出さずにはいられないという主人公の「絵」が浮かぶのです。

そんな、感傷に浸りながらBメロで君の思い出に囲まれて暮らすのも幸せと言いながら2番のサビへ。

 

〈君あての郵便がポストに届いてるうちは かたすみで迷っている背中を思って心配だけど〉

「君あての郵便がポストに届く」という表現から、長い間同棲していたという事が伺えます。

そして、そんな君あての手紙がポストに届くわけなので、まだ別れたばかりということも分かる。

因み「郵便が届く」という表現からも、時間の流れが読み取れます。

「君」への郵便が届くたびに主人公は君と一緒にいた事を、きっと何度でも思い出してしまうだろう。

そんなずっと忘れられないという気持ちが歌われています。

 

2番のサビでもう一つ注目したいのは、主人公が「君の心配をしている」という点です。

これまで見てきた通り、1番までの主人公は、「君」に強がりや文句を言ったり、出て言った理由と分からなかったりと、自分の事ばかりでした。

でも、2番になると、自分の元に送られてきた「君あての郵便」を見て、君は困っていないだろうか?と相手の心配をしています。

自分しか見えていなかった主人公が相手の事を考えるようになっているのです。

この変化は最後の歌詞に繋がってきます。

そして2番のサビの後半。

〈2人で出せなかった答えは今度出会える君の知らない誰かと見つけてみせるから〉

強がりで「もう恋なんてしない」(新しい恋なんて考えられない)と言っていた主人公はここで、新たな恋に向かう決意を君に語っています。

もちろんこれも1番同様の「強がり」と取ることもできますが、それでは2番のサビの前半に出てくる主人公の気持ちの変化が入らなくなってしまいます。

したがって僕はこのフレーズを、少しだけ前を向いた主人公の決意と捉えています。

 

そして最後のサビ。

ここは、〈もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対〉という1番の歌詞の繰り返しなのですが、主人公がこの言葉に込めた気持ちは1番とは決定的に異なっています。

1番でのこのフレーズは、君に対する強がりでした。

それに対してここでの歌詞は〈本当に本当に君が大好きだったから もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対〉です。

「君が好きだったから」こそ、「恋をしないなんて言わない」なのです。

ここまでで、主人公は何度も君の事を思い出してきました。

その中で主人公は「自分の思いばかりだった」から「君の事を心配する」ようになります。

「君」と別れた事を通して主人公は成長しているわけです。

それを踏まえた上でのこの歌詞と考えるのならばここでの〈もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対〉は「色々教えてくれてありがとう」という意味であるというのが僕の考えです。

 

「君のおかげで色々なことに気づくことができたから、一歩を踏み出すよ」

 

そんな、失恋から立ち直る瞬間の主人公の姿が描かれているのが、槇原敬之さんの『もう恋なんてしない』だと思うのです。

 

アイキャッチはもちろん槇原敬之さん

 

もう恋なんてしない

もう恋なんてしない

 

 

 

公私の境と、人といられない理由。

僕は基本的に24時間人といられないタイプで、人と旅行に行っても、必ず泊まる部屋は別にするし、うちに泊まる場合は自分が近くのネカフェに行ったりします。

その人との間柄がどうであってもそう。

24時間のうちに「自分だけの時間」が無ければ息が詰まってしまうのです。

 

GWに知人にこの話をしたら、まるで理解して貰えない人と、むちゃくちゃ共感してもらえる人がいました。

一方(というかそこにいた大多数)には「はっ?何言ってんのおまえ?」で、もう一方(というか特定のひとり)には「おお同士よ」みたいな感じ(笑)

あまりに人といられない属性の人の立場が弱かったので、24時間人といられない属性の人のメンタリティを言語化してみたいと思います。

(意外と役に立つ気がします。)

 

プライベートのラインをどこに引くか

養老孟司さんは、自身の本の中で(確か『バカの壁』?)の中で、同じ唾でも、口の中にある時は汚いと感じないけれど一度外に吐き出した瞬間に「汚い」ものに感じるという話をしています。

