読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



目立つ実績がない人のための志望理由書き方講座③自己PRは最低3つ容易すべし!

とある休日の午後一時。
ちょっと遅めの昼食を取ろうと、あなたがレストランを探していると、目の前に2軒のお店がありました。
1軒は日替わり定食のみしかメニューに記載されていません。
もう1軒は焼肉定食に鯖の塩焼きに野菜炒めにと、さまざまなメニューが並んでいます。
どちらのお店もランチタイムの値段はどちらも同じ。
みなさんなら、どちらを選びますか?

よく通うお店か、よほどいい評判を聞いているということでもない限り、大抵の人はメニューが一つしかないお店ではなく、豊富なラインナップのお店を選ぶのではないでしょうか?
いくらその一品に自信があったとしても、それが100%お客さんの心に刺さるとは限らない。
自分の中ではイマイチと思っていたメニューが、案外人気になったなんてこともあるかもしれません。
AO入試公募推薦の自己PRに関して、僕はこれと全く同じことが言えるのではないかと思っています。
仮に自分がどんなにいいエピソードであると思っていたとしても、自分以外の人には全く響かないかもしれない。

自己PRや面接での大まかな質疑応答の内容などを作ったら、大抵の人は学校や塾の先生、或いは自分の親や友達に見せて意見を貰おうとすると思います。
これ自体は非常にいいことだと思います。
どうしても自分だけだと独りよがりで自己満足な文章になりがちです。
そうしたちょっと恥ずかしい状態にならないようにするのに人に見てもらうというのは非常に有効です。
「恥ずかしいから」という理由で人に見せることを拒んでいる人がもしいたとしたら、勿体なので少し位恥ずかしくても(そして実際に恥は書かくとおもいますが)必ず周囲の人に見せるようにしてください。
小さな羞恥心かよりも、そこから得られるフィードバックの方がよほど価値があります。

さて、人に自分の書いた自己PRを見せるに当たって、僕はいつも言っていることがあります。
それは、「一つだけ書いて満足するな」ということです。
高校三年生まで、どんな人でも必ず様々な経験を積んできています。
その中で自分らしさがよく出ている場面なんて、一つであるはずがありません。
本当はいろんなところで自分のよさは出ている。
初めから自己PRに書くことを一つに絞ってしまっていては、他にあるかもしれない「よりよい自己PRの可能性」の芽は初めから詰まれた状態です。
自己PRはあくまで相手に自分「らしさ」を伝えるためのツールです。
自分の思い込みで考えたアピールポイントを書いたものではありません。
往々にして、自分がいいと思っているポイントと、周囲が認めてくれている自分のよさは食い違うものです。
もしせっかく周囲の人に自分のPRを見せてアドバイスを仰いだとして、そこに一つしか案がなければ、アドバイスのしようがありません。
そこで有効な方法が、いくつもメニューを用意しておくことです。
すでに前回のエントリに書いたように、自分のアピールしたい部分はある程度見当がついていると思います。
その場合、次に必要となるのは、その自分「らしさ」が最大限に表現できるエピソードはどれで、どういう切り取り方をすれば相手に伝わるかと言うのを考える「編集作業」です。
そしてバイアスがかかる分、これは自分の目では一番やりづらい作業でもあります。
だからこそ、周囲の人に複数の自己PR案を見せて、その中で響くものを選んでもらうことが重要なのです。

いくつか自己PRを書くメリットはわかったけれど、そんなにすぐにエピソードが思い浮かばないという人がいるかもしれません。
そういう人は是非、自己PRや面接のためのネタ帳を一冊用意してください。
そのノートに書くことは日頃の出来事から、自分自身が頭の中で考えたことまで全部です。
きっと、真剣に一ヶ月も取り組めば、さまざまなエピソードを思い出す癖がついていて、ないようもしっかり掘り下げられていることでしょう。
そのノートに書いたことを元に自己PRを書けばきっと、最低でも数本の体裁の整った自己PRがかけるはずです。
その下積みが、ノートをとることです。
この「ノート作り」は早いに越したことはありません。
書き込めばその分だけ、皆さんらしさが自分で把握できるからです。
それがみっちり書き込まれていれば、エピソードを書くことなんて難しくありません。
自分の思考を掘り下げるためのノート作り。
みなさん是非やってみてください。


関連エントリですよかったらお願いします!

