新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



雰囲気イケメン・雰囲気美人になるための5大メソッド〜ガハハハハって笑ってはいけない

誤解を恐れずあえていえば、やっぱり僕はイケメンが好きだし、美人さんが大好きです(笑)

もちろんここで言うのはルックス的なイケメン・美人ではなく、雰囲気イケメンや雰囲気美人のこと。

彼らをみていると、本当に勉強になるところが多いのです。

 

雰囲気イケメン、雰囲気美人とは飛び抜けてルックスがいいというわけではないのに、一緒にいるとそう感じてしまう人たちのこと。

人のかっこいい・かわいいの評価は、ルックスと醸し出す雰囲気の合計値で表されるというのが僕の持論。

僕はイケメン・美人について、ルックスと雰囲気でそれぞれの持ち点を495点ずつ、990点満点で測れると考えています(笑)

このTOEICメソッドで行くところのルックス分495点は、先天的なもの。

ファッションや立ち振る舞い、化粧や髪型のセットである程度変えることはできますが、絶対値は決まっています。

(これを僕は絶対的イケメン指数と呼んでいます)

それに対して、雰囲気の方は意図的に変えることのできるもの。

絶対的イケメン指数に対して相対的なこちらの数値は、意識次第で満点を目指すことができます。

つまり、ルックスが平均値の250点くらいの人でも、雰囲気が満点であれば250+495点で、745点という高得点を取れるわけです。

逆にいえば、身近な人たちの中で群を抜いてカワイイ人であっても、性格や振る舞いといった雰囲気の部分が完全に崩壊していたら500点くらいに収まってしまいます。

雰囲気イケメン雰囲気美人戦略は、こうした人たちを総合力で上回るために有効な戦略なのです。

 

ここからは、僕がライフワークとして行っている、雰囲気イケメン・雰囲気美人研究の中で得たデータ?をもとに、相対的イケメン指数を上げるための具体的な戦略をまとめていきたいと思います。

僕が考える雰囲気イケメンの5大法則は以下の感じです。

①話すときにマウンティングしない

②小さな変化に気がつく

③主体性をもってサッとエスコートする

④アイドルや通りすがりのカワイイ子に目を奪われない

⑤店員に横柄な態度をとらない

これに対する雰囲気美人の5大法則はコチラ

①ダラダラと結論のない話をしない

②話を聞く時はニコニコして聞いてあげる

③相手に選択を委ね、喜んであげる

④仲間内でもジャニーズの話をしない

⑤ガハハハハって笑わない

それぞれの①〜⑤は、男性と女性で具体的な行動は違うものの、根底は共通した態度です。

 

①の「マウンティングしない」というのと「ダラダラ結論のない話をしない」というのは、話すときの雰囲気を作る方法です。

話が上手い雰囲気イケメンは、例外なく低姿勢です。

絶対に目の前の女の子に「オレが〜」というようなマウンティングはしません。

詐欺師顔負けの「オレオレ」感は、聞かされる女の子にとって非常に迷惑です。

一方で雰囲気美人の女の子が話の中で意識しているのが「ダラダラ話さない」ということだと思います。

男の人は基本的に結論のない話を咲きません。

スパッと話を切りたくなる。

そういう話ばかりされると聞いている男性は辟易してしまうので、こうしたテーマは男の人との会話では避けるのがベターです。

マトリョーシカみたいな同じ内容のループは嫌われます。

 

2つ目は相手と触れ合うときの心構えです。

雰囲気イケメンは、とにかく細かなことに気がつきます。

「髪を切った」や「新しい服を買った」ということをはじめ、雰囲気イケメンは、この辺を褒めることを絶対に忘れません。

これに対して雰囲気美人のほうの絶対条件はいつもニコニコと話を聞いてあげられることです。

男性の場合は細かなところに気づいてあげる、女性の場合はニコニコしながら話を聞く。

これが、一緒にいるときの基本スタンスとしてできると、雰囲気イケメン・美人さ度合いが増します(笑)

 

3つ目は何かを決める時のお話。

2人のときにせよ集団で遊んでいるときにせよ、雰囲気イケメンは何かを決めるときに、あらかじめ複数の選択肢を用意しています。

で、どれがいい?と聞いた上でサッと決めてしまう。

優柔不断で自分で選択肢を用意していないのは、それだけでカッコ悪い。

「別にどこでもいい」は言語道断です。

それに対して雰囲気美人のキラーワードは「なんでもいいよ」と「それ楽しみ」です。

ここで大切なことは、「なんでもいいよ」と言うだけではなく、出てきた選択肢に対して何かしら喜んであげること。

1番よくないのは、なんでもいいと言った上で出てきた選択肢にケチをつけることです。

「なんでもいいよ」という相手を信頼しているアピールと、「それ楽しみ」という期待を示す2つの言葉がキラーワードです。

 

