新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



音声入力とEvernoteの組み合わせによる、情報管理を試してみた。

ここ最近、音声入力にハマっています。

ずっと前に音声入力でブログを書こうと思ったことがあったのですが、僕は文章を書く際に荒れ狂っ構成を考えながら僕は書くので、どうしてもしゃべった思考過程がそのまま文章になってしまうやり方では書けませんでした。

今でもそれは変わらないのですが、情報収集と言う意味ではむちゃくちゃ便利な使い方を発見してしまったのです。

 

僕は基本的に本を読む際、線をひいたり重要だと思う箇所を都度メモ帳に書き記してありと言う事が煩わしいので、読んでいて気になるページはドッグイヤーをしておいて後からまとめてノートにまとめると言うスタイルをとっていました。

このスタイルではどうしてもを止めて本を読んだときに重要部分を巻き起こす作業が多すぎてどうしたものかと悩んでいました。

 Kindleのマーカー機能を使って、重要部分を効率的に収集することをやっていたのですが、僕が重要だと思う箇所があまりに多すぎて、引用できる限度に引っかかってしまいました。

何とかして読んだ本の内容を効率よくまとめることができないかと考えていた時にたどり着いたのが音声入力でした。

 

ここ最近僕は毎晩、Evernoteを開いてかつて読んだ本のドッグイヤーの箇所を音声入力により記録しています。

このやり方が、非常に効率よく情報を整理することができるのです。

ずっと前に読んだ本でドッグイアをしているページを開きます。

そしてその中で気になった箇所を音読する。

ざっと誤字脱字目を通して特に問題がなければすぐに保存。

こうすることで今まで1時間以上かかっていた読んだ本の内容をまとめる作業が10分近くで行えるようになりました。

 

僕も基本的に思考過程をこうすることで今まで1時間以上かかっていた読んだ本の内容をまとめる作業が10分近くで行えるようになりました。

 

僕も基本的に思考を記録するには物理的なノートを好みます。

いろいろな考えたアイディア同士をつなげて、新たな角度から物事を考える上では文字ベースよりも図やイラストの自由度のあるノートのほうが描きやすかったからです。

(タッチペンでの入力も考えたのですが、少なくとも僕にとっては紙の方が自由に思考が展開するように感じます。)

思考過程に関してはこのように紙のメモで事足りていたのですが、一方で文章を書く際の引用だったりアイディアの検索だったりと言う事ではノートなど様々な苦労があります。

それに対しEvernoteを使った場合はキーワード検索、あるいはあるワードで検索をかけると、それまでに自分が収集したデータに一瞬でアクセスすることができます。

文章を書く際の材料を集めるためにはデジタル上に情報を整理しておくことが非常に有利なのです。

 

そんなわけで現在ものすごい勢いで今まで僕が読んだ本を音声入力によりEvernoteに保存しています。

特に僕の場合は現代文の入試問題で1度だけ出会った文章のようなものも大量にあるため、このように正確な文章の形でのアーカイブと、そこに対して瞬時にアクセスすることができる環境というのが非常に面白い強みになると思うのです。

デジタルによる情報収集のまだまだ始めたばかりなのでどのような成果が出るかわかりません。

しかし数カ月後には何かしらアウトプットに影響与えているのではないかと考えています。

その辺も含めてまたレポートできたらと思います。

ちなみに最近は音声入力に慣れてきて特に思考を必要としない文章であれば音声で書けるようになってきました。

今回はそのやり方で書いて1,500字位でおよそ10分弱。

内容がペラペラになってしまうのが気になりますが(そもそも普段から内容があることを書いているかといえば疑問ですが...)、それでも書き方の方法としてこれもアリなのかなと思っております。

音声入力かスマホ入力か、あるいはパソコン入力なのかiPad入力であるのか。

この辺によって文章にどのような差異が出てくるのか、思考過程がどのように変化するのか。

その辺も含めて検証してみたいと思います。

 

アイキャッチEvernoteの使い方。

 

 

Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術

Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術

 

 

 

ネットの最大の功績は、成功者の努力が可視化されたこと

「ネットの最大の功績は、成功者の努力が可視化されたことである」という僕の格言?があります(笑)

