新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



お笑い芸人さんに倣う、ビジネスでプレゼンが上手くなる方法

偶然AmemaTVでやっていたこの番組(ウーマンラッシュアワー村本大輔の土曜The NIGHT #22|AbemaSPECIAL【AbemaTV】 - YouTube)。

ウーマンラッシュアワーの村本さん、ナイツの塙さん、ノンスタイルの石田さん、そしてこの前のM1で決勝戦まで行ったスーパーマラドーナの武智さんという、テレビ芸ではなく漫才を主戦場としているグループの、しかもネタを書いている側が集まってトークするというとても珍しい番組でした。

普段はボケてなんとなくお茶を濁してしまう部分までしっかりと語っていて、かなり貴重な情報が詰まっていました。

あそこまで上り詰めた人たちはどれくらいの熱量を持っていて、そしてどれくらい膨大な努力をしてきたかが垣間見えるところは必見です。

紳竜の研究 [DVD]

LINEの田畑さんやオタキング岡田さんが紹介している神竜の研究に並んで、僕が何度も見返すキラーコンテンツになりそうです。

 

さて、僕はこの番組を見ていた時に、スーパーマラドーナの武智さんのM1決勝戦でのエピソードが気になりました。

決勝戦では会場の空気を見て、ウケを狙える鉄板のネタに変えたのだそう。

決勝戦最終でかけたスーパーマラドーナのネタは2008に作ったものだそうで、決勝戦の初戦で見せたネタと違いやり尽くしているから磨かれているとのことでした。

「何度もネタを舞台の中で演じて磨いていく」という部分に非常に共感しました。

これって、プレゼンのように人前で話すのに上手くなりたい人に1番重要な視点だと思ったのです。

 

僕は塾で教える際、明確に2つのスイッチを持っています。

1つはその場の生徒さんとの掛け合いで授業を組み立てていくライブ感重視の授業で、もう1つはしっかりとした構成で生徒さんを惹きつける授業です。

前者はその場の連帯感みたいなものが重要なのでともかく、後者の形の授業をする際は、まさに武智さんが言っていたような形で授業を磨いている節があります。

最初に細かな構成などを考えて授業をしてみる。

そして、色んな教室・生徒さんにその単元を説明する中で少しずつ磨いていく。

特に入試問題の解説は、こうやって磨いていく中で自分の中に残ったものを使う傾向があります。

1つの授業を何度も繰り返しす中で磨いていくというのは、誰かに教えるという経験がある人ならば誰もが納得することではないでしょうか。

 

この半年、僕はNPOのメンバー採用を担当する中で15回くらいの説明会をしてきました。

今振り返ってみると初めは自分でも恥ずかしいくらいのグダグタ加減であったように思います。

しかし、自分で言うのもアレですが、最近はかなり磨かれてきたように思うのです(笑)

それは決して僕の説明が上手くなったからというわけではなく、単純に回数を重ねる中で説明がブラッシュアップされてきたからです。

ジャンルを問わず本番にかける中で磨いていくというのは、本当に大切なことだと思います。

 

ビジネスマンのプレゼンに関して同じようにやればいいとは一概に言うことはできませんが、プレゼンのスキルを磨きたいと思った時、何度も現場にかけて説明の精度を高めていくというのは、驚くくらいの効果を発揮するように思います。営業先ですでに説明するものがいくつかあるのであれば、それこそ芸人さんがネタを作るつもりで、説明の構成をノート考えてみる。