この同じものであるのに「汚い/汚くない」の判断が変わるというのは、その境界が口にあるからです。

つまり、口の中は自分の中で、口内の唾は自分の所有物。

それに対して一度でも口から出た唾は自分の所有を離れた存在となります。

同じ「唾」であっても、自分の所有物だから汚いと感じないし、逆に自分の所有物でなくなったから外に吐いた唾は汚く感じるのです。

たとえば、好きな人とキスができる理由は、お互いの唾液を自分の所有物と認識しているからです。

 

僕は、人といられるか/いられないかの属性の話も、これに近いものだと考えています。

人との繋がりを以下のようにモデル化するとします。

[ 自分 家族 恋人 親友 友人 仕事仲間 他人 ]

その際に、プライベートのラインをどこに引いているかというのが、その人の「人といることのできる度合い」を表していると思うのです。

 

僕の幼なじみで、いつも地元のツレとつるんでいるthe・ヤンキーみたいなやつがいるのですが(どうせ読んでないからいいや)、彼は本当に毎日人といます。

彼にとっての公私のラインは、親友と友人の間にあるのです。

([ 自分 家族 恋人 親友 | 友人 仕事仲間 他人 ])

こういう人にとって、親友までは自分の内側の存在です。

だから、親友にどんなにグイグイこられても気にならないし、むしろ24時間一緒にいたいみたいになるわけです。

 

別の知人で、彼女ラブの人がいます。

コイツの場合は[ 自分 家族 恋人 | 親友 友人 仕事仲間 他人 ]みたいな感じで、公私のラインが恋人と親友のところにあるわけです。

この区分けの場合、彼女は「私」の側に含まれます。

だから常に彼女さんを連れていたいし、何ならずっと一緒にいたいというメンタリティになるわけです。

 

一方で、すでに結婚していても、何だかうまく行っていないなあと思う知人もいます(笑)

彼は非常に自分と向き合う時間を重視しているタイプで(それ故に圧倒的な成果を出す)、公私のラインが自分か自分以外かという部分に引かれています。

[ 自分 | 家族 恋人 親友 友人 仕事仲間 他人 ]

ちょうどこんな感じ。

彼にとっては家族に対する接し方自体が「公」のスイッチを入れなければならないものであり、家族といるときですら、オフモードにはならないわけです。

だからたまに1人になりたくて、ふらっと奥さまと連絡が取れなくなる(笑)

 

こんな風に人によって公私の線引きは異なっているわけです。

 

上手くいく人間関係と上手くいかない人間関係

僕はこの公私のラインそのものに良い/悪いがあると思っているわけではありません。

そんなもの、個人の特性なのでどうしようもないし、今さら他人との出会いで変えられるものでもない。

ただ、自分と相手がそれぞれどこに境界を設定しているかを意識しておくことは非常に重要です。

それが恋人関係であれ、深い友人関係であれ(まして結婚なんかはそう!)、これがあまりに離れた人と深い関係になってしまったら、お互いに苦労するからです。

例えば、完全にみんなウェルカムで、公私の線引きを「他人かそれ以外」というところに設定している([ 自分 家族 恋人 親友 友人 仕事仲間 | 他人 ])人がいるとします。

一方でその恋人の公私の線引きは「自分かそれ以外」([ 自分 | 家族 恋人 親友 友人 仕事仲間 他人 ])

一方はできるだけ親しい人たちと一緒の時間を多く共有したいし、一方は自分以外のあらゆる人といる瞬間が気の抜けない「公」のスイッチが入る時間になってしまう。

こんなの上手くいくはずがありません。

逆に、社交性おばけみたいな人がいたとして、相手も社交性魔女みたいな人であったら、毎日知人を呼んでパーティみたいなことができますし、仮に人と接したら死んでしまう病みたいな繊細な人であったとしても、恋人も同じようなタイプだったら、互いに適切な距離を保って上手くいくわけです。

 

重要なことは、お互いの公私のラインの擦り合わせができているか否かというところ。

仮にこれが上手く行っていないと、お互いにモヤモヤが溜まっていき(往往にしてストレスが溜まるのは境界を自分に寄せている方)、きっとその関係は上手くいかなくなってしまいます。

