新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



サル化する人々と時間旅行という戦い方

Googleマップで時間旅行ができる

「このままGoogle Mapがデータを集め続ければ、Google Mapは時間旅行ができるようになる。」
僕が大学生のころに聞いた論の中で、もっとも感動したもののひとつがこのお話でした。

 

Googleマップで時間旅行ができる」なんて説明だけでは何のことか伝わらない気がするので、そのロジックをざっくりと説明します。

グーグルはストリートビューというサービスで今世界中の画像を3Dで持っている

→将来的にそれを用いてVR空間を作れば家にいながら世界中を旅行できるだろう

→ただし、グーグルが今から画像を集め続けていることの本当の強みはそこではない

→例えば何十年と世界中の画像を集め続けていれば、将来、「2015年のヴェネチア」とか「2035年のロシア」みたいに、場所だけでなく時代を指定してVRで世界を見ることが可能になる

→グーグルが早いうちから画像を収集し続けている本当の強みはここで、この時間資産だけは後追いでは集めることができないだろう。

 

なるほどなあと感じました。

 

「古都」は今から作れない

もう1つ、僕の中で印象に残っているエピソードがあります。

それは、元2ちゃんねる管理人の西村博之さんのことは今からは作れないというお話です。

 

例えばフランスのパリでは、イタリアのフィレンツェ、日本の京都などの地域は、何百年も前からの景観を保っています。

そして、その古くからの景観を求めて、世界中から観光客がやって来る。

仮に他の地域Aでこの「古都」という付加価値を作ろうとすれば、その構想が叶うのは何百年後になりますし、何より、その構想が叶って地域Aが古都としての評価を受けるようになったとしても、その頃にはパリやフィレンツェや京都は、「Aよりも何百年も古くからの景観を残した古都」となります。

古くからそこにあるということに紐付いた価値は、その古さの差分はどうやっても逆転できないわけです。

 

「時間差」という差別化戦略

僕は大学生のころ、ちょうど同時期にこの2つの話を聞き、長期的な目で見たときに、「時間差」という差別化戦略が、最も強い戦い方なのではないかと直感的に考えるようになりました。

Googleマップのようなサービスは他の企業もできるかもしれないですし、Googleマップよりも膨大で高画質な画像を集めることができる企業も出て来るかもしれませんが、それらの企業がGoogleマップが持っている画像よりも前の世界の画像を撮ることはできません。

パリやフィレンツェよりも大きな歴史価値が評価される都市が今後うまれるかもしれませんが、その都市は古さという点においてパリやフィレンツェを上回ることはできません。

戦術の中に「時間軸」をいれた瞬間に、絶対に逆転されない戦い方が生み出せるように思ったのです。

その戦略は、直近数年の結果を追い求める際にはまるで役に立たない。

でも、10年、20年というスパンで見たとき、その積み上げは絶対に逆転されない。

当時3回生とか4回生だった僕は20代で結果を出すことを捨て、30代40代で逆転されない時間差という価値を取りに行こうというようなことを漠然と考えていました。

 

サル化する人々と「脱サル」戦略

先日、内田樹さんの『サル化する世界』という本を読みました。

タイトルにある「サル」とは、人をバカにするための言葉ではなく、中国の故事成語「朝三暮四」からとってきた言葉だそう。

朝三暮四は宗という国にいたサル使いのお話です。

狙公という男は猿を可愛がり大切に育てていたのですが、生活が貧しく、食料を思うように得られません。

ある日、狙公は猿に「朝の食料はトチの実を3つ、夜は4つに減らさせてくれないか」という提案をしました。

すると猿は怒ります。

それを見て狙公は「それならば朝の食料はトチの実4つ、夜は3つでどうか」と提案したところ、猿はよろこんで喜びました。

朝三暮四をざっくりとまとめればこんなお話。

朝三暮四という言葉は、ここから目先の結果にとらわれ、結果が同じことに気がつかない様という意味で使われています。

内田先生はこのエピソードに出てくる「目先の利益にとらわれたサル」に現代人を例えて、我々は目先の利益ばかりを追うようになってはいないか?ということをしてきしていました(やっぱり皮肉には違いありませんね 笑)

 

言い方は内田先生らしく、非常にひねくれていますが、僕もこの指摘は本当にその通りだなあと思います。

今はとにかく夢や目標、KPIやマイルストーン、中期戦略という言葉に見られるように、「短期間の指標」に目が向きがちです。

僕は別にそれが悪いことだとは思わないのですが、いわゆる4半期の結果で判断される勝負、1〜2年の結果で勝とうとする勝負では、どうしても速さと量と強引さという部分で差別化するくらいしか方法がないように思うのです。

別にそれで戦い続けるのもいいかもしれないですが、1人くらいそのスピード感以外の戦い方をしてもいいような気がします。

 

そこで僕が思い出すのが先に挙げたGoogleマップや古都のお話です。

直近の結果には直接的な影響を与えないけれど、10年20年というスパンで見たときに、自分の武器になる道具を残すという思考。

内田先生の言葉になぞられるなら、「脱サラ」ならぬ「脱サル」が、長期的な視点で見たときに優位な戦略なんじゃないかと思うのです。

 

思考の時間旅行という武器

僕は漠然と10年後に使える武器を貯めようと思った大学3年生くらいから、ブログを始めました。

何年も後に振り返ったとき、当時の僕の思考にアクセスできたら、経験を積んだ何年後の自分には思い付かないようなアイデアが溜まった僕のネタ帳になるかなと思ったからです。

(余談ですが、ヒカキンさんも始めのYouTubeで似たような事を言っていた気がします)

あるいは、僕は自分の授業で、誰がどの問題をどう間違えたとか、音読でどこで引っかかったみたいな、絶対に他に記録が残っていないような瑣末な情報をずっ定量的に把握するようにしています。

こうしたデータの収集手法はデジタルやAIの強いところですが、「彼らが入る前」のデータは僕だけの価値だと思うからです。

 

話がややこしくなるのでブログに絞りますが、僕は広報の戦略や企画を寝る際、あるいは授業準備をする際に、自分のブログをよく見返します。

そうすると、8年分くらいの僕自身がしてきた思考が残っているわけです。

もちろんその大半は役に立たないものなのですが、中には「確かにそんな考え方もしていたな」と思うものに出会うこともあります。

こんな風にしてアイデアを作る際、僕は「8年分の自分の思考」を引き連れて戦えるわけです。

もちろんそんなことしなくても経験値は積まれていると反論されるかもしれませんし、それはその通りです。

しかし、その当時の本当に些細な興味や、ハマっていた熱量みたいなものは、当座ほどには覚えていないと思うのです。

そんな些細な武器の積み上げがまさに、何十年の蓄積の強みなのかなと思っています。

社会に出るとビジネスの文脈での思考が当たり前になり、どうしても殆どの人がこう言った何十年という視点は忘れがちになります。

だからこそこういった「どうでもいい記録」を残しておくだけで、結構強い武器になるようなきがしています。

この記事もまた、未来の僕への投資だったりするわけです。

 

アイキャッチ内田樹先生の『サル化する社会』

サル化する世界 (文春e-book)

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