そして、それを実際のお客さんに試す中で少しずつ書き換える。

相手に合わせて説明をしようという視点だと、どうしても説明が磨かれません。

しかし、それを自分の「ネタ」として大切に育てていくという視点になると、説明の制度は徐々に上がってくるように思うのです。

あまりプレゼンをネタとして捉えている人はいないかもしれません。

しかし、意識的にしろ無意識にしろ、説明が上手い人はきっと同じ説明を人前で何度も試し、その度に試行錯誤して構成を見直しています。

そして、どれほど磨いてきたものであるかというのは、ジャンルを問わずに同じようなことをしてきた人には明らかに分かります。

説明を茶の湯のように一期一会の出会いと捉えるのではなく、高座で日々お客さんを相手にする芸人さんの気持ちになって磨いていく。

こうした視点はビジネスの世界でも非常に大切なことのように思います。

「モテ」の定義とイケメン観察日記~学生時代にモテていたY君が、社会人になって急にモテなくなった理由~

定期的に僕が書く、著者適正がないシリーズ。
その中でも最も僕とかけ離れたテーマである「モテ」論です。
以前から何度となく僕はイケメン研究が趣味であると書いています。
それと同じくらいに好きなことが「モテない」人研究。
偶然であった男子学生の子にモテるために努力しているエピソードや、僕より年上の人たちのモテるための熱弁とかが、僕の大好物だったりします。
また普段は授業で子供たちと接しているので、彼らの中でどんな子がモテるのかというデータもそこそこ持っているつもりです。
そんなわけで下は中学生、上はオーバー80歳のオッチャンまでを見てきた中で考えた僕の「モテ」論を(自分のことは棚に上げて)語ってみたいと思います。

 

モテない人とモテる人では「モテる」の定義が違う

まず第一に、「モテる」という言葉について。
僕のモテる人・モテない人研究をする中で一番気になっているのは、この言葉に対する両者の定義の違いです。
モテない人は「モテる」という言葉について、どうも「自分が気になる人に好意を持ってもらえること」と思っているようです。
それに対してモテる人たちが実際に感じている「モテる」の定義は少し違います。
彼ら・彼女らを見ていて、また直接聞いて感じたモテる人たちの中の「モテる」の定義は「不特定多数の人から好意を寄せられること」なんですよね。
ポイントは「自分が好きな人」か「不特定多数」かという部分。
いわゆるモテる人たちは不特定多数から好意を寄せられるわけなので、その人たちから自分が好きになった人に声をかければ親密になれる割合は確かに高いかもしないのですが、自分が好きな人にアプローチをかけようとする時はそれほど優位なわけではないようです。
僕の後輩でアイドルが好きでいわゆる「モテる」女の子がいるのですが、彼女は握手会で出会った男の人とのLINEのやりとりにしばしば悩んでいます。
また、メガバンクに勤める爽やかイケメンの友達は、出会いは多いけれど彼女はあまりいないというタイプです。
「モテる」という言葉を「不特定多数の人から好意を寄せられること」という正しい定義で確認しておくことが大切でるように思います。

 

学生の「モテる」と社会人の「モテる」

学生時代には人気だったのに、社会に出たとたんにモテなくなったという人をよく見かけます。
特に、スクールカーストの上位にいた人にこの傾向が強いようです。
なぜ、学生時代にはモテたのに社会人になったとたんにモテないという状態になるのか?
最大の原因は学生時代のモテと社会人としてのモテが全くことなるものであるというところにあるように思います。
学生時代は基本的に、学校、暮らす、部活動、友達というように大なり小なり枠組みの中に所属しています。
そして、基本的に同じメンバーでいつも顔を合わせている。
とくに高校までは往々にして男女比率は半々になっています。
これは、お店のショーウィンドウにディスプレイされている商品と同じ状況です。
ここでモテる=目立つために必要なことは、他の個体と比較したときに輝いていること。
否が応でも基本的に顔を合わせているため、「出会い」自体に付加価値はありません。
そうなってくると入り口は「顔がいい」「運動神経がいい」「勉強ができる」「話が面白い」といった他者と比べて頭ひとつ抜きん出ている部分になるわけです。
それに対して、社会人の場合は職場くらいしか毎日顔を合わせるという環境はありません。
しかもその職場でさえ、男女の比率はつりあっていないことが殆ど。
そうなると、誰かと出会うためにはまず、自ら出会いを探しに行くことが必要になります。
ここで重要になってくるのが、自ら動く場合、相対的な魅力はそれほど武器にはならないということです。
むしろ出会ったひと一人一人にどれだけオーダーメイドな魅力を提供できるかが重要になってくる。
学校でモテる人の殆どは、相対的に評価されるのに長けた人たちです。
その人たちが戦うフィールドが変わったにも関わらず戦術を変えないと、学生時代はモテたのに、社会人になった瞬間にモテなくなったという事態に陥ってしまうのです。

