新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



「物語る」ことばが伝える物語

[Poets often use many words to say a simple thing.]
-詩人は簡単なことを言うのに、いつもたくさんの言葉を使うのよ-
Jazzのスタンダードナンバーの一つ、「Fly me to the moon」はこんな台詞で始まります。

この歌い出しは僕のお気に入りのフレーズなのですが、僕はこの一文が「物語とは何か」について非常に適確に表していると思っています。
物語にせよ広告コピーにせよ、本当に練り込まれた言葉は、その言葉から自然と物語が発生すると思うのです。

小説家のヘミングウェイは友人に「10文字で小説を書くことは可能か?」というお題を与えられたときに、[For sale: baby shoes, never worn]という「物語」を書いたと言われています。
日本語に直すと「売ります、赤ちゃんの靴。未使用。」といったところでしょうか。
英語にして僅か6字、日本語でも16字足らずと、俳句よりも短い言葉の中にしっかりとした「物語」が描かれているわけなので驚愕です。
この文章をただ読めば「靴を売っている人」という単なる「情報」に過ぎませんが、小説としてどのような人の言葉なのかということに意識を向けた途端、鮮明な物語が浮かびあがります。
その「物語」を説明すること自体が無粋なことは百も承知で、このエントリを進めるために、あえて[For sale: baby shoes, never worn]に込められた物語を文字にしてみたいと思います。
「ある街に、出産を控えた女性が幸せに暮らしていた。彼女は我が子の誕生が待ち切れなくて、これから生まれてくる子のためにさまざまな準備をしていた。赤ん坊の靴はその一つ。生まれてくる我が子を思いながら着々と準備を進めていた彼女だったが、不幸にも流産となってします。そこに残されたのが生まれてくるはずだった『その子』のために用意した新しい靴。今はもう自分でその靴を持っていても意味が無い。そればかりか見る度に悲しみがこみ上げる。だから売りに出すことにした。その時の立て札が『売ります。赤ん坊の靴、未使用。』だった。」
ヘミングウェイは、この、英語にしてたった6文字の文で、このような失意の女性を描ききっています。

他にもいろいろなところで「物語ることば」を見かけます。
夏目漱石が生徒たちに「[I love you]をどう訳すか」と投げかけたエピソードもこの典型でしょう。
自分の生徒に向かって「君は[I love you]をどう訳すか」と問いかけたとき、その中の一人が「我君を愛す」と訳し、それを聞いた漱石が「日本人はそんな風に表現したりしない。『月がきれいですね』とでもしておきなさい」と言ったのだそう。
[I love you]を訳した「月がきれいですね」という日本語もきれいに「物語る」言葉だと思います。
確かに、「月がきれいですね」と相手に伝えられる距離、人間関係、シチュエーションを考えれば、その言葉に含む意味は[I love you]以外に考えられません。
昔マツコデラックスさんが、「好きって言葉を使わずに好きって伝えるのが歌でしょ」と言っていたのですが、漱石の逸話は見事にそれを体現しているように思います。

冒頭で引用した[Fly me to the moon]では、詩人はたくさんの言葉を使って気持ちを表すといった主人公が、「でも君はニブいから、通訳しながらいくよ」(宇多田ヒカルさんの日本語訳です)と言ってメインの部分で[Fly me to the moon, and let me play among the stars. Let me see what spring is like Jupiter and Mars.]と歌います。
この部分を和訳すれば「私を月に連れてって 星たちに囲まれて遊んでみたいの 木星や火星にどんな春が来るのか見てみたいの」といった感じでしょうか。
この歌で描かれる詩人の女性は、自分の恋人に向かってこう投げかけたあと、[In other ward](つまり,,,)と言って[hold my hand]「私と手を繋いで!」と続けます。
確かに「月まで連れてって」という言葉は「ワクワクした世界を見せて」という意味になるし、そこに彼女を連れて行くならば「手を繋が」なければなりません。
[Fly me to the moon]を「物語る言葉」として感じると、詩人が言ったとおりになります。

いつの、どの会社のものであったかは忘れてしまいましたが、とある新聞の投稿で僕の中で出会った最も印象に残っている「物語る言葉」があります。
それが次の言葉。

「おばあちゃん」へ
私に色々なことを教えてくれたおばあちゃん。最後は命の儚さを。本当にありがとう。

確か「『ありがとう』が伝わる表現」というようなお題だったのですが、これを見た時に衝撃を受けました。
もちろん言葉で伝えているのは「ありがとう」なわけですが、そこにはどれだけおばあちゃんが好きだったのかという気持ちも、おばあちゃんを失った悲しみも込められています。
そんな気持ちを全部ひっくるめて「ありがとう」のひと言に込めている。
とても素敵な「物語る言葉」です。

ある文を見た時に文字通りに読むという力を「情報読解力」、文に描かれた背景に思いを馳せる力を「物語読解力」と僕は呼んでいます。
最近は情報に溢れ、行間より即時に文字を情報として把握することが基本となるSNSでのコミュニケーション(僕はこれをフローのコミュニケーションと呼んでいます)では、「物語読解力」は軽視されがちですが、無限に情報に溢れた社会で価値を生み出すにはこの「物語読解力」です。
情報そのものは誰でも手に入るとしても、それの解釈は人によって違い、同じ情報に触れられるとしたらその「解釈」にこそ価値があると思うのです。
「『物語る』ことば」はその訓練にちょうどいいのかなあと思ったり。。。
また、そんなものを抜きにしてもこういった文に触れると純粋に感性が刺激さませんか?
「『物語る』ことば」に触れておくことは、感覚的な面からも、実利の面からもさまざまな効果がある気がします。

 

アイキャッチヘミングウェイ

誰がために鐘は鳴る 上 (新潮文庫)

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