ネットの最大の利点は、あらゆる情報に自由にアクセスできるようになったことでもなく、遠く離れた友人と物理的な距離を超えて連絡をとることができることになったことでもなく、成功した人がどれくらいの時間を費やしたかがだれもに認識できることにこそあると思うのです誰も認識できることにこそあると思うのです。

例えばネットがない時代であれば、ある人の成功は成功した部分しか見ることができません。

例えばネットがない時代であれば、ある人の成功は成功した部分しか見ることができません。

テレビに出ている億万長者の社長だとか、雑誌のインタビューで見かける若手実業家、あるいは漫画家でもアニメーターでも、ブロガーでもミュージシャンでもそうですが、それまでは彼の成功した後の華やか姿姿しか見ることができませんでしたブロガーでもミュージシャンでもそうですが、それまでは彼の成功した後の華やか姿姿しか見ることができませんでした。

 

ところが、ネットが普及してあらゆる情報が共有されるようになると、すべての人々の生活習慣や活動が大衆の目に可視化されるようになりますあらゆる情報が共有されるようになると、すべての人々の生活習慣や活動が大衆の目に可視化されるようになります。

例えばある有名人のTwitterを追いかけブログを読み、テレビやネットの生放送を追いかければ、その人の1日がおおよその予想がついてしまうことがあります消例えばある有名人のTwitterを追いかけブログを読み、テレビやネットの生放送を追いかければ、その人の1日の生活を大まかに推察できてしまうことがあります。

あるいは、人気YouTuberや有名ブロガーの中には、自分たちの生活や仕事のスタイルなどを事細かにウェブ上に示してくれる人思自分たちの生活や仕事のスタイルなどを事細かにウェブ上に示してくれる人もいます。

こうした人たちの1日の生活習慣を正確に追いかけると、その人の成功は才能でも雲正確に追いかけると、その人の成功は才能でも運でもなく、ひとえに人並み外れた圧倒的な努力の成果であると言うことが嫌でもわかってしまいます。

 

例えば人気YouTuberのHIKAKINさんが、1日の生活をYouTubeにアップしていました 。

朝の2時過ぎから始まって終わるのは12時を過ぎた後です。

あるいは同じく人気のYouTuberである「釣りよか」のよーらいさんは、睡眠時間が数時間で後はひたすらに釣りと動画編集をしていると言う現在の生活を動画で投稿しています睡眠時間が数時間で後はひたすらに釣りと動画編集をしていると言う現在の生活を動画で投稿しています。

他にもブロガーのイケダハヤトさんは、全盛期は1日10本近くのブログを書いていたそうです。

漫画家の山田零士先生は小学校の頃毎週自分で締め切りを設定し週刊漫画を学校に書いて持っていったと言っています。漫画家の山田玲司先生は、自身のニコニコ動画の番組で、小学校の頃毎週自分で締め切りを設定し週刊漫画を学校に書いて持っていったと言っています。

ミュージシャンの志磨遼平さんはネット番組の中で古今東西あらゆる音楽に精通したその知識の広さを披露し、ウーマンラッシュアワー村本さんのネット番組では、スーパーマラドーナの武市さんやナイツの塙さんが出て、その漫才に対するとてつもない知識や探究心を見せつけていました。

島田紳助さんが吉本興業の養成学校で講演した時の動画の中では、彼が売れるために行った膨大な努力を事細かに説明していました。

筑波大学の準教授である落合陽一さんやお笑い芸人の西野亮廣さん、こういった有名人(成功していると思われている人たち)のTwitterやブログでの発信を見ていると本当にどれだけの努力をしているのかと驚きます。

(実際に自分が仕事をこなしながらその上であれだけの情報発信をすることを考えると、彼がどれほどすごく活動しているかと言う事は容易に想像することができると思います) 

 

こうした部分はそれまでは決して人々の目に触れる事はありませんでした。

成功するまでの努力や苦労の部分がすべて目に見えず、ただ僕たちの前に現れるのは彼らが成功し輝かしく人前に出ている姿だけでした。

だからこそ成功している人たちを見て僕たちは「あいつらは才能があるから」「運がいいだけだ」みたいなことを本当に思っていました。

しかし今は彼らのそうした本来は見えなかった努力や苦労までも全て追いかけようと思えば追いかけることができてしまいます。

これは努力をしないで成功を妬んでいるだけの人たちにとっては非常に好ましくない状態です。

(なぜなら今まで「あいつらの才能がある」と言って自分の努力不足を棚に上げていた、それまでの自分たちの言い訳が使うことができなくなってしまうからです)