 

人疲れを防ぐための自分の処方箋

誰といても必ず自分の時間を作らなければヘタってしまう僕はもちろん、境界を自分かそれ以外に設定しているタイプ。

[ 自分 | 家族 恋人 親友 友人 仕事仲間 他人 ]

だから、家族であっても勝手に自分の部屋に入ってこられる環境がキツいのであまり実家にも帰りません。

とはいえ、そんなタイプだからといって、ずっと山奥に引きこもっていたいわけではないのです。

ただし、あまりにも人といると疲弊するから24時間みたいなのは無理。

こうした特性を言語化しておくと、「人疲れ」を起こした時にいろいろと対処法を打つことができます。

逆に自分の公私のラインが「自分かそれ以外」というところに引いてあることに自覚的でなければ、「自分はなんてダメなんだ」みたいに、どんどん自分を追い込んでしまうことになる。

そうならないためにも有効なのが、自分と、関わる相手の公私のラインを、それぞれ明確にしておくことだと思うのです。

それをすれば、恋人や知人、結婚相手との関係性に疲弊したときに、無為に相手に八つ当たりをするみたいなことが避けられるように思います。

 

この話をするのなら、アイキャッチはもちろん唯脳論

唯脳論 (ちくま学芸文庫)

唯脳論 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

「コンセプトの作り方」の身につけ方

ここ最近、僕の個人的な仕事でも、周りの人と話す中でも、「コンセプト」について考える機会が多くありました。

コンセプトを掘り下げる力ってどうやって身につけるのだろう?

そんなことを考えている中で、1つの切り口が見つかったきがするので、備忘録がてらまとめておきたいと思います。

 

コンセプトの探し方が分からない理由と「探し方」の身につけ方

僕はどんなことでも、何かを学ぶ際には、帰納的なアプローチと演繹的なアプローチの両方が大事だと思っています。

膨大な経験値からなんとなくこうやっねやればいいのかな?と正解を導いていくのが帰納的なアプローチ、こういう風にやればいいんだよという知識を教わって現実で試して見るのが演繹的なアプローチです。

もちろん人には向き不向きがあり、ごく稀に帰納的なアプローチが圧倒的に強い人や、演繹的なアプローチがやたら上手い人とかもいるのですが、基本的には殆どの人には帰納的なアプローチと演繹的なアプローチの行き来が非常に重要であると考えています。

コンセプトの見つけ方に関しても全く同じことが言えて、本来なら帰納と演繹を行き来することが身につける近道なのですが、そもそも「コンセプトを洗い出す」という行為そのものが目に見えないものであるが故に、それができる人たちは、ついつい演繹的なアプローチの説明ばかりになってしまう気がするのです。

だから教えられた側は、「なるほど!」と納得できるのだけれど、いざ自分でやろうと思っても上手くいかない...

こんな風になってしまう人が多いと思うのです。

ということで、今回のこのエントリでは、帰納的なコンセプトの学び方について考えてみたいと思います。

 

コンセプトづくりは他人のコンセプト収集から!

上にも書きましたが、帰納的な学びとは多くの具体例に触れる中で、一定の方向を学び取るというものです。

ある意味で具体例のコレクションをする行為と言えます。

自分がすごいなと思うコンセプトを集めて、「何がすごいと思ったのか?」を言語化しておく。

そういう知識をいくつも貯めることで、コンセプトの掘り出し方を探していくのが帰納的な学び方です。

具体例には何をすればいいのか?

まずは、徹底的に「これはすごい!」と思うコンセプトを集めてください。

 

コンセプトを集めるなんて難しいと思うかもしれませんが、世の中にはコンセプトがガンガンに表出した物事で溢れています。

広告コピーや映画の見出し、マンガの帯やテレビの告知なんてその典型。

そういったあらゆるコンテンツから、いいなと思うコンセプトを探していきます。

ここで重要なポイントは、ジャンルを絞らないことです。

(理由は後述)

帰納的な学習をといっておきながら説明が演繹というのも滑稽なので、今回は僕が実際に面白いなあと思ってメモにしていたもののコンセプトをいくつか紹介したいと思います。

 

