新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



あなたはどれくらい生きづらい?〜文学作品で生きづらさレベルを測定する〜

I am GOD'S CHILD 
この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field?

こんなもののために生まれたんじゃない

 

私はこんな世界に産み落とされた神の子、こんな世界でどう生きたらいいの?

そんな攻撃的な出だしから始まる鬼束ちひろさんの代表作『月光』。

エラく歯切れのいい生きづらさの告白だなあと思う一方、「密かにギュッと抑えていた『周囲に溶け込めない』という直感レベルの想いをよくぞ言ってくれた」というように思った人もいるのではなきでしょうか。

僕自身この手の周囲に溶け込めない「感じ」を表した作品がとても好きだったりします。

音楽や映画の中にもこう言ったテーマを表すものは、それこそ数限りなくありますが、こういった気持ちを探すのならば僕はやっぱり文学なのかなと思います。

 

周りに対する「生きづらさ」を書いた作品という括りで僕の頭に浮かぶのは①すやまたけしさんの『素顔同盟』、②山田詠美さんの『眠れる分度器』、そして③太宰治さんの『人間失格』です。

僕は①→③に向かうに従って、周囲に溶け込めないことに対する苦悩が増えていっているように思っています。

そんなことから僕はこの「生きづらさ3部作」のどれに共感をするのかで、その人の拗らせ度合いが分かる(笑)と思っているのですが、皆さんはどれに共感をするでしょうか?

 

①生きづらさ度合い 軽症(すやまたけし『素顔同盟』)

教育出版の国語の教科書に掲載されていた(されている?)すやまたけしさんのこの作品。

その朝も目を覚ますと仮面をつけ,鏡に向かった。にせものの笑顔がそこにある。人工的すぎる,口もとだけでしか笑っていない。その他の部分は,目もほおも無表情ですらある。そしてなによりも,その無個性な笑顔はみんなと同じなのだ。人と同じであることは幸福なのだとみんなは言うが,ぼくはそれに息苦しさを感じている。

こんな風に始まる素顔同盟の世界では、人と人の間に争いが起きないように人前に出るときは誰もが「笑顔の仮面」をつけなければならず、そのことを主人公が通う学校の先生も友達もみんな素晴しいことだと考えています。

そんな中、主人公だけは「本音を出してはいけない状態で幸せ」ということに疑問を感じている。

しかし周りにはそんなことを思う人はおらず、そんな学校生活に生きづらさを感じています。

ある日そんな窮屈さに耐えられなくなった主人公は、「人前に出るときは仮面を外してはいけない」という法律を破り、河原でそっと仮面を外すのですが、その場面をある女の子(だったはず...)見られてしまいます。

「しまった!」と思ってその子を見たら、その子もなんと仮面をつけていなかったのです。

そして、仮面をつけることの生きづらさに耐えられない人の集まる場所があると聞いて、主人公はその子についていってしまいます。

 

作品のあらすじはザッとこんな感じです。

おそらく学校にしろ社会にしろ、この主人公と同じような生きづらさを感じる人は少なくないのではないでしょうか?

本気で笑顔の仮面がいいものだと信じる先生、そして生徒たち。

そんな周りの人たちよりも少し色々なことに気づけてしまうからこそ、生きづらさを感じてしまう主人公。

この主人公に共感を覚える人は少なからず生きづらさを感じているはずです。

 

②生きづらさ度合い 中 山田詠美『眠れる分度器』

すやまたけしさんの『素顔同盟』よりももう少し尖っているのが山田詠美のさんの『眠れる分度器』です。

主人公の時田秀美は、周りの子供たちと比べるとエラく大人びた小学5年生。

小さい頃から自分らしさを貫く人たちを見てきたこともあり、学校という「社会」から学ぶべきことが多いと思っている担任の先生やそこが社会の全てである子供たちにはうまく溶け込めません。

頭がいいが故に周りに溶け込めない。

そんな生きづらさが描かれます。

そこに、「尊敬に値いするもの」というラベルの扱い方を、上手い具合に、組み込んでいた。それ故、子供たちは、そのラベルを剥がすのが、自分に困難をもたらすことに等しいと、本能的に悟っていた。親しみ深い教師は、何人も存在していた。彼らを見つけ出すたびに、そっと、子供たちは、ラベルを剥がしてみる。そのことが、教師を喜ばせ、休息を伴った自らの地位の向上に役立つのを知っていたからだ。しかし、糊は、いつも乾かさないように注意している。生暖かい唾を広げて、不都合を察知すると、すぐに、休息を封印する。教師に忌み嫌われる子供は、その方法を、知らないのだった。習得してしまえば、これ程便利なものの存在に気付いていないのだった。鈍感さのために。あるいは、知ろうとしない依怙地さのために。賢い子供たちは、前者を見下し、後者を排斥する。