一方で、本当に成功したくてもがいている人にとってはこれほど良い環境はないと思います。

あらゆる分野での成功している人の積み上げた努力が可視化され、どれだけ努力すれば最低限そこに到達できるかという可能性を知ることができるからです。

これをチャンスと見るか、「余計なことを仕上がって」と見るかは、本人の自由だと思いますが少なくとも僕は前者と思った方がより有意義な生活が送られるような気がします。

 

「努力は報われる」なんて言う、J-Popみたいなことを言いたいわけではありませんが、おそらく僕たちが思っている成功するのに必要な努力値の何十倍も多くを行わなければ成功にたどり着けないと言う事は紛れもない事実であると思うのです。

「成功したやつはただの運や才能だ」と言っている人の中で、少なくとも表面に見えてくるウェブ上に現れる断片的な努力の足跡だけでも真似することができる人間が、一体何人いるでしょうか。

少なくとも僕は無理だと思います。

こういった「信じられない努力」が具体的に見えるようになったということこそが、僕はネットの最大の功績だと思うのです。

 

巷には多くの成功法則やノウハウが溢れています。

しかしそのいずれにも具体的な努力の量は描かれていませんでした。

そうした部分がネットに流れるようになって初めて、ノウハウや成功法則あるいはマインドセットなどが役にたつようになったのだと思います。

成功に要する努力量も正確に把握していること。

これは今後の社会を生き抜く上で非常に大きな強みになると思うのです。

 

 アイキャッチ幸田露伴の努力論。因みに無料の本が出ています。

努力論 (岩波文庫)

努力論 (岩波文庫)

 

 

 

テスト前日に確認したい夏目漱石「こころ」解説①こころが読み易くなるために必要なたった一つのある「視点」

多くの学校で高校2年生になると勉強することになる、夏目漱石の「こころ」。
内容の面白さ云々の前に、単純にページ数が多かったり、使っている言葉が難しかったりという部分から、毎年多くの高校生から意味が分からんという声を聞きます。
解説を求められることも多く、実際にいろいろな学校の説明の板書やウェブ上の解説を読んでみたのですが、どうも「授業的な詳しい解説」であったり、「教育的に正しい」解説であったりというところを重視しすぎているせいで、難しくなってしまっているものが多いように感じます。
そういった「正しい」解説や「詳しい」解説は既に十分過ぎるほど存在するので、僕はあくまで直感的に内容を理解しやすいことを目標に内容を解説したいと思います。
因みに、細部で正確な解釈とは異なる部分があるかもしれませんが、あくまで直感的な分かりやすさに重点を置いていますので、その点はご理解ください(「正しい」説明でないことは僕も重々承知しています 笑)。

「こころ」という作品に向かうときの最大のポイントは「好きな人ができたときの心情」を強く思い出しながら読むということです(笑)
こう書くとふざけるな!と思われてしまうかもしれませんが、そもそも「先生」の行動原理は全てそこにあるわけなので、作品に入り込むためには意外に重要な視点となってきます。
例えばクラスにずっと密かに好きな人がいて、親友と二人でマックやミスドで会話している時に、明るい声で「私〇〇の事が好きになってん!」と自分と同じ人の名前を言われたらむかつきませんか?
或いは、恋愛になんてまるで興味のない友人とテスト勉強をしていて、彼氏や彼女からのLINEに返信していたらいきなり「勉強に集中もせずに彼氏(あるいは彼女)と連絡しているとかアホちゃう?」と言われたらむかつきませんか?
むちゃくちゃ難しい言葉や言い回しが使われていますが、先生がKに対して抱いている気持ちは基本これと同じです(笑)
親友から「私〇〇の事が好きになってん!」と語られるのが先生とKの場合だと4段落目にあるような「彼はいつもにも似ない悄然とした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいと言いました。そうして迷っているから自分で自分が分からなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより外に仕方がないと言いました。」という表現になります。
今の言葉で言えば、「俺、たぶんあの子(お嬢さん)のことが好きになったと思うんだけど、勉強とか忙しいし、どうしたらいいと思う?」です。
これを、Kよりもずっと前からお嬢さんのことが好きだった(しかもそのことを以前それとなくKに相談したら「恋愛に気持ちが持っていかれるやつは馬鹿だ」と言われた)先生に対して打ち明けたわけです。
そりゃ先生もむかつきますよね。
自分が好きだった人のことをKも好きになってしまい、しかもKは先生もお嬢さんのことを好きだということを知らない。
前半は、先生が遠まわしにKがお嬢さんから手を引くように仕向けるはなしなんだという理解をしておくと、途端に読み易くなります。