5つの具体例からコンセプト「感」を掴む

【ケース1 パンテーン「世界一きれいな状態で花嫁になる」】

コンセプトの話になるときに、僕が真っ先に思い出すのがこの、パンテーンの広告です。

これはゼロ年代パンテーンが打ち出した広告のコンセプトです。

「女性にとって人生でもっとも特別な一日である結婚式に、最も美しい自分でありたい」というメッセージを元に打ち出されたのが、「14日間チャレンジ」というCMです。

パンテーンの強みは使うほどに髪に輝きが出てくること(らしいです)。

それを使って、結婚式のその日に1番美しい自分でありたいという風に打ち出したメッセージは本当に見事だと思います。

コンセプトは「一番大事な日に最も美しい自分でありたい」

コンテンツは「14日間チャレンジ」

 

【ケース2 AKBグループ「会いに行けるアイドル」】

中森明菜さん松田聖子さん篠原涼子さんetc...

それまで、アイドルというと手の届かない、文字通り「偶像」のような存在でした。

一方でファンの人たちは、アイドルに少しでも近づきたいというように思っています。

そんな所に秋元康さんが打ち出したのが、「会いに行けるアイドル」というコンセプトでした。

少しでも近づきたいというファンの気持ちにドンピシャで答えるこのコンセプトは(故に様々な問題も生じていますが)非常に分かりやすく、かつ強力なものであったように思います。

コンセプトは「会いに行けるアイドル」

コンテンツは「毎日上演する劇場&握手会や選挙等のファンとのインタラクティブ性」

 

【ケース3 立川談志「落語とは人間の業の肯定である」】

僕が尊敬する立川談志さんは、落語のことを「落語とは人間の業の肯定である」と言っていました。

生前のインタビューの中で、談志さんは「赤穂浪士がお国のために命をかける姿を描くのが歌舞伎や小説だとしたら、落語はそうはいっても家族や子供の事が頭に浮かんでビビって途中で投げ出した奴らが主人公の芸術だ」といったような事を言っています。

これって、ある意味のコンセプトだと思うのです。

実際に談志さんの落語はこの言葉に基づいて、主人公の弱さやダメさ加減を笑いにしながらも、「それでも生きられる世界」を演目を通して僕たちに伝えてくれます。

これも立派なコンセプトです。

コンセプトは「落語とは人間の業の肯定である」

コンテンツは「古典落語(はじめ談志さん及び談志一門の演目)」

 

【ケース4 暗殺教室「生徒は教師を殺して大人になる」】

ケース1〜3であげてきたように、コンセプトがわかりやすいものもありますが、作品になってくると少しこちらから掘り下げなければならないものも出てきます。

例えば、富野由悠季さんの『海のトリトン』なら「少年は挫折を知って大人になる」とか、高畑勲さんの『かぐや姫の物語』なら「姫の犯した罪と罰」とか。

この辺は岡田斗司夫さんが昔説明していたのでそちらを見てもらった方がいいと思うので、僕はもう少し分かりやすい『暗殺教室』を例にしたいと思います。

一見すると『暗殺教室』に描かれるのは子供達の成長する姿なのですが、もう少し引いてみると、そこには「師を超えるエピソード」が散りばめられています。

そこに登場する大人も子供も、時に悪役までもが、師を追い抜くエピソードを持っているのです(逆に悪役で負けていく者たちは、大体師に焦がれるが故に道を外したみたいなものが多いです)。

こうしたエピソードをまとめることができる言葉が、「師を超える物語」というもので、こういう全てに共通することがコンセプトだと思うのです。

作品や人の人生からコンセプトを抽出する場合は、その共通項や違和感を糸口にするのが有効です。

コンセプトは「生徒は師を超える」

コンテンツは「生徒たちやイリーナ先生、烏丸先生はじめ多くの大人たちの成長物語」

 

 

【ケース5 映画蝉しぐれ「待つことも恋でした」】

具体例なんて出したらキリがないのでこれを最後にしたいと思います。

最後は映画から。

映画はその性質上コンセプトが非常につかみやすかったりします。

その上、広報用のコピーが付いていることもあるので、その辺も手がかりに。

もちろんコンセプトの説明という観点から例示したい作品を出せと言われれば『フォレストガンプ』『ファイトクラブ』『ミュウツーの逆襲』『スラムドッグミリオネア』『きっと、上手くいく』etc...とキリがありません。

(映画系のコンセプトの抽出は、マンガ家の山田玲司先生のニコ生が群を抜いて上手いのでその辺を見ていただけたら...)