 

学生の「モテ」よりも優位な社会人の「モテ」

ここで選ぶ側の視点に立ってみたいと思います。
相手を選ぶ側にとっては学生型の「モテ」と社会人型の「モテ」のどちらの価値が大きいのか。
学生型の「モテ」は決められた枠組みの中で他者との差別化により魅力を形成しています。
いわば大量生産品のオプション部分で差別化をしている状態。
選ぶ側は予めディスプレイされた「商品」の中から、細部の違いを気にして選ばなければなりません。
それに対して社会人型の「モテ」はそれぞれの相手に合わせたオーダーメイド。
もちろんそれを提供できる人が現れればという前提がつきますが、自分だけにカスタマイズした魅力を提供してくれる人がいるの出れば、前者よりも満足度が高いのは明らかです。
大学生くらいになってくると、こうした社会人型の「モテ」を使いこなす人が徐々に出てきますが、高校生くらいまでは学校内でこうしたタイプに出会うことは稀です。
バイト先で出会った人が好きになるという人が少なからずいるのは、こういったことが関係しているように思います。

 

社会人のモテには「雰囲気イケメン」「雰囲気美女」が重要

僕が知っている「この人はモテるなあ」と思う人たちは必ずしもイケメン・美人とは限りません。
しかし、例外なく彼らは話しているうちに「イケメン」や「美人」に見えてきます。
僕はこうした人たちのことを男性の場合「雰囲気美人」、女性であれば「雰囲気美女」と呼んでいます。
彼らに共通するのは第一印象で「悪くない」ということと、そこから徐々に気持ちが引き寄せられるということ。
第一印象が悪くないというのは、先天的な意味でのルックスが悪くないということではなく、清潔感がある、笑顔を絶やさないといった、その程度のことです。
とっかかりの部分で相手を身構えさせないことを意識的している。
入り口ではなられることなく、あとは話していくうちに徐々に相手を引き込むテクニックを持っています。
ただしこれも先天的な話のうまさや魅力といったものではなく、しっかりと相手の話を聞いてあげるだとか、相手を楽しませようという視点で向き合っているかという姿勢の部分です。
こういった部分をしっかりできていると、本当に話しているうちに「イケメン」や「美人」に見えてくるのです。
「イケメン」や「美人」さんの恋人が必ずしも「美人」「イケメン」でないのは、こういうところに理由があるのだと思います。
僕のイケメンリストタグ付けされている友達の多くも、見た目ではなく一緒にいるときの雰囲気で恋人を選んでいます。
と言うわけで、社会人的な「モテ」を目指すのであれば、服装や髪型、表情などの減点ポイントをいかに減らし、いかに自分を前に出すのではなく相手を立てるということを意識できるのかがポイントになってくるのだと思います。

あれこれ書いているうちに3000文字近くになってしまいました(笑)
繰り返しますが、「じゃあいろいろ御託を並べたお前はどうなんだ」と言われれば、上の限りではありません。
あくまで「僕の実体験」ではなく、「僕の周りのモテる人/モテない人」を観察したことにたする考察です。
アサガオの観察日記とかと同じカテゴリで捉えていただけると幸いです。

 

 アイキャッチはモテの伝道師、山田玲司さんの本

 

「名付け」で読み解くゼロ年代〜世界にひとつだけの花から始まるオンリーワンを探す人たち〜

久しぶりにツイッターでブログを書いてみようと思います。
使う媒体によって紡ぐ文体が変わるのではないかというのが兼ねてからの僕の持論です。
例えばパソコンで書く文章とスマホで書く文章とでは、見える範囲と読むのに快適な文章量も異なります。
であれば、同じ人間でも生み出す文は違うはず。

同様に、様々な制約の下で文章を書けば否応無しに自分の思考や表現は、そのツールの制約を受けます。
例えばTwitterであれば、最大で140字前後の思考になる。
こういう制約の下で何かを生み出そうとすることで、普段とは違うニュアンスが生まれるのではないかと思うのです。

 

