新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



話がうまい人はみんなトレジャーハンター 自分の宝箱に何をいれるか?

きゅうりをただボキッと折って手渡しただけならばそれはただの食材でしかないが、そうやって食べるのが一番相手に美味しく食べてもらえると考えてボキッと折ったとしたらそれは料理だ。
僕が尊敬する料理人である山本征治さんの言葉です。
山本さんのシンプルだけれど確信をついたこの言葉は、そのまま会話にも当てはまるような気がします。

良い材料を生かすのか、それとも調理法で魅せるのか、美味しい料理を作る上で2つのアプローチがあるのと同じように、会話にも素材をそのまま提供する話と調理方法で面白くする話し方の2種類があります。
素材をそのまま提供する話し方というのは、強烈に面白かった体験を幾つもストックで準備しておき、その時のありのままを話すというやり方。
一方、調理法で面白くするというのは、日常でふと気になったちょっとした事を、話の展開や話し方で面白く仕上げるやり方です。
話が面白くなろうと考えるとき、僕たちは往々にして凄いシチュエーションを探しがちです。
しかし実際には強烈に面白いことなんてそうそう起こらない。
「とんでもなくおもろいことなんて、そうそう起こりません。そうでなく、日常の中に面白くなりそうなものを見つけんねん」
島田紳助さんが吉本興業で行ったお笑いの授業で言っていた言葉です。
同じ日常でも、アンテナの巡らせ方で受け取る印象は全く異なります。
常に綺麗な物を見たいと思っている人には、雨上がりの水たまりも綺麗なものに見えるでしょうし、いつも面白いものを探していら人にとっては、工事現場のおっちゃんの動きのひとつひとつに面白さを感じるはずです。

円城塔さんの「道化師の蝶」の中に、架空の蝶を捕まえる見えない網がでてきます。
僕は自分のアンテナに引っかかったものを集め、それを語ってくれる人を面白い人だと思っています。
山田玲司先生の言葉を借りるなら、トレジャーハンティングをしている人。
自分の感性を用いて面白いことやわくわくすることを見つけてくる、そしてそれを聞いてくれる人に伝わりやすいことを意識して話す。
僕の周りの面白い友達は、例外なく自分の「網」を持っています。
散歩が好きな先輩は、歩いている中で見つけた「違和感」を民俗学のように掘り下げて語ってくれるし、哲学が好きな親友は何気ないやりとりを哲学的にこねくり回して語ってくれます。
みんな自分の尺度で見つけてくるための網と、それをアウトプットするための切り口を持っています。

以前ギタリストの布袋寅泰さんが西川貴教さんと対談したとき、どんなギターを使ってどんな曲を弾いても「布袋」になってしまうと言っていました。
自分なりの切り口とは、まさにこの「〜らしさ」だと思います。
「らしさ」なんて意図的に作るものでも、まして作れるものでもないと思いますが、意識しているのとしていないのとでは大きく違うように思います。
面白いことを見つけてくる目と、それを語る切り口。
その二つを持つことが、面白い話をするために最も大切なことであるような気がします。

アイキャッチ円城塔さん「道化師の蝶」

道化師の蝶 (講談社文庫)

道化師の蝶 (講談社文庫)