この視点から最初の節の描写やセリフを見ていきたいと思います。
まず1段落目の「私はその時に限って、一種変な心持ちがしました」という部分。
先生はここ数日でKがお嬢さんのことを好きになったことに気がついています。
そんなKから「ちょっと相談がある」と言われたわけです。
ここで感じた「変な心持ち」とは、Kからお嬢さんが好きになったという告白であると捉えるのが妥当でしょう。
二段落目で、先生はKの誘いに対して勉強が終わったあとなら相談に乗ってやると返します。
しかし、実際には先生はまるで調べ物に集中できません。
そりゃ、これから親友から自分がずっと好きだった女の人を「自分も好きになった」と言われるなんて、気が気ではありませんよね(笑)
先生もそんな心情だったのか、読みかけの資料を伏せて勉強を切り上げ、Kを散歩に誘います。
一方そんな先生に対して「勉強はもう済んだのか」と間抜けな質問をするK。
ここでの先生の気持ちは書いていなくても十分に想像がつきます(笑)
次の段落でいよいよKは先生にお嬢さんが好きになったことを告白します。
そして次の段落で先にも書いたように、「自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしい」「迷っているから自分で自分が分からなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより外に仕方がない」と自分がお嬢さんを好きになったことをと先生に伝えるのです。
先生はこのKの言葉に対して、「退こうと思えば退けるのか」と聞き返します。
これ、普通に聞けば親友の相談に対する丁寧な回答ですが、先生もお嬢さんのことが好きで、そのことをKには知られていないという場面を考えると、むちゃくちゃ嫌味な言い方です。
先生の意地悪な質問に苦しい表情で固まるK。
最後に先生が「もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、その渇き切った顔の上に慈雨のごとく注いでやったかわかりません。」と言ってこの節は終了します。
しかもご丁寧に「私はそのくらい美しい同情をもって生まれてきた人間と自分ながら信じています。」と一旦自分を持ち上げた上で(笑)

こんな説明では、一度でも読んだことのある方にはふざけるなと言われてしまいそうですが、あえて作品に入り込みやすいように、こんな解説にしました。
次節以降も内容を先生の複雑な気持ちをデフォルメして内容を追っていこうと思いますので、そちらも宜しくお願いします。

 

 アイキャッチはもちろん夏目漱石の「こころ」。キンドル版で無料で読めますので興味のある方はぜひ!因みに今回まとめたのは「下 先生と遺書」の40節です。

こころ

こころ

 

 

2017年版!「モテる日本酒」の選び方〜獺祭から入った女性にもウケる日本酒をまとめてみた〜

僕は日本酒が好きで、暇さえあれば日本酒を売りにしているお店を飲み歩いているのですが、初めて入ったお店でどんなタイプの日本酒が好きかと尋ねられた時は、必ず獺祭のような飲みやすいお酒が好きと答えるようにしています。

こう言うと、時々「獺祭が好きだなんて素人だ」みたいな空気感を返されることがあるのですが、これが僕にとってそのお店に通うかどうかの1つの指標になっています。

確かに、色々な日本酒を飲んでいくと、「これぞ日本酒!」みたいなものや、「こんなのも日本酒なの!?」といった、非常に面白いものに多く出会います。

そういった個性の強い日本酒と比較すれば、確かに獺祭は大人しい印象で、それが好きだなんて言うのは本当の日本酒好きではないと思われるのかもしれません。

ただ一方で、獺祭のような飲みやすい日本酒を切り捨ててしまうのは非常にもったいないと思うのです。

それまで飲み放題でしか日本酒を飲んだことがない、宅飲みでの一気飲みの道具でしか日本酒を飲んだことがないと言う人にとって、間違いなく獺祭のような日本酒を飲んだ時の印象は日本酒のイメージを変えるものだと思いますし、実際にそういった数多くの飲みやすい日本酒があるのも事実です。