目立つ実績がない人のための志望理由書き方講座①自分が主張のエピソードを探さない - 新・薄口コラム

目立つ実績がない人のための志望理由書き方講座②アピールしたいこともないのにエピソードが見つかる訳がない - 新・薄口コラム

目立つ実績がない人のための志望理由書き方講座③自己PRは最低3つ容易すべし! - 新・薄口コラム



アイキャッチ岡田斗司夫さんのノート術

あなたを天才にするスマートノート

あなたを天才にするスマートノート


目立つ実績がない人のための志望理由書き方講座②アピールしたいこともないのにエピソードが見つかる訳がない

以前のエントリー(目立つ実績がない人のための志望理由書き方講座①自分が主張のエピソードを探さない - 新・薄口コラム)で、AO入試公募推薦の自己PRで書くエピソードがないという人は、「自分が主人公のエピソードを探しているから」ということを書きましたが、これに加えて自己PRで書くことがないと悩む人には、エピソードから先に探そうとするというクセがあります。
何か自分をアピールできそうなエピソードを持ってきて、そこから自分の強みなどを考えていく。
このやり方は自己PRを考える上で、あまり得策ではありません。
これは例えば、何を上映しているかを知らないまま「いい映画館はないかなあ」と探して、行ってみた先の映画館で上映している作品の中から見たいものを選ぶような感覚です。
普通は映画を見ようと思ったら、まず見たい映画を選んで、それを上映している映画館を探しますよね。
「シンゴジラを見たい!」→「イオンモールでレイトショーをやっている」→「じゃあ行こう」とう順番です。
AO入試公募推薦のエピソードもこれと同じで、それまで
「何かいいエピソードはないだろうかとエピソードを探す」→「そのエピソードでアピールできる内容を考える」としていたのを、
「アピールしたい自分の強みを明確にしておく」→「それに沿ったエピソードを探す」に変えるのです。
そうすることで、探すべきエピソードがはっきりして、高校生活を振り返ったときに、様々な経験をしていたことに気づけるようになります。

僕は感情表現が貧困になるのが嫌で、ラインスタンプをあまり使わないのですが、自己PRなどを考えるときにはラインスタンプ的な発想が、非常に有効だと思っています。
LINEのスタンプは主に、喜怒哀楽でできています。
イラッとしたときはその程度にかかわらず、キャラクターが怒っているスタンプをとりあえず押しておく。
面白いなと思ったときは、その笑いが皮肉なのか感動なのか、或いは失笑なのかなどは関係なく、笑顔のスタンプを押す。
自分がアピールしたいことを明確にするとき、LINEのスタンプで取り敢えずのざっくりとした自分の気持ちを表すのと同じように、自分の強みを大体のイメージではっきりさせておくと、非常にエピソードが見つけやすくなります。
感情ならばざっくりわけると「喜怒哀楽」となりますが、自分の強みを考える際には、もう少し細分化したほうがいいでしょう。
僕はその人の強みや頑張れる分野を取り敢えずの分類にするとき、ハンターハンターというマンガに出てくる念能力の系統を参考に作った性格表を使っています。
以下のような感じです。
①強化系(一つのことを続けていくのが好き/周りを巻き込んで物事をすすめるのが得意)
②変化系(色々なことに興味を持ちやすい/メンバーによって足りないポジションを補うように動く)
③具現化系(何をやるにもカチッとスケジュールを立てたい/みんなといる時は時間をみたり、割り勘の計算などの役回りが多い)
④放出系(面白いと思うと短期間でグッとのめり込むタイプ/意見が対立したときは、はっきり自分の主張をしたい方だ)
⑤操作系(面白いものを見つけたら、それをやってみるよりも仕組みの方に目がいく/部活などでは練習よりも練習メニューを作る方が好き)
⑥特質系(誰の目にみても明らかな長所=実績を持っている/チームで動くときは大抵自分の思い通りになるorチームの中で自由に動いても許されるポジションだ)

