僕は熱量が大きな人が大好きなのですが、一方でアツい人が苦手だったりします。
で、友達にこの事を言うと「矛盾してへん?」と言われてしまうので、今後知り合いに説明するためにも、僕にとっての「熱量の大きな人」の定義をまとめてみようと思います。
僕にとって、熱量の多い人とアツい人は明確に違います。
熱量の多い人=アツい人というのではなく、熱量の多い少ないという評価軸とアツい/冷静という評価軸の2つが組み合わさった平面のイメージです。
したがって僕は人と接するとき、その人のことを以下の4分類で考えます。
①アツい性格で熱量が多い人
②クールな性格で熱量が多い人
③アツい性格で熱量が低い人
④クールな性格で熱量が低い人
僕が好きなのは①か②のパターンで、その人の性格的な「アツさ」は関係ありません。
っというよりむしろ「アツい」人は苦手なタイプ(笑)
僕は熱量と性格は全く違う評価軸のものだと思うのですが、多くの場合これが同一の尺度で測られている気がするんですよね。
それ自体は別に構わないと思うのですが、採用や人事評価の場、或いは一緒に何かを運営するときなどは本来エネルギー量の多い人が求められている分野において、この性格とエネルギー量がイコールで結びついた形で評価されるのはどうなのだろうと思います。
こういった場面でエネルギー量多い人がアツい人と思われるというのは、評価において問題ありません。
逆にエネルギー量が低い人がクールな性格に見られ、それが判断として低い評価となるのも構わない。
しかし、問題はこの逆の評価が生じてしまう場合です。
例えば、性格が熱量を表すものだと考えている人がいたとします。
その人からすれば、アツい=熱量が高い、アツくない=熱量が高くないという評価になってしまうのです。
この考え方だと、そもそもアツいだけで熱量が低い人という可能性にそもそも視野が向かないため、結果として結果といて全く熱量の高くない人を集めてしまいがちです。
こうした可能性があるので、僕は性格とエネルギー量は分けて考えるべきだとおもうのでうす。
では、どうやったらエネルギー量の多い・少ないを確認することができるのでしょうか。
僕は昔から、その人のエネルギー量の多きは、性格的なアツさとまるで関係ないと思っています。
エネルギー量はただ、①どこまで気付いているか、②どこまで考えているか、③どこまで行動しているかの3点のみで測られる。
これが僕の持論です。
これらの指標には性格的な「アツさ」は関係ありません。
エネルギー量の低い人がエネルギー量の高くなりたくて自己啓発本等をみても熱量は上がりません。
自己啓発本で手に入るのは「やる気」であり、熱量を構成する要因では無いからです。
熱量を上げるには①特定の分野で気付く感度を上げる、②その分野に関して考え抜く、③特定の分野に関して行動する、の3要素に尽きます。
熱量と性格をリンクさせないように見ることは、自分自身の熱量を上げたいと思うときにも役に立つ考え方であるように思います。
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