 

「獺祭を飲んで日本酒のイメージが変わったけれど、別の日に他の日本酒を飲んだらやっぱり飲みづらかった」みたいな話をよく聞きます(とくに女性から)。

確かに、日本酒といっても味は様々で、全然期待していたものと違うテイストのものが出てくることも少なくありません。

というか、そもそも「辛口」とか「日本酒度」みたいな評価が何を示しているのかも分からない...

結局、自分が好きだと思った味に近いものを飲もうとするのなら、親しい日本酒好きの人に直接聞いて、自分の好みに近いものを選んでもらうしかないような気がします。

 

僕は人に勧める基準として、「獺祭で日本酒が好きになった人に気に入ってもらえそうなお酒」というものを用意しています。

定期的にこのブログで紹介しているのですが、またストックが溜まってきたので、いくつか紹介しようと思います。

 

1.仙禽雪だるま しぼりたて活性にごり酒

 

この時期ということも考えると、僕がまずオススメしたいのがこちら!

僕が冬になると必ず注文するお気に入りの一本です。

ボトルデザインが非常に可愛らしいだけでなく、味もむちゃくちゃ美味しいです。

にごり酒なのでドロっとしていて、何よりコテコテの日本酒なんじゃないかと思われるかもしれませんが、全くそんなことはなく、口触りはむしろ獺祭のソレに近く、大変飲みやすい仕上がりです。

何より面白いのは微炭酸であるというところ。

スパークリングの日本酒といえば澪が有名ですが、澪のように後から炭酸を加えた訳ではなく、発酵の過程で微量の炭酸が含有したというものです。

味はもちろんのこと、見た目にも、また微炭酸の楽しみもあるので、むちゃくちゃオススメの一本です。

 

2.雁木

 

 

2本目の雁木は獺祭と同じ山口県の酒蔵さんのお酒で、一部では「獺祭よりもうまい酒」なんて言われています(飲み屋の大将談)

別に作る地方によって味が似るということもないのですが、山口県には、獺祭、雁木の他に、東洋美人という有名な日本酒を作る酒蔵さんもあり、そのどれもが非常に飲みやすい印象を受けます。

(獺祭が好きという人にはオススメです!)

雁木には(というかどの日本酒もそうですが)色々な種類があり、個人的には絞ったままの原酒に一度火を通した「ひとつ火」というのが好きなのですが、獺祭的な飲みやすさと考えるのならと、今回は純米大吟醸を紹介しました。

 

 

3.風の森

 

3本目はこちら、奈良県のお酒「風の森」です。

僕が人の家に呼ばれた時などに1番持っていくのがこのお酒。

フルーツの様な香りと微炭酸で、特に女性からの評判がいいお酒です。

先ほども書きましたが、スパークリングと言われて最初に頭に浮かぶ澪の様な甘ったるさはなく、スッキリとしたお酒が好きな人、白ワインが好きな人にも好評なお酒です。

僕は以前、この風の森に梨や柿、ザクロなどの日本っぽい果物を入れて日本酒サングリアを作ったのですが、むちゃくちゃ美味かった(笑)

普通に飲んでかなり美味しいお酒なので、お酒好きな人にこれを言うと怒られてしまうかもしれませんが、本当にオススメです。

 

というわけで、まだまだ紹介したい物はありますが、とりあえずは3本を取り上げてみました。

もしお店で見かけることがあったら、飲んでみて下さい!

獺祭が好きな人ならばハマること間違えなしです。

 

以前書いた方はこちらです!よかったらご覧下さい!

