新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



今の熱量を未来の自分に託す意味

エントリを更新せねばと思いつつ、ついつい更新がまばらになってしまうこのブログ。

全盛期は月に30本以上あげていたのにここ数年は年間でそこに到達するかどうかというこの体たらく。

物理的に仕事が増えてきたというのはあるのですが、そんなことを言い訳にしてどうすんの?という気もしていて、久々に更新をしてみることにします。

 

さて、僕が突然こんな風に思ったのはとあるきっかけで読んだ自分自身の過去のコンテンツにこんなことを言っていたから。

「今時点の思考を残しておくと、将来のアイデア出しの時に、当時の自分も味方になる」

多分20代前半に書いた文章なのですが、たしかに僕は戦略面やアイデア出しの部分で、過去に書いたり話したり作ったりした自分の成果物から着想を得ることが少なくありません。

当時20代前半の何も知らないペーペーだった僕から、たしかに仕事のヒントをもらっているわけです。

(っていうか、時間を持て余していた分当時の方が頭のキレは良かった気さえします 笑)

 

僕はアイデア出しやマーケティングの戦略立案、授業のネタ作りの際に、しばしば過去の(もうかれこれ10年以上続けている)メモ帳を開いたり、ブログを読み返してアイデアの元を探したりということをしています。

若くてその業界のセオリーを知らないからこその仮説や着想がそこには残っていたりして、それが意外と役に立つのです。

こういった経験を、僕は特にアラサーに近づいたあたりからしばしば経験していました。

 

そんなときに上記の内容を書いた記事を読んで、たしかに当時の自分の見立て通りになっていて「やるじゃん青臭い自分」と、恥ずかしながら自分を褒めたくなる一方で、僕の頭によぎるのは、「じゃあ今僕が助けてもらっている過去の僕に今の僕がなったとき、将来の僕は参考にすることができるのだろうか?」という不安です。

宇宙飛行士への手紙みたいな言い回しになってしまいますが、今の僕の優位性が仮に過去の自分の思考の積み上げにあるとしたら、今の僕は将来の「僕」のためにアイデアの種を蒔いて置かなければなあと思うのです。

もちろんノートにメモは取り続けていますし、Twitterでつぶやいたりありがたいことに仕事は増えて離す機会は爆増しているので、その意味ではアウトプットは減っていないつもりです。

それでも、純粋なその時点での思考のストックという類のアウトプットはまるでできていないように思うのです。

これはよくないなあと。

 

今の自分が過去の自分に助けられているのなら、きっと未来の自分は今の自分に助けられるはず。

そう考えたとき、無理してでも将来の自分への「思考の投資」はしておかなければならない気がするのです。

 

特に今は、未曾有の疫災に一生に一度の祭が重なる局面。

この時点の熱量を、その時点を経験した人間として言語化しておくことは絶対に必要だなあと。

そんなわけで久しぶりにはてなブログを開き、Googleアナリティクスを見て、最近のトレンドを追いかけて見たりしています。

 

というわけで、久しぶりにブログを再開してみます。

一時期は人の役に立たなきゃなんて欲望と迷いによって、歌詞考察や仕事のライフハックみたいな、思考を使いやすい形に落とし込むようなことをしていましたが(そうするとアクセスが爆上がりする 笑)、そもそものコンセプトがそんなものではありませんでした。

僕がこのブログを始めた当初のコンセプトは、思考のゴミ溜め。

役に立つ思考は昔も今もソッコーでプロダクトに落とし込んでいます。

そうではなく、今は使えない(今の僕には使いこなせない)かもしれないけれど、将来なら活用できるかもしれないものを書き留めておくのがこのブログ。

というわけで、久しぶりに気負わない程度に再開したいと思います。

何度もこれを言っていますが、今回が1番実感がこもっているような気がします(笑)

よかったら今後ともよろしくお願いします!

 

アイキャッチは最近「へー」って思ったホモデウス