さて、前置きは早々にエントリの本題に入ろうと思います。
僕にとってゼロ年代分析が1つのテーマなのですが、その中でも時代を象徴しているなと思うものがあります。
それは、03年に発売された大ヒットソング「世界にひとつだけの花」です。
「No.1にならなくてもいい元々特別なオンリー1」

僕はこの歌詞が時代を象徴していると思っています。
オンリー1とは、「自分らしさ」を認めて欲しいという潜在意識の表れのように思うのです。
社会を構成する「人」としてではなく、固有名詞としての「僕」を社会を社会に受け入れて欲しい。
そんな競争に疲れた現代人の心境がここには表れます。

こうした「世界でただ1つの自分」問題は、漫画の世界でも多く扱われていました。
とりわけ僕が面白いなと思ったのは、ジャンプ漫画において「名付け」をテーマにしたエピソードが数多く登場したことです。
世間に除け者にされてきた存在が名前を得る。
そんなテーマがヒット作に多く見られます。

 

例えばワンピースのチョッパーのエピソード。
青鼻ということで除け者にされてきたチョッパーは、ヒトヒトの実を食べることで人間に近づき、それ故にトナカイの群れからは完全に孤立し、人には怪物扱いをされるというように、完全に孤立した存在でした。

そんなチョッパーを救ったのが、1人の医者。
Dr.ヒルルクという存在です。
彼は、怪我をしたチョッパーを家に連れて帰り、1つの確かな存在として接します。
そして、ちょっとしたケンカの仲直りの印に、トレードマークの帽子を渡すのと同時に「チョッパー」という「名」を授けます。

トニートニー・チョッパーという名前をもらうことで、チョッパーとヒルルクの絆は決定的なものになりました。
ここには名前をもらうことで存在を他者に認められるということが描かれています。
同じモチーフが同時期に人気を博したナルトでも見られます。

 

漫画「NARUTO」の主人公であるうずまきナルトには、かつて里を崩壊させかけた魔獣、九尾が封印されていました。
そのためナルトは、里の者たちから「九尾のガキ」として冷たい視線にさらされる幼少期を送りました。
そんなナルトに転機が訪れます。
そのきっかけが忍術学校の教師イルカ先生。

当時ナルトの先生であったイルカは、ナルトのことを「九尾のガキ」ではなくナルトという1人の忍びとして初めて認めてくれた人でした。
イルカ先生に認められることでナルトは忍びになり、やがて世界を救う主人公へと成長していきます。
ナルトという存在を認めるイルカの存在が、主人公ナルトを作ったと言えます。

 

ハンターハンターでも似たテーマが登場します。
レイザーとナニカというキャラクターの存在です。
不遇な星の元に生まれたレイザーは、「ソレ」や「おまえ」と呼ばれて育ってきました。
そんなレイザーを初めて名前で呼んだ、つまり1人の人として接したのが主人公ゴンの父であるジンでした。

レイザーは自分の名前を呼んでくれる存在に出会えたことで、初めて自分の居場所をみつけることができました。
また、ナニカというキャラクターも、家族には煙たがられる中で、兄のキルアだけが「ナニカ」と名付けて存在を認めることで、結果的に居場所を手に入れます。
以上がゼロ年代のマンガです。

 

名前を得ることで自分を見つける。
先にあげた作品に感じるのはこうしたメッセージです。
ここには有名どころを3つあげましたが、総じて名前をテーマにした作品が多かった気がします。

暗殺教室の作者松井優征先生の前作「脳噛ネウロ」に出てくる強盗Xi(サイ)は自らが何かを探し、武装錬金の中にでてきたパピヨンだって、自分とは何か、自分の名前を呼んでくれる人を探していました。
少し経路が違いますが、デスノートも、相手の「名前」を知ろうとする話。

僕はゼロ年代後半〜10年代前半の作品の特徴として、「壁の外の世界」があると思っているのですが、その前の時代の特徴がまさに、「名前を求める」というテーマであるように思います。
成長が停滞してオンリーワンの自分を探すようになった。
そんな人々の願いが「名付け」ではないかと思うのです。

 

アイキャッチデスノート

 

DEATH NOTE 完全収録版 (愛蔵版コミックス)
 