「モテる日本酒」の選び方〜獺祭から入った女性にもウケる日本酒をまとめてみた〜 - 新・薄口コラム

2016年関西外国語大学外国語学部スペイン語一般前期「猫の草子」現代語訳

古文の現代語訳です。

赤本に載っていないので訳してみました。
急いで訳しているので細かな違い(時に大きな読み間違えがあるかもしれません..)はご了承下さい。
また、あくまで話の筋を追うことを第一に訳しています。
そのため、文法事項や敬語はあえて無視しているところがあります。
随時アップしていく予定ですので、よかったらご参照下さい。

 

鼠の和尚と思われるものが、進み出てきて、「僧様に向き合って言葉を交わすなど、非常に恐れ多いといは思いますけれども、あなたの教えを縁の下で毎日聞いておりますときに、懺悔で罪が減ると言っておられましたのを耳にしまして、こうしてあなたに会いに来ました。もし私が過去の罪を悔い過去の罪を恥じることをすれば、一句の仏法を私に授けていただけないでしょうか。」と言った。僧はそれ対して「お前たち鼠のようなつまらない者の身で、なんとも殊勝なことを言うものだ。」と並み一通りでなく思いながら、「草木や国土も全てが成仏でき、心を持たない草木も成仏することができる。ならば命のある者はただ一回でも阿弥陀仏を想えば無量の罪が滅し、存在するすべての物はただ心の変現にほかならなず、ここを去ることは難しくないと釈迦も説かれておられるわけなので、たとえ鳥類・畜生であっても、一度の念仏によって成仏しないことはありません。」と答えた。すると「それならば懺悔を申しましょう。」と言って鼠は涙を拭いながら、「この度、洛中の猫の綱を解き放たれたということで、私たちの一族は、ことごとく姿を隠し、あるいは逃げて、またあるいは滅び、残る少しの者たちも、今日明日の命と思い、心細く礎の影や縁の下で過ごしています。そのように生きていても、少しの油断も許されず、また穴を作り住居としてみたとしても、そこに住むのは一日二日のことではなく、中にずっといては息もこもり、ずっといられるものではありません。たまたま生きづらくなった外の世界に顔を出してみれば、猫に捕まって、頭から食べられ、やがて四肢を引き裂かれてしまうでしょう。このような気の晴れない目にあわなければならないのは、ひとえに前世からの因果のせいだと思うのです。」と言った。僧は鼠の訴えに「おまえたちが泣きながら伝えてくれたことは大変いたわしいことです。特に、私はあなたに仏法を授けたわけなので、弟子も同然に思っています。まずはお前に人に憎まれている理由を伝えよう。私ごときはもちろんのこと、たまたま傘を張り立てておけばすぐにしまもとを食い、お布施を渡しに来てくれた客のために煎り餅や座禅豆を用意しておけば一夜のうちにそれらを食べ、袈裟、扇、本、はりつけ、屏風、かき餅、六条など我慢せず何から何まで食い散らせば、阿闍梨のような心の広い高僧であっても、お前たちの命を絶ちたいと思うのは当然のことである。まして一般の身であれば、それ以上に憎く感じていることは至極当然と言えるだろう。」と返した。鼠がこれに「私自身もあなたに言われたことは強く感じていて、若い鼠たちには止めるようにと言っているのですが、忠言耳に逆らい、良薬口に苦しといった状態で、なかなか聞き入れず、ますます悪さをしようとするのです。そんな状態の中で、『まず第一に人に憎まれないよう振舞え。前垂、帷子、足袋、また袴、肩衣の端、唐櫃の隅、包み、葛篭の中などの隠れたところに家を作り、餌にもならず、何かに使うあてのないものを食い散らかすようなことをするな。壺の周りをうろちょろするな。』などと、彼らが赤ん坊のころから言い聞かせているのですが、ひと目につく変わった行動を取りたい様な行動ばかりを好み、人間の枕元、菰、天井、古屋根などを住処として、悪さばかりをしていますのは、本当に言い訳ができないことでございます。」と返しているのを聞いているうちに、僧は夢から覚めて、すっかりその夜は明けていた。

 

アイキャッチ太宰治御伽草子

お伽草紙 (新潮文庫)

お伽草紙 (新潮文庫)

 

 

連載マンガは処女作と2作目を比較することで作家性が見えてくる?