この性格の早見表はあくまで自分の傾向をざっくりと判断するためのものなので、「①もあるけど②もあるし..」みたいなことを考える必要はありません。
迷うときは自分がどちらの要素をアピールしたいのかで考えて下さい。
そして、大きな傾向が定まったら、それをアピールするのに適したエピソードを探します。
全く手がかりのない状態で探していたのと比べれば、大分エピソードが見つけやすくなっているはずです。
そして、エピソードが見つかったら、いきなり書き始めずに、徹底的に掘り起こす。
この辺はまたいずれ書きたいと思います。


関連エントリですよかったらお願いします!

HUNTER×HUNTER 33 (ジャンプコミックス)

HUNTER×HUNTER 33 (ジャンプコミックス)



ネットにおける「入場料」というビジネスモデルの可能性

例えばモーツァルトが生きた時代、音楽家は貴族に雇われて曲を書き、パーティで演奏するといった、特定の個人のお抱えの才能でした。
それがベートーヴェンショパンの時代になって自らのコンサートを開き、客を集めるようになる。
絵画で言えば、はじめは教会や地元の有力者に頼まれて書いていたものが、サロンのようなところで展示されるようになり、ギュスターヴ・クールベによって初めて個展が開催されます。
あるいは料理の世界も同じです。
それまでは貴族のために作っていた素晴らしい料理の数々を、庶民にも味わってほしいとできたのがレストランです。

これらの事例は、権力者からの注文を受けて作る職人仕事であったものから人々を集めて自分の商品を見せるという形になったという点で共通しています。
コンサートや個展を開いて、その入場料(もちろんそこでのお土産や絵が売れるというのも含め)で生計を立てるというのが、これらの分野のスタイル。
(絵画の個展の場合、入場料を取らない場合が多いかもしれませんが、あくまでマネタイズの可能性があるという意味で)
コンサートにしろ絵画にしろレストランにしろ、誰かに依頼されて作るのと1番の違いは、1度作品を作ってしまえば、それが何度でもお金を生み出すという点です。
もちろん定期的に新作を披露するわけですが、コンサートであれば行くたびに聞きたい代表曲があるだろうし、モネの睡蓮のように、ある人の作品展を見に行けば必ず見ておきたいと思えるような名作があります。
レストランも、毎回料理を作らなければなりませんが、そのレシピは1度作って仕舞えば半永久的に使えます。
誰かのお抱えになるスタイルから人を集めるスタイルに移行することで、それまでは相手に渡すその一回しか価値を生み出すことのなかった作品が、繰り返しお金を生み出す資産になります。

僕の定義では1度しかお金を生み出さないものを商品、何度もお金を生み出すものを資産としています。
SNSが普及して、これだけ人を集めやすくなった現在、ネット上にコンサートや個展やレストランに相当する「会場」を持つビジネスモデルを作るのもありなんじゃないかと思います。
もちろん、今でもお金を払ってコンテンツを閲覧する機能は多々あります。
しかしそれらは基本的にある一つの商品を購入することが想定されています。
noteのような文章にしてもアダルト動画にしてもそう。
或いはニコ動や新聞社のデジタル版のように、月額定額制のサービスも多く存在しています。
こちらは毎月お金を払い続けることでそこにあるコンテンツが見放題というサービス。
ユニバーサルスタジオジャパンの年間フリーパスみたいな感じです。

