新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



有縁社会の縛りと無縁社会の秩序

「素顔同盟」の主人公はどうなったのか?

「......きみたちも現在,義務として仮面を着用しているわけだが,不便を感じたことがあっただろうか。考えてもみなさい。もし,きみたちが仮面をはずし,喜怒哀楽をそのまま表したりしたら......。この世は大混乱に陥るだろう。人は憎しみ合い,ののしり合い,争いが絶えなくなるだろう。いつもニコニコ,平和な世界,笑顔を絶やさず,明るい社会。仮面はわたしたちに真の平和と自由を与えてくれたのだ......。」

ぼくは友人にきいてみた。

「先生の今の話,おかしいと思わない?」

(すやまたかし『素顔同盟』)

僕が大好きな小説『素顔同盟』の1冊です。

この作品の世界では、争いや揉め事を無くすため、すべての人間が外に出るときは常に笑顔に見える仮面を被っていなければなりません。

学校の先生や友人など主人公の周りにいる人々は、この「仮面」のおかげでヘタないざこざがなくなってよかったと思っています。

でも主人公だけは違う。

笑顔の仮面の裏のホンネを見せないままに成り立つ世界に(そしてそれに疑問を持たない周囲の人たちに)、非常に違和感を抱いています。

ある日主人公はそんな窮屈に耐えきれなくなって、川のほとりでこっそりと仮面を外してしまいます。

この作品の世界で人に見られる可能性のある場で仮面を外すのは許されない行為。

それでも主人公は耐えきれなくて外してしまうのです。

そんな仮面を外した主人公の前に一人の女性が現れます。

仮面を外したところを人に見られたと恐れたのですが、その女性も仮面を外していました。

一瞬の出会いの後、彼女はふっと消えてしまいます。

そんな出会いから数日、学校ではどこかに仮面を外して暮らす人たちがいるという噂が流れていました。

主人公はその話を聞いて、誘われるようにその集団の元へ向かっていくのです。

 

「素顔同盟」をすごーーくざっくりとまとめるとこんな感じ。

(いい加減すぎるので、ぜひこちら素顔同盟 - 教育出版で全文を読んで見て下さい)

当時子供だった僕は、主人公の抱く違和感に非常に共感したのと同時に、その後の主人公はどうなったのかということが、ずっと気になっていました。

 

進撃の巨人」と壁の向こうというモチーフ

僕がゼロ年代を象徴する作品をあげて欲しいと頼まれたら間違えなく挙げるであろう作品の1つに進撃の巨人があります。

巨大な壁に守られた世界で生活していた人々の前に、ある日突然大型の巨人がやってきて、その壁を壊して平穏な生活をする人々の世界に侵入します。

そして次々とそこに住む人々を襲い、人々はどんどんと食べられてしまう。

そんな衝撃的なシーンから始まる進撃の巨人ですが、当時の僕はこの「突如外部から壁を壊される」というモチーフが、その頃の情勢と合致していて非常に面白いなと思っていました。

当時の僕は、震災だとかグローバル化による海外との接点の急増だとか、そういうものに対する不安が(作者の意図に関わらず)象徴的に描き出されているように思っていたのです。

 

そんな風に思って読んでいた進撃の巨人ですが、少し停滞期を迎えていたのと、仕事が忙しくなってマンガに触れる機会が激減していたのとが重なって、13巻くらいから読むのが止まっていました。

そして、最近久しぶりに読み返すことがあった(というか絶賛読み返し中)のですが、読み返した僕の中にはもう1つ別の文脈で見る進撃の巨人があったのです。

それが「素顔同盟」に出てきた仮面に疑問を持たない人々と、仮面を外して生きる人々の2つの世界の断絶です。

僕には巨人の住む世界が、素顔同盟における仮面を外した人々が暮らす世界であるように思えたのです。

 