その中で一作品だけ紹介するならということで、藤沢周平原作の『蟬しぐれ』をあげました。

蟬しぐれは、お互いを好きていた幼馴染の2人が、周囲の環境のおかげでどんどん遠ざかり、苦労しつつも別々の「幸せ」を掴み取ってしまうという展開のお話。

そんな2人が数十年越しに、一夜だけ一緒になる機会があります。

2人は身分が違う上にそれぞれの立場もり、その後に結ばれることがないことも分かっている。

そういって諸々を全て承知した上で、一夜だけ共にします。

そして2人の人生がその後再び交わることは決してない。

すごーーーくざっくりいえば、そんな切ない物語なのですが、主題歌を歌った一青窈さんは、そんな2人の事をテーマに描いた「かざぐるま」という曲の中で「待つことも恋でした くるり かざぐるま」と歌いあげます。

僕はこの映画をこれ以上端的に表したものはないと思っています。

言われてみれば一言で全体が伝わる。

これがコンセプトだと思うのです。

コンセプトは「待つことも恋でした」

コンテンツは「映画そのもの」

 

コンセプト収集で感度を高めてテクニックにつながる

巷に溢れるテクニック本の多くでコンセプトを決めることが大切だと言われているのに、いざ決めようとしてもなかなかできない。

そんな風な人が増えてしまうのは、一言で言えば「その技を使う筋肉が備わっていない」からだと言うのがぼくの持論です。

バスケの初心者がいきなりダンクの技を教えてもらったところで真似できないし、幼少期のルフィが仮にギア3rdを覚えたとしても使うことはできません。

それと同じで、いくら頭で分かっていても、「そういうことか!」という経験値が無ければ、コンセプトの立て方という手法を使いこなすことはできないと思うのです。

僕はコンセプトの見つけ方という武器を使うには、ある程度こちら側にストックが必要だと思っています。

そのための方法が「他の人のコンセプト集め」で、その具体例は上に示した通りです。

僕がコンセプトを的確に掘り下げることができるかと言えば、決して上手い方ではありませんが(だからこそリアルタイムでコンセプトの発見に悩む仕事に追われているわけですが 笑)、少なくともそういう経験と、そのために集めているストック量には少しだけ自信があったりします。

自分のコンセプトを掘り下げる場合はそこまでいりませんが、他人のコンセプトを見つけるのには絶対的に脳内のサンプルが必要です。

コンセプトづくりに悩む人は是非試して見てほしいなと思います。

 

アイキャッチは僕が目標にしている鈴木敏夫さん。

こんな本を出すって知らなかった...

出た日に「読まねば」笑

天才の思考 高畑勲と宮崎駿 (文春新書)

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アイコンとしてのYouTuber、メーカーとしてのYouTuber

10歳の男の子が「学校に行かなくていい」というメッセージを引っさげてYouTubeに登場して、ここ数日話題になっています。

僕は10歳の子がYouTuberになることはとても面白いことだと思いますし、学校が嫌ならば行かなくていいと思っているので、全くその行動自体に否定的な意見はありません。

(というかある人の行動に対しての賛否を表明することに興味がない)

ただ、この子をきっかけにYouTuberについて自分の中で体系化できたことがあったので、備忘録としてまとめておくことにしました。

 

◆◆◆

僕は職業柄、普段から子どもたちに接する機会が多いのですが、やっぱりこの数年で「YouTuberになりたい」という子を多く見かけるようになりました。

僕はそういう子を見るたびに、「ぜひやってみたらいい!」と強くオススメしています。

いわゆるYouTuberといわれる人たちの企画力や編集能力、毎日複数のコンテンツを上げ続ける継続力etc...