ネット上に単品購入スタイルと年間フリーパススタイルのビジネスモデルがあるのなら、入場料スタイルのビジネスモデルもあっていいのではないかと思うのです。
例えばある漫画家さんがウェブページを開いていて、そこに行けば一回500円の入場料でその作家の全ての作品が閲覧できる。
そのページから離れて別日にまた見たくなったら改めて入場料を払わなければいけない。
作品は定期的に更新されていて、入場料を払った日はどの作品をどれだけ読んでもいい。
こんなスタイルにしておけば、それまでの作品が購入されて終わりではなく、何度も人を集めるもの(=資産)になります。
もちろんマンガだけでなく、作家さんやミュージシャン、デジタルアーティストなんかもこのスタイルに相性がいいでしょう。
あまりに新作を更新する頻度が高すぎては何度も支払わなければならず、それなら月額課金でということになってしまいますし、逆に頻度が少な過ぎれば単品購入に流れてしまいます。
半年〜1年くらいでコンテンツを製作するような分野に関しては、このやり方が有効です。
予備校の夏期講習や冬期講習の授業なんて、まさにこのスパンにちょうどいいかもしれません。
単品購入でも月額課金でもない、入場料というコンテンツを提供する方式。
個人のマネタイズの仕方として、今後アリなんじゃないかなと思います。

アイキャッチはあらゆる商品がタダになるという主張をしたクリスアンダーソンの「フリー」

フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略

フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略



ゆとり世代の取扱説明書④若者はやる気がないのではなく組織に依存していないだけ

特にお盆休みや年末になると、同世代の友達の飲む機会が多くなります。
その時に強く感じるのは、「仕事はお金を稼ぐ手段」と割り切っている人が多いなあということ。
もちろん、やりがいに基づいて行動している人も一定数いますが、同時に徹頭徹尾「仕事」と割り切って労働に身を投じている人も多くいます。
良くも悪くも欧米的。
仕事を「仕事」と割り切っている人にとって、毎月決まった給与が振り込まれるサラリーマンという仕組みの中で一番合理的な行動は、どれだけ手を抜くかということになります。
そこにやりがいを求めていない以上、同額の給与を受け取ることができるのなら、手を抜くだけ使うコストが低く済むからです。
僕はお金のために働くというタイプではないのでこの手の思考回路はよくわからないのですが、理屈の上では分かります。
むしろ、僕が興味あるのはそれほどやる気もないのに一生懸命労働力を投じるオジサンたちです。
やる気もないしいつも愚痴ばかりなのに残業をしたり身を粉にして働いたりと、僕にはやる気のない若者の思考は分かっても、この手のタイプの人たちの気持ちが分かりません。
一定の給与にも関わらずやる気がないのに必死に働くのはどうみても合理的でないように思うからです。
やる気があって一生懸命に働く人も、やる気がないから最低限のパフォーマンスでやり過ごす人の気持ちもわかります。
やる気はあるけれどサボる人もまあ納得できる。
でも、やる気がないのに一生懸命な人は、今まで僕の中では理解できませんでした。
彼らだけは合理的に動いていないように見えて仕方がなかったのです。
しかし違いました。

お店で飲んでいて、周りの人たちの会話に耳をそばだてているうちに、この手の人たちの行動理由にある共通点があることに気がつきました。
全くもって勿体振ることではないのですが、それは居場所を他に持っていないということです。
働く場所は職場で飲みに行く友達も職場の同僚。
そして休日は職場の人たちとゴルフにいき、たまの休みは家族と過ごす。
職場に仕事をする場としての機能以外に、自分の居場所としての機能を求めているわけです。
だから、「仕事」としては全くやる気がなくても、「居場所」としての必要性が非常に高いから、仕事は全くやる気がないのに一生懸命打ち込むみたいな行動パターンが生まれるのだと思いました。

僕が出会った人たちを見ただけの印象論ではありますが、この手の思考を持っている人とそうでない人は30歳前後を境に大きく分かれるように思います。
30歳以上の人たちだと、職場に仕事としての機能とコミュニティとしての機能を求めている場合が多い。
それに対して30歳以下は職場にコミュニティとしての機能を求めている人の割合は減っていくように感じます。
特に僕らの世代はそれが顕著。
もちろん職場の人たちと遊ぶのは楽しいし、全く不満はないという人たちでも、別の「遊び友達」のコミュニティを持っています。
30歳以上の人たちにとっては職場の同僚は「仕事仲間であり友達」であるのに対し、30歳以下の人にとっては「遊んでもいい仕事仲間」くらいの感覚であるように思うのです。