「楕円幻想論」と「賭ケグルイ」に出てくる無縁社会の秩序

僕が昨年読んだ本の中で、かなり影響を受けたものの1つに平川克美さんの『21世紀の楕円幻想論 その日暮らしの哲学』があります。

この本に出てくる「無縁社会」という考え方が非常に面白いなと思いました。

僕たちが「普通」に暮らしている社会は、様々な人との繋がりで成り立っている、いわば有縁社会です。

そこでは困った時や大きなアクシデントに見舞われた時に手を差し伸べてくれる様々なセーフティネットが存在しています。

他方、そうした「普通」の社会からはみ出してしまった人がいるのが無縁社会です。

ヤクザやその日暮らしの人たちがそう。

「普通」の側からそうした人たちを見たら、そこは困った時に頼れるセーフティネットのない、荒涼として絶対に足を踏み入れるべきではない世界に見えます。

しかし、実際にそこに属する側となって見ると内情は異なり、確かにそこには有縁社会でいうセーフティネットは存在しないけれど、確かな秩序が有るのです。

楕円幻想論では、筆者の経験を踏まえて、こうした「無縁社会の秩序」が描かれています。

 

僕は『賭ケグルイ』という漫画作品のテーマは極めてこれに近いのではないかと思っています。

賭ケグルイ』には主人公の女の子がギャンブルで競り勝つことで学校生活を生き抜く様が描かれていますが、そのギャンブルの構造を見ていくと、必ず無縁vs有縁という形になっています。

(いうまでも無く主人公は無縁社会の側です)

この作品では、無縁社会の論理で生きている主人公が、有縁社会で勝ち残った様な人たちとギャンブルを通して戦い、そして勝つことで物語が成立しているのです。

もちろん主人公が有縁社会で勝ち抜いた敵を倒していく爽快感はもちろんですが、また1つ僕はこの作品の中で興味があることがあります。

それは、(敵味方を問わず)元々は有縁社会で疑問を抱えていた人間が無縁社会の扉を叩く瞬間が多数描かれている部分でした。

この作品では主人公の夢子とギャンブルをすることになった相手が、度々それまで当人が守ろうとしていた全てを捨ててギャンブルに向かう様が描かれます。

物語の構成上、出てくる敵が敵である以上、確かに夢子の破れ、それこそ有縁社会では再起不能なほどのペナルティを追うのですが、この作品ではそんな状態に陥った敵にも救いの場が与えられています。

それが無縁社会的な秩序の中での救いなのです。

賭ケグルイという作品の中では、どんなに重いペナルティを追って、「普通」の社会(有縁社会)ではもう生きていけなくなった様な人たちでも、必ず無縁社会の理論の中では生きていく術が与えられています。

逆に、最後まで有縁社会的な戦いにこだわる人は絶対に主人公たちには勝てないし、そこには救いも用意されていません。

僕はこの、全てを賭けて勝負をして、それで負けて全てを失った人間でも生きられるというのを描き切ったというのがすごいと思うのです。

 

縁の無い世界とそこにある秩序

僕の中では「素顔同盟」「進撃の巨人」「賭ケグルイ」はどれも同じカテゴリに含まれる作品です。

それらは僕にとって有縁社会の外にある無縁社会というテーマでつながっているのです。

「素顔同盟」では有縁社会の違和感に耐えられなくなって無縁社会に向かう主人公の姿が、「進撃の巨人」では断絶された有縁社会と無縁社会の距離が、そして「賭ケグルイ」には無縁社会の側の秩序が描かれている様に思います。

僕はこの「無縁社会」という部分に共感を持つ人々が一定数いると考えています。

有縁社会の側から見れば恐ろしく無秩序で、救いのない非常に怖い世界に見えるけれど、実はそこにはしっかりとした秩序がある。

素顔同盟で思わず仮面を外した主人公は、仮面を被っている人たちの論理からすれば非常に恐ろしい世界に行ってしまったように見えるけれど、実は本人にとっては生きやすい、そちら側の秩序があるところに行って、それなりに幸せに暮らしているんじゃないか。

色々な作品と、そこに出てくるモチーフのトレンドを見て、10数年越しにそんなことを感じました。

 

 

アイキャッチ賭ケグルイ