最近マンガ家の処女作と2作品目を比較することにはまっています。
いろいろなマンガを読み比べているのですが、その中でも『脳嚙ネウロ』と『暗殺教室』の松井優征先生と、『アイシールド21』と『Dr.STONE』の稲垣理一郎先生が圧倒的に面白く感じます。
東村アキコ先生の場合『海月姫』の蔵之助や『東京タラレバ娘。』のKEYというように、たいていのマンガで恐らく作者が自分自身を投影しているのだろうなという共通の特徴を持ったキャラクターが登場します。
松井先生の場合『脳嚙ネウロ』のネウロと『暗殺教室』の殺せんせーに「圧倒的な能力を備えた異形の者」として登場し、稲垣先生だと『アイシールド21』の蛭魔妖一と『Dr.STONE』の千空に「合理的で偽悪的だけれど、裏では努力家で仲間思いな奴」という形で登場します。
正直、両先生が自分を投影させている(と僕が勝手に思っている)性格は、それほど一般ウケするものではありません。
どちらかというと理解されにくい、少なくとも主人公には向かないタイプのキャラクターです。
それを承知していたからこそ、両作者ともこうしたキャラクターを主人公を助けるサポートキャラとして忍ばせることにしています。
一方で松井先生も稲垣先生も2作品目では堂々と自分を投影しているキャラクターを主人公にして、設定の工夫で魅力的なキャラクターに昇華させています。
1作目と2作目を対比させると、このことが如実に表れているようで面白いのです。

「師」としてのネウロと「乗り越える存在」としてのころせんせー

まず、松井優征先生の『脳嚙ネウロ』と『暗殺教室』についてみていきたいと思います。

『脳嚙ネウロ』の表面的には主人公桂木弥子の助手、実際は主人公を導くものとして登場します。
暗殺教室』の殺せんせーの場合も同様に、E組みというエリート学校で様々な差別を受ける生徒たちの先生として登場します。
どちらのキャラクターも人を導く者という立ち位置で登場しますが、処女作の『脳嚙ネウロ』と2作目の『暗殺教室』では、その展開が決定的に異なります。
『脳嚙ネウロ』では、ネウロは圧倒的な力を持っているがゆえに、最後の方は主人公が物語に入り込む余地が殆どありませんでした。
(もちろんXiとのやりとりなど、見せ場はありましたが、あくまで話の源流ではありません。)
強大な敵を倒した反動で衰弱しきったネウロが弥子に別れを告げて魔界に戻り、その後時間が流れ成長した弥子が事件を解決しているというのが最終話。
主人公(人間)の能力に驚いたというセリフはありますが、あくまでネウロは最後まで相容れない存在としてそこにあるだけでした。
それが『暗殺教室』になるとさらに一歩踏み込んで、自身は「最後に乗り越えられる存在」として描かれます。

詳しくは以前こちら(https://shimirubon.jp/columns/1675399)で書いたので割愛しますが、殺せんせーは第一話で「卒業までに自分を殺せ」、すなわち「卒業までに自分を超えてくれ」ということを子どもたちに語っています。
処女作ではただただ圧倒的な存在として登場していた作者が、2作目では先生という位置づけを以って、他者を成長させる踏み台として描かれるわけです。
こうすることで、極端な個性をそのままにしっかりと読者の指示を得られる主人公を成立させています。

「他を活かす存在」としての蛭魔妖一と「プレイヤー」としての千空

アイシールド21』の単行本のとあるコーナーで、作中に登場するそれぞれのアメフトチームの代表に「もし今日が地球最後の日だったら?」と尋ねるコーナーがありました。
それぞれのキャラクターが「らしい」ことを言う中で、蛭魔は「最後の日にならないよう、あらゆる可能性を探る」と言っています。
この蛭魔のセリフはそのまま『Dr.STONE』での千空の生き方に投影されています。
切り口や見せ方はまるで違いますが、まるまる考え方や性格がかさなる蛭魔と千空。
稲垣先生も2作目で自分を投影したであろうキャラクターを主人公に持ってきています。

アイシールド21』では、蛭魔妖一というキャラクターはチームメイトを時に(乱暴な方法で)励まし、時に(乱暴な方法で)叱咤するチームの精神的支柱のような存在でした。

だからこそ、殆ど「弱さ」を見せませんし、だからこそ他のキャラクターを活かすことができたのだと思います。
確かに、その描かれかたや行動で派手さは演出されていましたが、全体を通してみれば蛭魔そのものがいい場面を持っていくということはそう多くありませんでした。
あくまで他のキャラクターのよさを際立たせるための「監督」的な立ち位置が『アイシールド21』における蛭魔です。
それに対し、『Dr.STONE』では堂々と主人公に千空という、ある意味で蛭魔に良く似たキャラクターを持ってきています。