4つ目はテクニック、というよりマナーです。

男性は基本的にカワイイ人を見かけたら視線がそちらに動くよう、プログラミングされていますが(笑)、それに従ってはいけません。

キチンと目の前にいる人と向き合う。

雰囲気イケメンは「美人は目で追いかけろ」という本能レベルの命令を克服します。

それに対して、男性に対する女性のNG行為は、本気でジャニーズ系を追いかける姿をみせること。

思っている以上に傷つきやすいので、この辺のワードは極力控えるのがベターです。

好きな芸能人を聞かれたら、星野源とかノンスタの石田さんとか言っておくのが模範解答でしょう。

 

最後は周囲に対する振る舞い方です。

男性で1番気をつけなければならないことは、店員さんや周りの人に横柄な態度をとらないことです。

友達にはニコニコしているのに、店員さんには無愛想とか、一緒にいる人には敬語なのに店員さんにはタメ口とか、そういうのは雰囲気イケメンにはご法度です。

一方、女性が雰囲気美人を目指す場合に絶対気をつけなければならないことは、ガハハハハと笑わないということです。

これだけでイメージがぶち壊しです。

思い切り笑ってくれるのは嬉しいけれど、下品な笑い方は「雰囲気」を大きく損ねます。

雰囲気美人を目指すのなら、この辺のイメージ戦略は必須です。

 

というわけで、いろいろな雰囲気イケメン・雰囲気美人を見てきて感じた特徴を、具体的な戦略に落とし込んでまとめてみました。

この5大法則を守れば相対的イケメン(美人)指数は300点くらいは確保されるはずです。

かっこいいのに態度が悪い勘違い系イケメンや、カワイイのに全くモテないみたいなタラレバ系女子が周囲にいたら、それとなく教えてあげてみてください(笑)

 

 

 

 

積極的に流されるという生き方

「何が好きなの?」「何になりたいの?」

進路指導のときに、とかく「その子の夢」に重きをおく先生や親御さんがいるのですが、僕はそんなに夢って重要なの?と思ってしまいます。

もちろん、僕は「夢を持つな」などと言いたいわけではありません。

夢を追いかけるのもいいけれど、それで目の前のチャンスを棒に振るのはもったいないと思うのです。

 

振り返ってみると、僕はとにかく目の前にあるチャンスに乗っかって進路選択をしてきました。

多分、自らの意思で叶えた事って一度もない(笑)

大学入試は法学部を狙い、いくつかの大学で受かっていたのですが、偶然インターネット出願なるものを開始したばかりで、面白いと思って出したら受かっていた立命館大学の経済学部を選択し、来たこともない関西へ。

漠然とバイトをしようと思ってはいたのだけれど、自らの動くことはなく過ごしていたら、特別親しいというわけではなかったクラスメイトから塾を紹介してもらい、そこから塾講師になりました。

就職活動のときは物を書く仕事に就きたくて、結局内定をもらえなかったので東京に行ってライターのバイトでも探しながら生きようかと思っていたときに、バイト先の恩師から「国語の先生やらへん?」と言われて今の職場に。

社会人?としてそれなりに楽しく暮らしていたら、大学時代の親友に「NPOの関西支部立ち上げるんだけどやらない?」と言われ、そのままそれを引き受ける。

僕の人生の岐路はいつも人任せです。

で、結局僕は今、小さい頃にやってみたいと思っていた先生とライターと広報の仕事が全部できている(笑)

 

こんな自分の経緯もあって、僕はやりたい事は、目の前のチャンスに身を投じてるうちに、いつか機会は巡ってくると思っています。

そして、往往にしてそのチャンスは、全然関係のないところに眠っている。

やりたいことをしっかりと考えることなんかより、目の前に巡ってきたチャンスに飛び乗ることの方が、ずっと、ずっと大切なように思います。

たとえそれが全く自分の想定していなかったことであったとしても、そこに身を投じて、何か信用を積み上げたら、思わぬことに繋がるかもしれないし、それ自体に自分の「生きがい」が眠っているかもしれません。

目標を定めることは自分1人でできますが、チャンスが巡ってくるのは自分の力ではどうにもならないのです。

 