ここで大切なことは「仕事仲間=友達」という等式ではないということです。
仕事仲間と友達が等式で繋がっている場合、どちらかの関係が絶たれれば、必然的にもう一方も絶たれてしまいます。
そのため、仕事で信用を失うイコールプライベートでの交友関係がなくなってしまうということになりかねません。
仕事仲間は遊んでもいい知り合いくらいの位置付けの場合はこうはなりません。
この場合仕事仲間は友達という大きな集合の中の部分集合のひとつです。
つまり、仮にその関係が途絶えたとしても、当人の友達という集合の中には他の幾つかの部分集合が残っているため、それほど多くの痛手にはならないのです。
だからこそ、仕事はお金をもらう手段と割り切って最小限の努力に抑えるという選択ができる。

職場に仕事以外の機能を求めているか否か。
この辺を理解するとゆとり世代とそれ以上の世代の理解が深まるように思います。



関連エントリです。よかったらこちらもお願いします!

アイキャッチは僕の大好きな編集者柿内芳文の仕事「じじいリテラシー

じじいリテラシー (星海社新書)

じじいリテラシー (星海社新書)


目立つ実績がない人のための志望理由書き方講座①自分が主人公のエピソードを探さない

以前のエントリ(公募推薦やAO入試で落ちる子に抜けている、たった一つの「ある」視点 - 新・薄口コラム)で触れたAO入試公募推薦入試に関して、志望書の書き方や面接での受け答えの仕方を、もう少し体系的にまとめようと思います。

志望理由書や面接で必ずと言っていいくらいに聞かれるのが「高校時代のエピソード」です。
直接聞かれることはなくても、「自分の強み」や「高校時代に頑張ったこと」というのは、十中八九これに触れることになります。
当然自己PRもそう。
「自分ってどんなひと?」を伝えるわけなので、高校時代のエピソードを掘り下げないことには始まりません。
で、ここで多くの受験生がぶち当たるのが「書けるようなエピソードがない」という問題です。

志望理由書や面接の相談を受けていると、毎年必ず「書けるようなことが一つもない」と言ってくる子がいます。
そして書けないという子には、みんなある共通点があります。
それは「自分が主人公だった物語を探そうとする」ことです。
より正確に言えば、自分が先頭に立った物語を探しているのです。
彼ら彼女らの言う「エピソードがない」は、部活動の部長とか生徒会長とか応援団長とかの、「自分が先頭に立って主人公となった」経験がないということなのです。
ここに大きな誤解があります。
それは、志望理由で伝えるべきエピソードは「自分が先頭に立った物語」ではないということ。
別にリーダー経験みたいなものでなくとも、十分に試験管の目にとまるエピソードは語れます。

エピソードを伝える上で大切なことは、自分が目立つ物語ではなく、それを伝えるカメラワークです。
自分が一番目立つポジションでなくとも、その見せ方次第でいくらでも登場人物は輝きます。
例えば、宮崎駿監督の長編映画引退作となった「風立ちぬ」の主人公堀越二郎は一介の飛行機設計者。
特に組織のリーダーでも圧倒的な天才でもありません。
或いは先日40周年の節目に連載が終わった「こち亀」の主人公両さんは特別な役職でもないただの巡査。
どちらも目立つポジションでは無いにも関わらず、文句無しに主人公を張っています。
両さんこち亀の主人公足り得るのも、堀越二郎風立ちぬの主人公足り得るのも、その切り取り方が上手だからです。
何気なく流れる生活の中から、彼らにグッとフォーカスすることによって、魅力的なシーンを見つけ出しているのです。
面接や志望理由書で書くべき高校時代のエピソードもこれと同じ。

