緊急事態宣言でさまざまな混乱が起きています。
まあ感染の拡大に対して何らかの対策を講じなければならないのはその通りなので、こういった状況になるのは仕方ないことなのかなあと思います。
(その内容の良し悪しには一切言及しません)
それはいいとして、個人的に気になる事があります。
飲食店のお酒の提供の禁止だったり、外で飲んでいる人に対する見回り&取締りといったこと、あるいは小池百合子さんが提案した電気を消そうといったもろもろの対策に関してです。
別に僕はその対策がエビデンスに基づかず、効果もないという愚かさを指摘したいわけではありません。
僕が気になるのはこうした「守る価値のないバカバカしい規制」を強要することで、人々の「ルールを守らねばならない」という当たり前の意識が欠けてしまうことの長期的なリスクの部分です。
ルールは守らなければ怖くない
僕はルールに対して①ルール内で行動する、②ルールを利用して行動する、③ルールを破って行動するの3種類があると思っています。
例えばドッヂボールならルールに則って試合を進めて勝ち負けを競うのが①、試合開始と同時に一番弱そうなやつをぶつけて後は味方内でパス回して時間切れを狙うのが②、ノーカウントの顔ばかり狙ってとにかく相手を潰すのが③みたいな感じ。
別にどのやり方でもいいわけですが、普通僕たちは①を行います。
なぜ僕たちが①を行うかといえば、それは僕たちがa.ルールをを守ろうという意識に加えて、b.互いに協力して社会を持続させようという意識があるからです。
極端な話あらゆるルールなんて、そのルールに乗っからなければなにも怖いものなんてありません。
「ものを盗んではいけない」という法律だって、極論「で?」と思う人にはなんの拘束力もないわけです。
それにもかかわらず僕たちがそれを守ろうとするのは、「罰則の重さ」という側面以上に「お互いに住む社会だからルールを守り合おう」という意識があるから。
僕は安定した社会の実現にとって、この遵法意識が非常に大切だと思っています。
ルールを守る必要がないことに気づかせる怖さ
頑張って予算を達成しよう→達成しなくても正社員なら首を切られない
学校の提出物をひたすら出さない→そのひとつだけでは留年にはならない
もちろんルールを守らなければ怒られるなどのペナルティがあるように見えますが、結論の部分の影響がほとんどない事が分かりきっていれば、それはただの騒音にすぎずどうって事がないと割り切る事ができてしまいます。
僕たちは普段ルールを守らなければならないということを当たり前としてきたわけですが、それらのルールの中には上のように守らなくてもどうにもならないものが少なくありません。
にもかかわらず、こうしたものも僕たちは守ってきた。
それはお互いの関係性を維持しようとお互いに考えていたからです。
今回の非常事態宣言に伴い、対象地域外に出かける人が続出しました。
これは冒頭のルールに対する向き合い方としては②のやり方です。
全てルールに則っているけれど、徹底的に穴をつくというスタンス。
あるいはお酒を持ち込み可能とする居酒屋もここでしょう。
そして爆発的に広がった路上飲みは一応控えることを要求されていたけれど無視しているという点で③といえます。
こうした現状をもってけしからんという人たちが多いですが、僕はこうした現状そのものが問題ではないと思うのです。
それ以上にまずいのは、一度ルールを利用する狡猾さを覚えてしまった②の人や、破っても問題のないルールがある事を知ってしまった③の人々は、今後も無意味なものに対してこう言ったスタンスをとり続けるであろうという部分。
非常事態宣言中の愚かな対策の数々の最大の問題は、国民に過度なストレスをかけることでも感染拡大を防げないことでもなく、国民全体の遵法意識を大幅に落としてしまう部分にあるというのが僕の考え。
バカ正直にルールを守るのではなく、その制度を利用したり、場合によっては無視した方が有利になるということは確かにこの社会には数多く存在します。
それはもちろんその通りなのですが、だからといってみんなが万事そんなスタンスでルールに向き合ってしまえばとんでもないことになる。
そうならないためにもルールには正しい効果と理由が必要なわけです。
(僕が学校の訳のわからない校則が嫌いなのもこういう理由)
僕は基本的にルールを利用するタイプの思考が好きな人間ではあるのですが、だからこそこういった観点から今の対策の数々はちょっとまずいのではないかなあと思ったりしています。
アイキャッチはルールを利用して勝ちきるスタンスを描いた賭ケグルイ