流れに身をまかせるというと主体性がないように思われてしまうことがありますが、流れに身をまかせることと主体的であることは両立できると思っています。

「積極的に流される人」

不安だから周りにあわせるのではなく、どこでもある程度の結果が出せる(と自分に言い聞かせて)から目の前のことに取り敢えず乗っかる。

そういう流され方ならば、僕は悪くないと思うのです。

僕はありがたいことに面白い人たちに囲まれています。

一流企業で、それも異例の大抜擢をしてもらえたのに平気でそれを投げ出して違うフィールドに移る人たち、自分のやりたいことのために会社や公務員を辞めてNPOや会社を作ってしまう人たち。

彼らに共通するマインドが「まあどこでも結果は出せるし」というものだと思います。

だからこそ、今のポジションに執着しないし、リスクも取るこができる。

ブロガーのちきりんさんが言っていましたが、「どこかに活躍できる場所があるのではなく、どこでも活躍できる人がいる」だけなのだと思います。

もちろん僕にはそんな能力はありませんが、それでもそう言い切って振る舞った方が面白いことにたくさん出会えるんじゃないかなと思っています。

 

結果的に受かっていた地元の国公立に行かず、流れで決めた関西の大学を選ぶことで、僕の視野は大きく広がりました。

身1つで暮らし、塾の先生を選んだ事で、交友関係は大きく上の年代に広がり、NPOに属することで、世界が近くなりました。

きっと、当たり前の延長にあった地元での進路を選んでいたら、そんな出会いはなかったと思います。

そして、視野が広がりいろいろなチャンスに乗っかるなかで、結果として選択肢が増えていく。

僕は、「やりたい事」や「夢」に囚われず目の前のチャンスに飛び乗ることは、手札を増やす行為だと思っています。

何も持っていない高校や大学時代にやりたいことにこだわるのは、数枚しかないカードの中で、自分のベストを探すイメージ。

手札をもっとたくさんにした方がよりより選択肢や戦略が立てられて、その手札を増やすのがチャンスに乗ることです。

というようなことをここ数年つよく思ったりしています。

 

積極的に流れに身をまかせるという進路選択。

よくないという人も多いですが、僕は長期的にみたときに、結構アリなんじゃないかと思います。

 

読まれる文章の書き方を、広めたくないからあえてつまらないタイトルで書いてみる

もともと本を読むことが好きなので、シミルボンさん(https://shimirubon.jp)でちょくちょく書評を書いています。

このブログは書きたいことを好きなように書いて、マーケティングなどほとんど意識していないのですが、折角シミルボンさんは本のサイトとテーマが決まっていたので、マーケティングなどを意識しながら投稿するようにしていました。

で、そんな努力?の甲斐あってか、今週のランキングでは総合pv数ランキングで第1位、記事別アクセス数ランキングでもトップ10の中で1位、2位、6位を取ることができ、そこそこ読んで貰えています。

f:id:kurumi10021002:20170324022209j:image

 f:id:kurumi10021002:20170324022222j:image

f:id:kurumi10021002:20170324022246j:image

 f:id:kurumi10021002:20170324022254j:image

こんな感じ。

別に順位はどうでもいいのですが、しっかりと「読まれる文章」を意識して書いたものがしっかりと評価されるのは、やっぱり嬉しかったりします。

 

改めて振り返って感じるのは、読まれることを意識して書くときと、書きたいことを書くときでは、題材選びから書き方までまるで違うなということ。

今回は僕が「読まれる文章」を意識するときに心がけていることをまとめていきたいと思います。

僕が読まれたいと考えて文章を書くときに意識していることをザッと書き出すと、だいたい以下のようになります。

①「今書くべき理由」がある

②目を引くタイトルが書ける

③書く媒体が宣伝したくなる

④自分ならではの切り口から書ける

⑤自分にしか書けない「著者適正」がある

読まれることを意識して書く場合、上記のうち①〜③を満たし、且つ④か⑤がある物を僕は書くようにしています。

まず大前提となるのが①の「今書く理由」があるという条件です。

自分が書きたいなと思ったことそのままのタイミングで出したところで、当然誰にも響きません。

だって、周りの人にとっては「読む理由」が無いから。

しかし、映画化やドラマ化が決まっていたり、朝のテレビ番組で話題になっていたりというタイミングであれば、読む側に動機があるので、向こうから読んでくれます。

だから、まずは何か書きたいことがないかと考えるのではなく、「今書くべきネタは何か」という視点で題材を探していく。

こうした題材選びが非常に重要です。

 

人によってはウェブメディアはタイトルで惹きつけなければ読んでもらえないから、タイトルから考えるべし、なんてアドバイスをしますが、僕はほとんどが内容を書き上げてからタイトルを考えています。