 

 

2011年仏教大学一般A「鈴屋集」(本居宣長)現代語訳

赤本に全訳が載っていないので、全訳を作ってみました。
内容の背景を捉えることを第一目標としているので、直訳とは若干異なるところがありますが、ご了承下さい。

(とくに敬語に関しては、話の筋を理解しやすくするためにあえて無視している箇所が多くあります)
順次赤本に全訳が載っていない古典の文章の訳をアップしていこうと思います。

(ところどころいい加減ですがご了承下さい・・・)

 

 

 ある人が、9月の9日に、今日は高いところに登る日だということで、奥まったところにある山里に住んでいて、そのついでに長く連絡をとっていなかった人の下を訪ねることにした。やや深く入っていったところであるので、その道は非常に困るものだった。そこら中に咲くとりどりの花はみな色あせて、今にも枯れようとしている中、一本の背高く残っている花すすきの穂がしっとりと濡れて見えるその姿を「素晴らしい、深い山道を行くと、このように美しいものに会うこともあるのだなあ。」と思いながらさらに道を奥へと進む。やがて、道のほとり近く澄んで清らかに流れる谷川が見えた。その谷川は普通のものと違い、非常にいい香りがする。興味を持って足を休めがてら少しの間そこで立ち止まることにした。「もしかしたら菊の花についた雫が落ちたものが集まって、この川に流れきているのだろう。」。そう思うと「桃花源記」ではないがこの川の上流に素晴らしい景色が広がっているのではないかと、上流を訪ねてみたくなって、長く連絡を取り合っていない友人の下を尋ねるという当初の目的を忘れ、この谷川の流れに沿って上流を目指すことにした。しっかりとした道もない崖づたいを辿っていったため、普通の道を進むのよりもいっそう大変で、足の裏は痛みつらいのをなんとか我慢しながら、なんとか登っていくうちに、思っていた通り、菊の花が生い茂っているところにたどり着いた。今が盛りとばかりに乱れ咲く花の色香は奥にいくほどいっそう深くなっているのだろうと思い、ひたむきに分け入っていくとそこは、少しの隙間もないほどに菊の花が咲いていて、袖にかかった露を打ち払うには千年もかかるだろうと程だった。そこはまるで仙宮にでもたどり着いた心地がする場所であった。
 目で見たものを言い表すこともできないほどの景色が広がり、またその香りは一面に充満していた。あちらに目を向けると、大岩の側に腰掛けて、目の前を流れる川の流れに視線を落とし、酒を飲む人がいた。その人の風貌はたいそう年老いて頭に黒髪も残っておらず、髭が非常に長いなど、全てが神々しく見えた。本当にあやしく、噂に聞く仙人というものではないかと興味を持って、その正体を聞きたくなったので、近くに寄って「このように世間から離れて深い山の中に一人で暮らしているのは、どういう理由からなのでしょうか。」と聞くと、ゆっくりと見上げて、「これはこれは。どこからやってきたのでしょうか。私はこうして岩に囲まれて何百年も暮らしてきました。まったくもって人が尋ねてくることもないので、せめてこの菊の花が咲く秋くらいはここを尋ねてくる人もいるのではないかと、たえず心待ちにしていたのです。」と、たいそう神々しいこえで語った。今日このように尋ねてきたことがうれしく思えたような様子で、
菊の花の咲くこの地で思いわずらうこともなく過ごして、長寿を保つことができました
と詠みながら、持っていた杯を差し出したのを、まるで夢のように思って、返事の言葉も思いつかず、ただ心に思うままに、
菊の露を辿ってきたら、他に類をみないほどに長く生きているであろうあなたの年齢を聞くことができました。私もあなたと千年の契りを交わしましょう。
といって、酒を酌み交わすのも、世間で普通にあることなのだろうか。いや、素晴らしい出会いであるはずだ。 

 

 

 

佛教大学 (2013年版 大学入試シリーズ)

佛教大学 (2013年版 大学入試シリーズ)

 

 