まずは、自分が客観的に目立ったかどうかは放っておいて、高校で起きたイベントを片っ端から上げていくことが大切です。
そこで印象に残っていることを書き出す。
印象に残っていないのなら、自分がやったことを淡々と書き出すだけで構いません。
1年生から3年生までを振り返ることができたら、次に、アピールしたいポイントを自分の中で決めてしまいます(アピールポイントの定め方は別のエントリで紹介する予定です)。
他の人にとって何ともないエピソードから自分の魅力が伝わる場面を引き出すのだから、当然引き出すための「判断基準」のようなものが必要になってきます。
それが「アピールしたいポイント」です。
アピールポイントが決まったら、それに近いエピソードをピックアップする。
そして、そのピックアップしたエピソードについて掘り下げて、アピールしたいことを中心に話を組み立てれば、それはもうあなたが主人公の物語です。
ルフィやナルトのような特別なチカラを持った主人公ではなく、両さん堀越二郎のような、作り手の視点によって主人公の輝きを得たキャラクターを参考にする。
このような書き方をすれば、高校時代のエピソードで悩むことはずっと減るはずです。
次にいつ扱うかは決めていませんが、続きは不定期に更新したいと思いますので、よろしくお願いします!



日本酒に資産としての価値は生まれるか?

秋になって日本酒の「冷やおろし」が出回る季節になりました。
春先の新酒の時期に火入れをして、そのまま出荷せずに涼しい蔵元で一夏寝かせて出荷される冷やおろしは、熟成が進み、新酒とは違う味わいになります。
居酒屋の棚をみると、やはり日本酒は新しいお酒を楽しむものなのだなあと実感します。

少し前に「ワイン・アドヴォケート」という有名なワイン雑誌で日本酒の評価を行ったところ、78銘柄が高評価であったという記事を目にしました。
高評価の直後、各地の酒店に注文が相次いだのだそう。
日本酒好きの一人としては、世界に日本酒が認知されたというこのニュースは嬉しいものなのですが、これがワインの雑誌であるというところが少しだけ気にかかりました。
ワインコレクターにとって、ワインとは飲んで楽しむと同時に資産としての価値も持っています。
ワインは何年も寝かすことによって熟成され、そこに価値が生まれる飲み物。
だからこそ、出荷量が少ない高品質の年のワインなんかには、20年ものみたいな形で非常に高価な値段がついたりします。
年を重ねるにつれ価値が上がるからこそ、コレクターには大金をつぎ込む価値があるし、収集する意味があるわけです。

日本酒はワインと比べると、寝かせることで価値が上がるという側面はあまりありません。
保存のための火入れをしていない「生酒」みたいなものがあるように、むしろ日本酒は作りたてのフレッシュさを楽しむ側面が強い飲み物です。
そうなると、ワイン雑誌で評価が高かったからといって、ワインと同じイメージで買い集めるのは少し危険だと思うのです。
少なくとも、ワインと同じように「資産」としての価値が生まれるからと思って買い込んだ日本酒は、コレクターが期待するような値はつかないでしょう。
むしろ、年を重ねてしまえば価値が減っていく可能性のほうが高い。
作業工程が同じであるからといって、価値の帯び方が同じであるとは限りません。
ワインの有名雑誌「ワイン・アドヴォケート」で高評価であったからといって、その情報を鵜呑みに「買い」に走ったコレクターの中には、痛い目を見る人が少なからずいるんじゃないかなあと、そんな気がしました。

アイキャッチはここで高評価を得ていた「常きげん キス・オブ・ファイア」

9月から過去問演習をしなければいけないと焦っている人への処方箋

例えば今あなたがポケモンをやっていて、いよいよ四天王に挑もうというまさにその直前だとします。
主力ポケモンの平均レベルは30。
さて、みなさんなら次のどちらを選ぶでしょうか?
①手持ちポケモンの並び順や技の出し方を変えて四天王に勝てるまで挑み続ける
②少し前のフィールドに戻って手持ちポケモンのレベルを上げる