というのも、タイトルにはコンテンツをよりよく見せる力があると思っているからです。

今書くべき題材が決まったら構成を考えて書き上げる。

そして、書き終わったらそれを1番惹きつけるのはどんなタイトルか、どんなコピーかということを意識してタイトルをつけます。

これが②の作業。

 

③に関しては①とも関わってくるのですが、すでにあるプラットフォームで書く場合には、個人的に1番重視しているところだったりします。

どうやったって個人の発信力には限界があります。

そして、どこの誰かも分からない人間の書いた記事なんて、基本的に誰も読みたくない。

だから、プラットフォームを編集している人が取り上げたいような題材、切り口を考えて書くのです。

特集を組んでいたり、新しいサービスが付加されたりという場合はそれにのっかってみるなど、いろいろな方法があります。

そうやって取り上げやすい記事を書くとTwitterで告知をされたり、プラットフォームのオススメに表示していただけたりするので、自然とアクセスが集まります。

僕の場合、この記事([改稿]結婚はぜいたく品?「タラレバ」「逃げ恥」の強烈コンボ - シミルボン)がFacebook広告にまで使われたみたいです(30代で、まさに逃げ恥のターゲット層である知り合いから教えてもらい、知りました 笑)

 

以上の3要件を満たしただけではどうしても内容がペラッペラになってしまいます。

アクセスされやすいこととネタとして面白いことはまるで違うからです。

そこで、3要件を満たした上でコンテンツとしての面白さを乗せなければなりません。

それが④の独自の切り口と、⑤の著者適正です。

独自の切り口というのは「あっ、そんな視点からいくんだ」と、他の人がなるほどと思える着眼点を盛り込むことです。

そして⑤の著者適正とは「自分が書くべき理由」です。

僕の場合なら「国語の先生」という立場だからこそ書けるような内容などがそれに該当します。

こういう視点が入っていると、格段に「いいね!」やシェアの数が伸びるのです。

 

もちろんこれを満たせば確実にアクセスが集まる訳ではありませんが、こんなことを意識しながらずっと書き続けていると、読まれる記事の割合はそうでない場合と比べて当然高くなります。

(僕はこれを「打率を上げる」と呼んでいます)

っと、この辺りが読まれる記事を書きたいときに意識していることです。

よかったら参考にしてみて下さい。

あと、シミルボンさんの僕の記事をいいねしてくれると嬉しいです(笑)

カリスマは、近しい人を不幸にする。

「カリスマは近くにいる人を不幸にする。」

僕のライフワークは「天才を作ること」で、そのためのサンプルとしてカリスマ性を持つ人たちの話をよく聞きます。

また、イベントを立ち上げたり、一緒に活動をしたりということも少なくありません。

その度に感じるのが、カリスマは広範囲の人を楽しませる代わりに、身近な人を不幸にしているなということ(笑)

岡田斗司夫さんはこれを「原子力発電所」と呼んでいましたが、まさにそんな感じ。

遠くにいる人たちにまで多くのエネルギーを供給してくれるけれど、身近な人には少なからず被害があるし、何か癇癪を起こした時に大変。

僕が知る限り、カリスマ性のある人はその規模は別として、例外なく周りに迷惑を撒き散らしています。

ただ、これはある意味当然のことで、そうでなければ何かをゼロから立ち上げたり、何もないところに人を惹きつけることなんてことはできないんですよね。

人並み以上のエネルギーがあるからこそ、多くの人を惹きつける。

で、あるならば、そのエネルギーを直に浴びるような距離にいる人は、当然受け止めなければならない負担が大きくなる。

カリスマの近くにい続けるには、その覚悟が必要なのだと思います。

 

 

また、カリスマ性があって人を惹きつける人は、たった1人の人を幸せにするみたいな人間づきあいができません。

僕はこれを少年漫画原理と呼んでいるのですが、カリスマ性のある人は「大切な人だからこそ1番後回し」にしてしまうのです。

これは決してぞんざいに扱っているわけではありません。

「お前は1番大切だから、俺と一緒に辛い目にあってくれるよな」というようなマインドからきています。

例えば、何かを企画したりしたとして、そこに来てくれた人々を丁重に「お客さま」として扱う。

だからこそ当然近しい人の扱いは、それと比べれば雑になります。

なぜなら近しい人たちは「お客さま」てはなく「身内」だから。

この辺を意識せずに、お姫様願望でカリスマ性のある人に近づくと、かなりの割合でうまくいかなくなります。

カリスマにとって「お客さま」と「身内」は明確に違うものだから。

 