そういった総合能力を持った人たちがあのクオリティで戦い続けるのが僕にとってのYouTuberという職業だからでした。

よく、子どもになって欲しくない職業ランキングみたいなものでYouTuberが上位に上がっているのを見かけますが、むしろ僕にとっては「なれるものならなってみろ」ときう職業というイメージです。

僕の中でのYouTuberというのは、非常に優秀なコンテンツメーカーなのです。

 

◆◆◆

今回出てきた10歳の男の子の動画を見たとき、僕はそこにメイカーとしてのYouTuberという雰囲気を感じませんでした。

マーケティングによるキャラ付け、コンテンツの企画作り、撮影に編集etc...

そういったものは周囲の大人がやっているのだろうなという印象です。

繰り返し断っておきますが、僕は別にそれが悪いとか言いたいのではありません。

ただ、話題になった新しい「YouTuber」はコンテンツメーカーの方ではないのだなというくらいの印象。

企画から編集までを担う人をメーカーYouTuberというのに対して、「画面に出ること」のみを生業にしているYouTuberを、僕はアイコンYouTuberと呼んでいます。

声優やアイドルや多くのお笑い芸人などがこのカテゴリ。

もちろん専門職に仕事を振っていれば、高いクオリティのコンテンツが出てくると思うので、視聴者としてはメーカーYouTuberだろうがアイコンYouTuberだろうが構いません。

ただ、YouTuberという仕事の将来としてみたとき、僕は後者はYouTuberではないと思うのです。

(少なくとも僕が子どもたちにオススメするYouTuberではありません。)

 

◆◆◆

自分で企画を作る能力や撮った画像を編集する能力のないアイコンYouTuberは、あくまで放送作家やディレクターのような人から仕事を「受注」しなければなりません。

その意味でタレント業。

彼らの仕事は、突き詰めると「注目を集めること」なんですよね。

(コンテンツを「生み出す」のは背後の人たちの技術)

もちろん、注目を集めている間は全く問題ないと思います。

しかし、注目がなくなってしまったときに残るものが何だろうと考えると、なかなか大変なのではないかと思うのです。

しかもその注目の源泉が、年齢等の「時間とともに変化する属性」についている場合は大変。

アイドルさんとかはまさにその典型だと思うのです。

仮にメーカーYouTuberであるならば、人気がなくなったとしても、「一定の人気を集めるマーケティングセンス」「毎日一定のクオリティの企画を考え続ける企画力」や「毎日アップし続ける速さと精度の編集技術」など、具体的な技術が残ります。

(おまけに長時間仕事をし続け、納期を絶対に守る)

そんな技術を持った人たちなら、雇いたいという会社は多いと思うのです。

しかし、アイコンYouTuberの方はそうはいきません。

彼らの武器は「注目度」です。

仮に人気が落ちてきたときに彼らに残る武器は、「枯れかけの注目度」のみなのです。

 

◆◆◆

冒頭で僕がYouTuberになりたいといった子どもがいるのなら、強くオススメするといったのは、そこで得られる知見と、仮に上手くいかなかったとしても(恐らく上手くいかない)具体的な技術が身につくと思っているからです。

メーカーYouTuberを強く推しているわけです。

しかし、その子が目指すものがアイコンYouTuberであったのならば、僕は強く止めると思います。

今の属性を消費し、切り売りするのは、その後に残る具体的なスキルを天秤にかけたときにリスクがデカすぎるからです。

同じ「YouTuberになりたい」でもメーカーとしてのYouTuberとアイコンとしてのYouTuberでは全然違い、後者には先がないんじゃないのかなあというのが僕の見立てだったりします。

ただ、仮説でしかないので、その通りになるのか、果たして全く違う活路を見出すのか、その研究対象がたくさんいゆという意味では僕にとってアイコンYouTuberの存在は非常に魅力的だったりするわけです(笑)

その意味でいえば10歳の男の子のYouTuberにも非常に興味があります。

 

アイキャッチはヒカキンさん。

400万人に愛されるYouTuberのつくり方

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