3年生の9月も終わりに差し掛かると、とにかく過去問演習に取り掛かる人がいます。
もちろんそれまでのしっかりとした下積みがあるのならそれで構いませんが、(正直なところ)夏休みまでロクに勉強もしておらず、まだ十分に知識も入っていないにも関わらず過去問演習に取り掛かるという人がいます。
もちろん過去問を繰り返せば点数は上がりますが、それは「ある仕組み」があるからです。
この時期に焦って過去問に手をつけると、思わぬ落とし穴にはまることがあるので注意が必要です。

過去問演習を有意義なものにするには、そもそも過去問演習という勉強がどういった行為であるのかをしっかりと理解しておかなければなりません。
勉強には知識を頭に定着させるものと、頭の中の知識を使いこなす勉強の2つがあります。
過去問演習は明らかに後者の勉強です。
いくら過去問を解いたところで、(気休め程度の定着はあるものの)基本的に実力は伸びません。
「それでも過去問を解くうちに点数が伸びてきたんだけど、、」
こんな反論がるかもしれません。
過去問を解くうちに点数が伸びるのは、問題に慣れることによって、今持っている自分の知識量のMAXに近いところまで引き出すことができるようになるからです。
それなら過去問を解けばいいじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、ここで一つ、大事な視点があります。
それは、「そもそも現在の実力を100%引き出せば志望校に受かるのかどうか」ということです。
もちろん、今ある実力を全て出したら受かるだけの知識量に達している人ならばなにも問題ありません。
しかし、まだまだ自分の受かりたい大学に自分の知識量が達していないという場合はどうでしょう。
仮に過去問演習によって100%の実力を引き出せるようになったとしても、結局合格には手が届きません。
そもそも自分の実力が志望校に達していない場合、過去問演習をしたとしても、最終的に合格できるラインには到達しないのです。

「そんなこと言ったって時間が...」
まだ過去問演習をしたところで受かる実力が備わっていないから知識を定着させようというと、必ず上のように「間に合わない」ということを口にする人がいます。
もちろん、程度にもよりますがこの時期に基礎の定着をやっていては間に合わなくなる可能性はあります。
しかし、それなら過去問演習をひたすらすれば間に合うのでしょうか?
「今更基礎をやっても間に合わないから過去問演習をする」という因果関係は間違えです。
正しい事実認識は「今更基礎をやっていたら間に合わないかもしれないけれど、今過去問演習を始めたら100%届かない」です。
焦って過去問演習に手をつける人の多くは、今更基礎をやったときに間に合わなくなる可能性については考えているのですが、知識の足りない状況で過去問演習をした場合の合格可能性に意識が及んでいません。
仮に今から基礎をやったとして合格できる可能性が30%であったとしましょう。
この数値だけみたら、このやり方は取らないと思います。
しかし、今から過去問演習を始めた場合の合格可能性が5%であれば話は変わってきます。
5%を取るくらいなら、30%の確率を選んだほうが、「まだ」受かる可能性は高いのです。

「間に合わないかもしれない」のと、「間に合っても届かない」のとなら、冷静にみたら前者を選びますよね。
これはちょうど、冒頭で書いたポケモンの例と同じです。
多分、ポケモンであればほとんどの人が上の状況で一旦引いてレベル上げをするという行為を選ぶはずです。
受験勉強と全く同じ。
今の実力をフルで出せたとしても受かる水準に達していないのであれば、どんなに過去問を解いたところで受かる実力には達しません。
それならば間に合わないかもしれないけれど、レベル上げしようよと、そんな風に思うのです。
過去問演習をすると、確かに受かれそうな気がします。
しかし、この「気がする」が最も怖いのです。
フィーリングではなく論理で合格する筋道を考える。
闇雲に過去問演習をしている人がいたら、この視点が非常に大切です。


アイキャッチは受験勉強に役立つ機会費用という考え方の載った本

ビジネスマンの基礎知識としての損得計算入門

ビジネスマンの基礎知識としての損得計算入門