カリスマ性を持つ人たちの2つの特徴を踏まえると、カリスマの横に立つことのできる人、あるいはカリスマの横に立っても飲み込まれずに戦える人のタイプは自ずと決まって来ます。

まず大前提で、ファンではなく、身内として接することができるということが必要です。

カリスマ性のある人に好かれたいとかだと絶対にムリ。

そういう人は彼らにとって「いいお客さま」なのです。

そんなポジションのまま「身内」ぶられるのが1番嫌われます。

カリスマ性のある人の近くにいるにはまず、その人に好かれたいという気持ちを振り払って、その上で「その人のカリスマ性が多くの人に伝わること」を自分の目標にしなければなりません。

これが大前提。

その上で、カリスマ性を持つ人の大きすぎるエネルギーに向き合う術を持っていなければなりません。

僕はこの手段には2つあると思っていて、1つは膨大なエネルギーを受け止めるだけの懐の深さを持っていること。

他の人よりダイレクトにエネルギーが降りかかるのだから、人並み以上の許容力があればいいわけです。

僕はこれを弥勒菩薩タイプと呼び、この方法でカリスマの側近を勤めている人を何人も知っています。

もう1つの方法は、どんなに強いエネルギーに当てられてもブレないくらいに大きなエネルギーを自分自身が持っている場合です。

この場合、どんなにエネルギーに当てられても、流されたり潰れたりすることもなくやっていくことができます(まあしばしば揉め事になりますが...)

僕はこの手の人を不動明王タイプと呼んでいる。

 

弥勒菩薩不動明王

このいずれかならば、カリスマの持つカリスマ性に接してもうまくやっていけます。

逆に言えばそうでない場合、必ず大なり小なり不幸になる。

太陽に憧れて近づきすぎて翼が燃えた、イカロスのようになってしまうわせです。

そういう人はカリスマの横に立とうとしないで、観客席の最前列くらいで見ておいたほうがいいです。

カリスマの横にいるのは途轍もなく人生が楽しくなるけれど、想像以上に大変だよ。

そんなことは重々承知という人でなければ、カリスマの隣にたつ最愛の人や参謀は務まらないのだと思います。

 

アイキャッチはMr.カリスマのローランド(笑)

 

俺か、俺以外か。 ローランドという生き方

俺か、俺以外か。 ローランドという生き方

 

 

 

「密集した文化」を楽しむという観光資源がアツいんじゃないかというお話

密集していると文化が生まれ、文化がある地域はそれがコンテンツとなり人を集める。

ここ最近、僕が考えているコミュニティ論、コンテンツ論です。

きっかけはNPOのお仕事で東京に行ったこと。

これは東京に行くたびに思うことなのですが、1つ1つの都心部が非常に近いんですよね。

僕たち関西に住む人間にとっての河原町と梅田の距離が、東京では銀座と新宿くらい(分かりにくい表現ですみません)

関東組に対して、僕たちは関西という枠組みで、京都、大阪、神戸の3都市に跨ってNPOの活動しています。

だからこそ、何か打ち合わせをするとして、「会おう」というハードが東京では異常に低いんだなということをひしひしと感じました。

これって、密集していることのメリットだと思うのです。

ネットが繋がっていれば起業なんてどこでもできるなんてことを聞きますが、やっぱり東京は全然ちがうと思います。

グッと狭い地域に凝縮されているから、そこで発生する偶然の繋がりとか、集まるエネルギー量とかが違ってくるんですよね。

 

出会いの数やエネルギー量というだけでなく、密集しているところはコンテンツとして外部に発信するときもとても便利です。

これは京都に住んでいるからこそ思うことなのですが、京都って観光地があちこちに存在するため、とにかく来た人に魅力を伝えやすいんですよね。

とりあえず「京都」という場所にさえくれば、あとは好きなところを見て回れる。

そこに行って、あとは好きに動けばいい。

僕はこれをビュッフェスタイルの観光地と呼んでいます。

京都の場合、とりあえず来さえすれば無数に観光できる場所があるので、あとは本人が行きたいところを満足するまで回ればいいんですよね。

それに対して、その地域に売り出せる観光地が1つしかないという地域も多々あります。

例えば鳥取砂丘伊勢神宮

僕の出身地、浜松もそんな感じです。

これらの地域の場合、確かにその観光地の知名度は非常に高いかもしれませんが、1つの観光スポットが目的となるため、観光客の期待は全てその観光地が背負うことになるんですよね。