周囲よりも一回り大人で、学校の外に広がる本当の社会を見ているからこそ感じる教室という「社会」の「嘘っぽさ」。

秀美は(勉強ができるという意味ではなく)頭がいいが故にその事に気付いてしまい、大人びているが故にラベルを剥がしたりつけたりして、先生を慕っているというフリをするごっこ遊びなんてできむせん。

これが秀美の生きづらさ。

頭がいいからこそ見えてしまい、頭がいいからこそそんな茶番に付き合えない。

そういう気持ちを持っている人の生きづらさはここに該当します。

 

③生きづらさ度合い 重症 太宰治人間失格

『素顔同盟』でもなく、『眠れる分度器』でもない人が共感するのかなと思うのが太宰治の『人間失格』です。

この作品に出てくる主人公の葉蔵は生きづらさの極致を行っているように思います。

これを超えている人はそもそも社会で生きていけていないか、一周回って自由に生きているような気がします(笑)

主人公は幼少期から人の本音のようなものに対する恐怖感があり(というか根本的に理解ができない?)、それ故にいつも道化を演じています。

自分は子供の頃から 、自分の家族の者たちに対してさえ 、彼等がどんなに苦しく 、またどんな事を考えて生きているのか 、まるでちっとも見当つかず 、ただおそろしく 、その気まずさに堪える事が出来ず 、既に道化の上手になっていました 。つまり 、自分は 、いつのまにやら 、一言も本当の事を言わない子になっていたのです 。

あまりにも周りに感じる違和感がありすぎると、この主人公のように徹底して道化を演じ、逆に人に合わせようとするようです。

しかしそれは、決して周りに溶け込めているのではないので、そんな自分に対していつも葛藤があり、実際に葉蔵はついに人の心に対する恐怖が無くなることはなく、アル中になり、そしてモルヒネをやめられなくなり、やがて精神病棟に入れられてしまいます。

そこで主人公は自分が人間失格であると悟るのです。

 

『眠れる分度器』では頭がいい故に周りに溶け込めない生きづらさが描かれてきましたが、『人間失格』になるとさらに上を行き、あまりに周りが理解できないために、かえって道化を演じざるを得ない主人公が登場します。

太宰治自身にも数度の自殺未遂があることからも、おそらく本人にも周りがこう見えていたに違いありません。

道化を演じなければ周囲と関係を保てないレベル。

こちらに共感する人の生きづらさは重症というべきでしょう(笑)

 

 

という具合に、「生きづらさ」というテーマでぱっと思いつく作品と、その生きづらさ度合いをレベル別に分けてみましたが、皆さんはどこに該当したでしょうか。

きっとどれにも共感しない人もいるでしょうし、反対に『人間失格』よりももっとずっと深いところで絶望している人もいるかもしれません。

仮に①〜③のいずれかでピンときた人がいたら、その本を読んでみたら共感できるように思います。

 

冒頭で引用した鬼束ちひろさんは、初期の頃、2000年には、「こんな世の中でどうやって生きればいい?」と嘆いていました。

果たしてその「生きづらさ」はどのレベルでのものだったのでしょうか?

2013年(ちょうど奇抜なファッションや言動で注目を浴びていたころ)にリリースした『悪戯道化師』を見てみると、<心はいつだって偽物に〜溺れぬ本音や拍手という名のうわべで><暴かれるのは嫌 脱がされるのは嫌 そう このまま生きて行こうとも>と歌っています。

(http://j-lyric.net/artist/a000679/l02cda5.html より)

少なくとも僕には、間違えなく鬼束ちひろさんは『人間失格』と同じ生きづらさのレベルであったように思います。

 

みなさんの「生きづらさ」はどこですか?

 

アイキャッチは数ある人間失格の中でもこの表紙。

(僕はこの人も実は生きづらさレベルが高いのではないかなと思っています)

人間失格 (ぶんか社文庫)

人間失格 (ぶんか社文庫)