ブログのアクセスを増加させるエントリの4大法則

ここ数週間で薄口コラムが、久しぶりに月間ページビュー3万を超えてきました。

こんな驚くくらいにSEOを意識していない(タグも付けず他のエントリのリンクも貼らない上に、読まれる記事を意識していない)ブログにしては、そこそこ健闘しているんじゃないかなあと勝手に思ったりしています。

かれこれ2年半ほどはてなブログでこのブログを書いていて、いい加減僕のブログのアクセスを稼ぐ傾向が分かってきたので今日はその辺についてまとめてみようと思います。

 

僕のブログエントリの中でアクセスを稼いできてくれるのは次の4通りのブログです。

①なんども読みたいコンテンツ

②毎年客を呼びこむコンテンツ

③話題を集めているコンテンツ

④読んでおもしろいコンテンツ

恐らく最低限アクセス数を集めるあらゆるブログがこの①〜④のいずれかに強みを持っているのだと思います。

一番オーソドックスなのが①です。

ちきりんさんや永江一石さん、はあちゅうさんにイケハヤさんといった、いわゆるアルファブロガーと呼ばれる人たちのブログはみんなこれ。

何かのきっかけで読みはじめて、そのうちにファンになり、どんなエントリでも追いかけるようになる。

こういう形で人を集めるブログです。

ブログをスケールさせる上で一番効率的なのはこのやり方でしょう。

毎月一定数のファンがつけば、アクセス数が一次関数的に伸びていくことが期待できるからです。

同時にそれをやるには緻密なマーケティング戦略が必要な気もします。

リピーターが増えそうなテーマ、自分らしい文体や記事の展開など、個性を意識しなければなりません。

 

②の毎年客を呼びこむコンテンツというのは、①と少し違います。

こちらはこちらは一定の時期になると検索流入やら口コミが増大して、アクセス数を稼いできてくれるコンテンツのことです。

就職活動についてまとめているブログなんかがこの典型例でしょう。

あるキーワードで検索上位を占めるエントリを書くと、この戦略が取れるようになります。

因みに僕がこのブログを運営する上で唯一戦略のようなものを考えているとしたらこの点です。

例えば、僕が昔に書いた「高校生を悩ます「である」ことと「する」事はおばちゃんのダイエットに例えると分かり易い① - 新・薄口コラム」なんかは典型です。

高校生の現代文で多くの学校が扱う丸山真男さんのこの文章は、少し難しく、高校生はみんな苦戦している印象でした。

それならば検索で解説を探すのではないかと考えて僕自身検索してみたら、確かに解説サイトがいくつも出てきたものの、どれも固そうなイメージばかり。

だから僕はあえて、「『である』ことと『する』こと」をおばちゃんのダイエットというキャッチーな視点でまとめました。

内容が難しいと悩んで調べた検索結果に小難しい説明タイトルのサイトが並ぶ中、「おばちゃんのダイエットである」なんてサイトが出てきたら多くの人が選んでくれるのではないかと思ったからです。

案の定、毎年定期試験の時期になる度に、このエントリ群はアクセスをもたらしてくれるようになりました。

この手のエントリは更新時はそれほどアクセスをもたらしませんが、長期的に見て効率のよいコンテンツなのだと思います。

 

それに対して瞬間最大風速的にアクセス数を集めてくれるのが③の話題を集めているコンテンツです。

話題の映画や社会問題を扱ったエントリがここに該当します。

多くの人が興味を持っている内容なので、普通のエントリに比べ、シェアしてくれる割合が高まることが強みと言えるでしょう。

SNSでシェアしてもらいアクセス数を増やしていくという戦略をとる人にオススメのコンテンツです。

僕はこのやり方があまり上手くないので、月に一本くらいしかこの切り口では書かないのですが、最近だとこのエントリ「「恋ダンスのガッキーが可愛すぎる」問題について雰囲気イケメンの五大法則から考えた - 新・薄口コラム」が意識的に③を狙ったものです。

新しい層に見てもらうのに有効な方法であるように思います。

 