言ってみれば高級レストラン。

メニューも出される順番も決まっていて、それを粛々と味わうタイプの観光。

ビュッフェスタイルか高級レストランか。

一生に一度は行ってみたいと思うのは間違えなく高級レストラン型の観光地ですが、何度も足を運びたくなるのはビュッフェスタイルの観光地です。

僕はビュッフェスタイルの観光地に必須の条件は、実際に行ってみたら自分が調べたものよりもずっと多くの観光地が存在すること。

これにはやはり、狭い地域に密集していることが不可欠です。

 

1つ1つの観光地ではなく、一定の地域にあるものを自由にみて回るという意識になると、その地域の空気を味わうことができます。

1つの非常に大きな観光地を売り出すのを点の観光資源としたときに、複数から自由に選ぶ観光は面の観光資源ということになるわけです。

面の観光資源の場合、その地域一帯が観光資源として売り出されることになります。

そうすると、単なる建造物や名物店という「ハコモノ」の用意された魅力だけでなく、来た人が肌で感じる空気感みたいなものもコンテンツとなり得ると思うのです。

これが、面のコンテンツの最大の強みです。

最近僕は京都の一乗寺にあるラーメン店街と大阪の天満にある飲み屋街にハマっています。

一乗寺であればラーメン店が、天満であれば居酒屋が密集しているので、その空気感自体がコンテンツとして面白いんですよね。

そこで僕が楽しんでいるのは、行こうと決めていたお店ではありません。

むしろ、その場にいって空気を楽しむことです。

こういった楽しみ方ができるのは、極めて狭い地域に店が密集しており、そこに独自の文化が根付いている場合だけなんですよね。

で、そんなところそうそう見つからない。

だからこそ、それを持っている地域は、コンテンツとして非常に優秀なものを非常に優秀なものを有しているということになると思うのです。

 

この辺を踏まえて最近僕が考えているのが、実はジャンルに関わらず、こういう密集した文化に触れるのが好きな観光客が一定数いるのではないかということ。

であるならば、全国の密集地帯を紹介した観光マップみたいなものを作ったら、一定数の需要があるような気がするのです。

家具屋さんが密集して作られている文化圏はココ、◯◯という地域にはチョコレート屋さんがひしめき合っています!みたいな感じ。

少なくともそんなマップがあれば僕はヘビーユーザーになる(笑)

特定の観光資源に頼るのではなく、地域全体が文化圏として観光資源になり得る場所。

なんとなく、この辺がここからの観光産業としてはアツいような気がするのです。

 

アイキャッチは観光学入門

観光学入門―ポスト・マス・ツーリズムの観光学 (有斐閣アルマ)

観光学入門―ポスト・マス・ツーリズムの観光学 (有斐閣アルマ)

 

 

 

社会人は皆知っている読ませるエントリーシートの作り方⑥話のデキは「ネタ×調理×出し方」

今回はエントリーシートの書き方ではなく、面接のときのポイントについてまとめて行きたいと思います。中学生・高校生の子たち、あるいは職場やプライベートで学生の人たちと話をしていると、「もっとこうやって話せば言いたいことが伝わるのになあ」と思うことがあります。
「見せ方」の部分を工夫しないがゆえに、相手とのコミュニケーションで誤解が生じたり、キチンと意思が伝わっていないという場合が多いのです。
就活の場合であれば、面接で自分の言いたいことが伝わらないという状態。
僕はこの原因には技術面が大きく関わっていると考えています。
技術面、つまり話のテクニックです。

僕は学生時代のアルバイトも含めると8年間塾の先生として人前で話をする仕事をしています。
顧客視点を心がけるとか、会話の比率を心がけるとか、意識面でもさまざま気を使っていることはありますが、それとは別に、技術的な面で「ネタ・調理・出す順番」というのをかなり考えています。
話の面白いかつまらないか(相手に聞いてもらえるかどうか)はこの3つの割合で決まってきます。
特に就活の面接に焦点を絞っていえば、殆どの学生さんが「ネタ」の部分に意識がいきがち。
どんなに高級な食材を使っていたとしても、その調理方法がダメならちっとも美味しくないのと同じように、良いエピソードでも、見せ方が悪ければまったく響きません。
「〇〇という団体でリーダーをしていました」みたいなアピールは、さながら1kgくらいのOZビーフを素焼きにしてデーンと目の前に出された感じなんです(笑)
学生さんなら大量の肉を出されたら食べきれるかもしれないけれど、社会人のおじさんたちには、1kgを焼いただけのOZビーフよりも、キレイに調理されたほんのちょっとの牛フィレ肉のほうがありがたい。
「どんな凄いエピソードを持っているか」ではなく、「それをあなたはどのように受け止めたか」のほうが重要なのです。
これが調理の部分。

