友人すすめられた「昭和元禄落語心中」にはまっています。
もともと落語が好きと言うこともあるのですが、第2話で過去編に入って初っ端、助六(主人公のほれ込んだ師匠の弟弟子)が「よく来たなあ」のセリフを言った所で大はまりしました、
「鬼の馬風」といわれた9代目鈴々舎馬風さんの決まり文句です。
鬼の馬風という名の通り、馬風さんはその落語のスタイルも私生活も相当に破天荒であったという逸話が残っているほど。
その馬風の決まり文句を言わせたところで、この助六がどのような人柄であるのかが伝わり、そういう細かな演出も含めてグッと引き込まれました。
こんな調子で書いていくと、ただのファントーク(文字だけど)になってしまうので、僕が昭和元禄落語心中を見て気になった部分をまとめいきたいと思います。
夏目漱石の「こころ」を思わせる構成
落語心中は1話目の終わりから現在に至るまで、主人公の与太郎が刑務所からの出所と共に弟子入りをした落語の師匠遊楽亭八雲の過去の回想が続きます。
その構成を見たときに、まっさきに浮かんだのが夏目漱石の「こころ」でした。
八雲が与太郎に昔話をする場面は、「私」が先生の手紙を読む場面に重なります。
1話の終わりから11話現在まで、全編八雲の独白が続きます。
タイトルに「心中」と入っていることからも、この物語の大筋は恐らく品川心中をベースにしたものになるのだと思います。
品川心中は年を取って買い手もつかなくなった女郎が、そのままでは面目が無いということで、自分をひいきにしてくれる男を道連れにして死のうとするお話です。
落語では一命を取り留めた男と、飛び込む直前で金の工面ができて自分は飛び込むのを止めた女とがばったり再会するサゲなのですが、1話の様子を見る限り、みよ吉と助六は実際に死んでしまうようです。
そしてその決定的な要因となる八雲。
それが「こころ」で先生がした、手紙での告白に相当するものになるのではないかと勝手に予想しています。
落語に出てくる女性の象徴としてのみよ吉
落語心中には、みよ吉と言う女性が重要な存在として登場します。
みよ吉は菊彦(若かりし日の八雲)のことを好きになるのですが、菊彦は落語を優先し、ついにはみよ吉を手離します。
菊彦に捨てられたみよ吉は、ちょうど同じころに波紋の身になった助六と一緒に東京を出て田舎に消えてしまいます。
助六はみよ吉に落語を禁じられ、自堕落な生活を送る。
助六に愛想をつかし、みよ吉はついに他の男と出て行ってしまいます。
そんなみよ吉がボソっという「落語なんてきらいよ」という言葉が、非常に印象的でした。
どうしても江戸の文化の中で生まれたものであるため、落語の世界では、しばしば女性がぞんざいな扱いを受けます。
たとえば文七元結では、自分の娘が遊郭に身売りをして工面してくれたなけなしの金を、主人公が見ず知らずの男を助けるために手放してします。
娘でも妻でもそうですが、落語の世界に登場する女性は、いつ男の都合につきあわされているという印象です。
女性が幸せになる結末があるのは、芝浜と紺屋高尾くらいではないでしょうか。
僕は昭和元禄落語心中という作品を、回想編そのものが落語の世界であると見ています。
その中にでてくるみよ吉という女性は、ちょうど落語の世界に登場する女性の象徴。
落語の世界ではあまり語られない女性の気持ちを形にするのなら、きっとこんな思いを抱えていたのではないか。
僕はみよ吉というキャラクターに、落語の中では軽視されがちな女の気持ちを感じました。
業の肯定と最後まで自由になれない助六の生き方
僕は談志をみて落語が好きになったという経緯もあり、「落語とは業の肯定である」という彼の言葉を、最も端的に落語を表したものであると思っています。
人間は生きているとどうしても臆病風に吹かれたり弱さに負けたりすることがある。
他のあらゆる芸術・芸能がそういった弱さを克服すべしと語るのに対し、落語だけがそういった弱さを肯定してくれるものでる。
これが談志さんのいうところの「業の肯定」です。
昭和元禄落語心中にも、全編を通して、登場人物の業を肯定する形で物語が進むように感じました。
菊彦と助六の師匠である先代八雲は、死に際に自分の助六に対して持っていた感情を菊彦に吐露します。
それを聞いた菊彦は「師匠のそういうところは好きになれなかったけれど、それを見たから今のあたしがあるのです」と言う。
先代八雲は、自分の弱い部分を最期は肯定されて亡くなるのです。
また、菊彦は田舎に去った助六のところを尋ねたとき、「お前さんのためでも落語界のためでもない。ただあたしにあんたの落語が必要だから言ってるんだ」と言って、助六を再び落語の世界に呼び戻そうとします。
ここに菊彦の欲望(業)が出ている。
みよ吉にしても、(まだ心中してはいませんが)おそらく自分の死ぬときに助六を連れて心中する。
1話の場面から推測するに、「私のために死んで」といい、それを受ける(肯定する)形で助六はみよ吉と心中することになるのでしょう。
ここでもみよ吉の「業」が肯定されている。
この関係の中で唯一業が肯定されないまま亡くなる(であろう)のが助六です。
一見破天荒で、一番自分の業を肯定して生きているように見える助六が、実際は自分の憧れる先代助六の無念を果たすこともできず、破門になることで好きな落語から離れ、妻からは落語を禁じられ、さいごは兄弟弟子との落語の道ではなく心中という道を選ぶ。
僕にはこの作品において、助六が最も自由でない存在に見えました。
さまざまな葛藤を全て胸にしまい落語と向き合ってきた八雲に、落語の世界の女の苦悩を一身に背負ったみよ吉、そして自由に見えながらこの中で誰よりも業に対して自由になれなかった助六。
この作品はどのキャラクターの視点に立っても、何かしらの影が感じられます。
だからこそ、作品世界に僕たちは引き込まれるのでしょう。
本当は落語における「ジャズ」の意味ということも書きたいのですが、文字数が多くなりすぎてしまうので、この辺で。。。
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