しかし、千空の場合は蛭魔と違い、徹底的に弱音を口に出しますし、誰よりも努力する姿が描かれます。
蛭魔と比べて、非常に「人間味」に溢れているのです。
千空のこうしたキャラクターと、文明が滅んでしまった世界に科学文明を復活させるという突飛な設定のおかげで、一般ウケしなさそうな(サポートキャラ的な)性格を持つ千空と
いうキャラクターが主人公として成立していると思うのです。

邪道キャラを主人公にするための設定の工夫

両作品を通して感じるのは、我の強いキャラクターを主人公に置くことの難しさです。
ルフィにナルト、黒子にデク、ゴンもサイコーも一護もツナもエマも、主人公は基本的にどこかしら共感しやすい部分を持っています。
こうした主人公に比べ、殺せんせーにろ千空にしろ、二人の作者の主人公の場合(暗殺教室の主人公をカルマと考えれば話がまた少し変わってきますが…)、共感という観点でいけば少し難しく思います。
それでも主人公として成立しているのは、設定そのものを主人公の「邪道さ」に負けないくらいに濃くしてあるからだろうし、「邪道さ」に負けないくらい魅力的に映るような心情を見せてくれるからだと思います。
こうした事が、1作目と2作目を並行しながら読んでいると如実にわかり、非常に面白い発見が多々あります。
処女作と2作目の読み比べ。
皆さんもぜひやってみて下さい!

2017年関西外国語大学外国語学部スペイン語一般前期「一休ばなし」現代語訳

古文の現代語訳です。

赤本に載っていないので訳してみました。
急いで訳しているので細かな違い(時に大きな読み間違えがあるかもしれません..)はご了承下さい。
また、あくまで話の筋を追うことを第一に訳しています。
そのため、文法事項や敬語はあえて無視しているところがあります。
随時アップしていく予定ですので、よかったらご参照下さい。

一休和尚は、奈良のたき木というところに時々いらっしゃった。
周囲の村は近衛殿のご領土であったのだが、そこにいた左近尉という家老がいて、百姓から年貢をやたらと責め立てて無理やり取るため、百姓たちはこれを嘆き、どうしたらよいだろうと集まって悩んでいた。
1人の老人が「いかに百姓に対してのあたりが強いと言ったって、武士とはかなり違うはずだろう。彼らは公家なのだから、訴えを申してみよう」と言って、訴状を書こうとしているところに、ふと一休が鉢を手にお布施を貰いにやってきた。

百姓たちが一休に「訴状を一筆お書き下さい。」と頼んだところ、一休は「簡単なことです。それでどのような内容を書いたら良いのでしょう。」と言った。
百姓が「こうこうの事がありまして..」と一休に事情を話すと、「そのようなことでしたら長い文は不要でしょう。これを持って近衛殿へ渡してみなさい。」と言って、歌を詠んで渡した。

世の中は 月にむらくも はなに風 近衛どのには 左近なりけり
(月にかかる群雲に花を散らす風というように、世の中にはそれぞれのものに都合の悪いものがついて回るものですが、近衛殿にとってはそれが左近尉であるように思うのだなあ)
読んだ歌を渡された百姓たちは、「このような内容で厳しい年貢の取立てを免除してもらえるとはとうてい思えない。」と一休に申し上げると、「ただただこの歌だけを近衛殿に奉げてみなさい」と言われて帰ってしまった。
百姓たちは各々でどうするべきかと考えたけれど、本より農業をしているような人たちで、一筆書き上げるようなこともできなかったので、しかたなくこの歌を持っていくことにした。
百姓たちがこの歌を近衛殿に渡すと、近衛殿は御覧になって「これは誰が書いたものだ」と聞いてきた。
百姓が「たき木の一休でございます。」というと、「あのおどけたことばかりをする者でなければ、こんな事を言うひとを私は知らない。」と面白がって、百姓たちは年貢の多くを免除してもらえることとなった。

 

関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部 (2018年版大学入試シリーズ)

関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部 (2018年版大学入試シリーズ)