もう一つ、出す順番も重要です。
あれもこれもと言いたいことを詰め込んだ話も相手に情報がうまく伝わりません。
一品一品が美味しくても、それを何の配慮も無く提供されたら、やっぱり胃がもたれてしまいます。
これはちょうどバイキングみたいな状態。
やっぱり学生さんならおなかいっぱいに食べられるかもしれませんが、面接官はバイキングを求めているわけではないのです。
どちらかといえばフランス料理のコースみたいなやつのほうがいい。
言いたいことを詰め込んだものではなく、一つのコンセプトに沿って、一貫した説明ができる内容の方が、間違えなく印象には残るのです。
これが出す順番というお話。

僕も塾の教え子やかつての後輩さんから良く相談をうけるのですが、はりきっている学生さんほど、「ネタ」の部分で勝負しがち。
比率で言えばネタ:調理:出す順番=8:1:1くらいです。
極端な場合、10:0:0という人だっています。
しかしながら、実際に就活で面接をする友達に聞いたり、自分自身が採用に携わった経験から言えば、ネタ:調理:出す順番で意識している比率は2:6:2くらいです。
驚くくらいに凄いエピソード(と学生さんが思うこと)には興味がない(笑)
だって、そもそも就職活動は、就活生の凄いアピールを聞くのが目的なのではなく、一緒に働きたい人を探す場ですから。
「今後この人と一緒に働きたいかどうか」を判断するとき、瞬間最大風速的なエピソードを話されても、何も判断ができません。
これは、付き合う人を決める場合を考えてもらえれば分かるでしょう。
自分の凄い自慢をばかりする人と、自分と気が会う人だったらどちらを選ぶかという話。
前者を選ぶ人、あんまりいないですよね?(笑)
就活は「凄い人」を選ぶのではなく、「一緒にいたい人」を選ぶものなのです。
この視点がないと、スタートの段階で大きくベクトルが外れてしまう。
自分だったらどうだろう?
面接の原案を作ってみたあとに、一回この視点で見直してみることが大切です。

月3万アクセスになるまでの超具体的なやり方を振り返ってみた

ここ最近結構いろいろな方面の方々から同じタイミングでブログのアクセス数の話が出て来たので、調子に乗って、僕もアクセス数について開示してみたいと思います。

そもそもこの「薄口コラム」というブログは、テーマを揃えているわけでもなければ、何か目的があって書いているわけでもありません。

カテゴリ分けだってほとんどしていない。

ただ、漠然と数値目標みたいなものは定めていて、少しずつ拡大できればとは思っています。

一応今年度の頭に立てた目標は、月のアクセスが良くて5万、4万くらい行けたらいいなというものでした。

しかし実際には3月9日時点の一月分のアクセス数は約3万5000。

もう少し更新をがんばればよかったなあと、ちょっと反省しなければならない結果でした。

ただこの一年で、自分の中でアクセスを増やすノウハウみたいなものがだいぶ分かりました。

また、寄稿依頼も舞い込んできたので、数値以上に収穫は得られたと思っています。

 

実際にまったくアクセスのない状態からこのくらいのアクセス数になった(まだまだノウハウを振りかざすようなpv数ではありませんが)のを振り返ると0→300にしたとき、300→1000にしたとき、1000→3000にしたとき、3000→10000になったとき、そして35000くらいの現在とで、それぞれアクセスを増やすのには違う段階があったように感じています。

まず、0→300くらいのフェーズはそれほど難しくありませんでした。

ただただ毎日書けばいいだけ。

どんな拙い文章でも、5アクセスくらいは来ます。

従って、毎日欠かさずに書きさえすれば、ここは容易にクリアできるのです。

また、SNSで更新したことを知らせれば、さらに簡単にいきます。

1000アクセスくらいになってくると、新しいエントリの更新による普通の流入だけでは届かなくなります。

一度の更新で大きなアクセスを期待できるタイトルや話題設定が必要です。

僕がこの辺を突破した時のエントリは、(超簡単!自発的に女の子がスカートを短くするのと男子の制服着崩しをやめさせる方法 - 新・薄口コラム)とか。

投稿時のインパクトで初動のアクセス数を増やすみたいな形で、ここらへんの壁は突破しました。

 

