「カリスマは近くにいる人を不幸にする。」
僕のライフワークは「天才を作ること」で、そのためのサンプルとしてカリスマ性を持つ人たちの話をよく聞きます。
また、イベントを立ち上げたり、一緒に活動をしたりということも少なくありません。
その度に感じるのが、カリスマは広範囲の人を楽しませる代わりに、身近な人を不幸にしているなということ(笑)
岡田斗司夫さんはこれを「原子力発電所」と呼んでいましたが、まさにそんな感じ。
遠くにいる人たちにまで多くのエネルギーを供給してくれるけれど、身近な人には少なからず被害があるし、何か癇癪を起こした時に大変。
僕が知る限り、カリスマ性のある人はその規模は別として、例外なく周りに迷惑を撒き散らしています。
ただ、これはある意味当然のことで、そうでなければ何かをゼロから立ち上げたり、何もないところに人を惹きつけることなんてことはできないんですよね。
人並み以上のエネルギーがあるからこそ、多くの人を惹きつける。
で、あるならば、そのエネルギーを直に浴びるような距離にいる人は、当然受け止めなければならない負担が大きくなる。
カリスマの近くにい続けるには、その覚悟が必要なのだと思います。
また、カリスマ性があって人を惹きつける人は、たった1人の人を幸せにするみたいな人間づきあいができません。
僕はこれを少年漫画原理と呼んでいるのですが、カリスマ性のある人は「大切な人だからこそ1番後回し」にしてしまうのです。
これは決してぞんざいに扱っているわけではありません。
「お前は1番大切だから、俺と一緒に辛い目にあってくれるよな」というようなマインドからきています。
例えば、何かを企画したりしたとして、そこに来てくれた人々を丁重に「お客さま」として扱う。
だからこそ当然近しい人の扱いは、それと比べれば雑になります。
なぜなら近しい人たちは「お客さま」てはなく「身内」だから。
この辺を意識せずに、お姫様願望でカリスマ性のある人に近づくと、かなりの割合でうまくいかなくなります。
カリスマにとって「お客さま」と「身内」は明確に違うものだから。
カリスマ性を持つ人たちの2つの特徴を踏まえると、カリスマの横に立つことのできる人、あるいはカリスマの横に立っても飲み込まれずに戦える人のタイプは自ずと決まって来ます。
まず大前提で、ファンではなく、身内として接することができるということが必要です。
カリスマ性のある人に好かれたいとかだと絶対にムリ。
そういう人は彼らにとって「いいお客さま」なのです。
そんなポジションのまま「身内」ぶられるのが1番嫌われます。
カリスマ性のある人の近くにいるにはまず、その人に好かれたいという気持ちを振り払って、その上で「その人のカリスマ性が多くの人に伝わること」を自分の目標にしなければなりません。
これが大前提。
その上で、カリスマ性を持つ人の大きすぎるエネルギーに向き合う術を持っていなければなりません。
僕はこの手段には2つあると思っていて、1つは膨大なエネルギーを受け止めるだけの懐の深さを持っていること。
他の人よりダイレクトにエネルギーが降りかかるのだから、人並み以上の許容力があればいいわけです。
僕はこれを弥勒菩薩タイプと呼び、この方法でカリスマの側近を勤めている人を何人も知っています。
もう1つの方法は、どんなに強いエネルギーに当てられてもブレないくらいに大きなエネルギーを自分自身が持っている場合です。
この場合、どんなにエネルギーに当てられても、流されたり潰れたりすることもなくやっていくことができます(まあしばしば揉め事になりますが...)
僕はこの手の人を不動明王タイプと呼んでいる。
このいずれかならば、カリスマの持つカリスマ性に接してもうまくやっていけます。
逆に言えばそうでない場合、必ず大なり小なり不幸になる。
太陽に憧れて近づきすぎて翼が燃えた、イカロスのようになってしまうわせです。
そういう人はカリスマの横に立とうとしないで、観客席の最前列くらいで見ておいたほうがいいです。
カリスマの横にいるのは途轍もなく人生が楽しくなるけれど、想像以上に大変だよ。
そんなことは重々承知という人でなければ、カリスマの隣にたつ最愛の人や参謀は務まらないのだと思います。
アイキャッチはMr.カリスマのローランド(笑)