1000アクセス以上を目指そうとすると、新たなエントリ投稿時の初動だけではどうにも立ち行かなくなります。

ここからはエントリへの検索流入が必要になってる。

この時期に僕が意識していたのは、話題の時事ネタに触れるということです。

時事ネタが入っていると、検索で引っかかって訪問される場合がでてきます。

僕の場合こういう訪問による、エントリ投稿時以外の流入が手に入るようなって、1000アクセスを超えてきました。

とはいえこのやり方でも限界があって、月3000アクセスくらいのところで頭打ちになりました。

時事ネタの検索流入は鮮度が命なので、どうしても長い間検索で読まれ続けるみたいにはいかないわけです。

僕のブログの場合は、それが3000アクセスくらいでした。

ここから先にアクセス数を伸ばすには、話題性に頼らない検索がされる言葉での検索流入確保が必要です。

このあたりから僕が始めたのが、有名なアニメやマンガの考察エントリです。

(魔女の作画や歌詞の伏線などの表面的な尖りで隠れたまどかマギカの演出上の凄さ - 新・薄口コラム)や(学芸員を求めて〜宮崎駿が風立ちぬに散りばめたオマージュを読み解く - 新・薄口コラム)はまさにこの辺を狙って書きました。

アニメ以外だと、(Mr.Children「しるし」考察〜とんでもなく深い!桜井さんが込めた冒頭2行のインパクト - 新・薄口コラム)みたいな歌詞考察もなかなかアクセスを稼いでくれます。

こういったエントリを積み上げることで、10000〜15000アクセスは到達しました。

 

僕の中で一つ大きな壁となっていたのは、ここからスケールさせることでした。

12000アクセスくらいから急に伸び悩む。

定期的に検索される内容を書けばアクセスは増えるとはいっても、月に10アクセスくらいしか来ないものではどれだけ投稿すればいいんだという話になってしまいます。

この辺からはかなり意識的に2つの戦略をとるようになりました。

1つは、爆発的にアクセスを稼げるであろうネタに乗っかること。

前に書いた3000アクセスに到達したときのように、単に話題のネタに触れるのではなく、その話題を深掘りして、アクセスを総取りしにいく。

ほかのブログで同内容を書いている強豪との正面対決です。

僕の中でそれがうまくいったのがハンターハンターが連載再開されたときに書いた(HUNTER×HUNTER考察〜ヒソカVSクロロはヒソカの負けしかあり得ない〜 - 新・薄口コラム)とか逃げ恥のヒットに乗っかった(「恋ダンスのガッキーが可愛すぎる」問題について雰囲気イケメンの五大法則から考えた - 新・薄口コラム)とか。

この辺は絶頂期で面白いくらいのアクセスを運んでくれました(笑)

もう1つ、僕が意識しているエントリがあります。

それが、「毎年決まった時期に爆発的に検索されるようになるネタ」を書くことです。

f:id:kurumi10021002:20170315041433j:image

こういうジャンル。

このジャンルって案外狙っている人が少ないみたいで、うまくいくと、毎年その時期になると、何もしていないのに数千から1万アクセスくらいをもたらしてくれます。

 僕のエントリでそれが最も上手くいっているのが(高校生を悩ます「である」ことと「する」事はおばちゃんのダイエットに例えると分かり易い① - 新・薄口コラム)です。

毎年10月と2月はすごいことになる(笑)

こういう定期的にアクセスがくるエントリを、かなり意識的に書くようにし始めて、アクセスはかなり増えるようになりました。

あとは、単発で勝負できそうにない強豪の多いジャンルでは同じテーマを何度も扱うみたいなことも効果的でした。

就活で面接官が読みたくなるエントリーシートの書き方④メンタルをロジックで切らない - 新・薄口コラムをはじめとして毎年就活について書いているのにはこういう意図があります。

 

っと上に書いたような流れでなんとか今のアクセス数までいったというのが僕なりのブログ運営ノウハウです。

もちろん、このやり方が全てではないですし、そもそもこの程度のアクセス数でノウハウ論を書くことさえもおこがましいのですが、それでも1つの区切りとして書いておきたかったのと、むしろこの程度のアクセス数を求める需要があるのではという邪推から、まとめてみました。

こちらからSNSで売り出すということもしなければ、マーケティングを意識しているわけでもないこのブログ。

僕の中でエントリの工夫だけでアクセスを増やしたいという思いがあって、そんなふざけた運営をしています。

そのため、普通のブログの何倍も成長速度が遅いのはまぎれもない事実です。

ただ、同時にそんなやり方でも確実にアクセス数は上がり続けているので、少なからず読んでもらうに堪え得る内容を書けているのかなとも思っています。

今年度は目標に達しませんでしたが、引き続き目標設定をしたいと思います。

来年度の目標は月8万アクセス。

なんとなく僕の肌感覚で、4万アクセスくらいのところに、また新たな工夫が必要になる気がしています。

これまで以上にいろいろなことを扱おうと思いますので、これまで同様に、薄口コラムをよろしくお願いします。