最後の④読んでおもしろいコンテンツというのは、全く関わりのない人に知ってもらうのに有効なエントリの書き方です。

はてなブックマークなどでシェアされるようなエントリがここに該当します。

これは、新たな読者獲得に有効な方法です。

はてなブックマークは短期間に3つ集まると話題の記事ということではてブロのメインページで紹介されるようになります。

まずここに乗るのが第一のとっかかりです。

そして、そこで話題になってさらにブックマークを集めるとはてブのブックマーク数で自動投稿してくれるbotに拾われるようになる。

当然ブックマーク数が多いほど、フォロアーの多いbotに拾われるので、この軌道に乗っかるエントリが書ければ雪だるま式にアクセスが増えていきます。

僕が書いたエントリだと「人たらしは「相手のファン」になる - 新・薄口コラム」や「フツーに学んだら百人一首なんてつまらないに決まってる〜背景で覚える百人一首 - 新・薄口コラム」などがここに該当します。

因みにもっとブックマークが増えたエントリがいくつかありますが、いずれも「炎上」したやつなので控えておきます(笑)

 

ということで僕が考えるアクセス数を上げる戦略の4パターンです。

いずれも有効な戦略で個人の得手不得手があり、同時に1つに特化するのも複数の戦略をとるのも自由だと思うのですが、これらを意図的にやるとアクセスは増えていくように思います。

(実績であらわせていないのが心苦しいところではありますが。。。)

SEO対策もロクにせず、実際たいしたアクセスを稼いでもいない僕がこんな偉そうに書くのは気まずさ以外のなにもないわけですが、あえてそれには目を瞑って、超上から目線で書いてみました。

 

アイキャッチは僕がコピーライティングに関して何回か読み返しているこの本

 

ここらで広告コピーの本当の話をします。

ここらで広告コピーの本当の話をします。

 

 

 

2015年龍谷大学一般入試「源平盛衰記」現代語訳

赤本に全訳が載っていないので、全訳を作ってみました。
内容の背景を捉えることを第一目標としているので、直訳とは若干異なるところがありますが、ご了承下さい。

(とくに敬語に関しては、話の筋を理解しやすくするためにあえて無視している箇所が多くあります)
順次赤本に全訳が載っていない古典の文章の訳をアップしていこうと思います。

(ところどころいい加減ですがご了承下さい・・・)

 

 そもそも三位の入道頼政がこのような謀反を以仁王に勧め申し上げたのは、馬についての揉め事が原因である。息子伊豆の守仲綱の家来で東の国(関東地方)にいた者が、八カ国第一の馬を連れて伊豆に参上した。鹿毛色の馬は太くたくましく、その姿はすばらしかった。体のところどころに星の文様があったので、その馬は星鹿毛と呼ばれていた。仲綱はこれを秘蔵して飼っていた。本当にめったにないくらいに素晴らしい馬であったので、仲綱は「名馬のほかに武士の宝としてふさわしいものなど何があろうか」と言ってむやみやたらに連れ出すこともなく、木の下と名付けて大切に飼っていた。そんな折、ある人が右の大将に「伊豆の守の下に、東の国から素晴らしい馬が連れてこられたそうです。仲綱を呼び出し、園馬をご覧になってはいかがでしょうか?」と告げた。これを聞いた右の大将はすぐに仲綱のもとへ使いを送って、「本当に素晴らしい馬がいるそうで、一度見てみたい」と伝えさせた。仲綱はこれを聞いて、しばらくは何も言わず黙っていた。しばらくして仲綱は、「右の大将に御覧いただくほどの素晴らしい馬ではありませんでしたがたしかに東国から馬がやって参りました。しかし、遠方からやってきたその馬はここまでやってくるまでの足場の悪い道中で爪を欠いてしまい見苦しい様子となってしまいましたので、傷を治すため、今は田舎へと帰しております。」という返事を右の大将に伝えさせた。これを聞くと、右の大将にこの馬の存在を告げた先述の人は、「仲綱は一昨日湯で馬を洗い、昨日は馬に乗り、今朝も敷地の内で引き連れていました。」と右の大将に言った。これを聞いて右の大将は「さては私に馬を取られることを惜しんだのだろうか。」と言って、再び仲綱のもとへ使いを送った。使いは仲綱に「あなたの馬はここにいるということをある者から確かに聞きました。噂となるような名馬であるのなら、一度だけでいいので右の大将にお見せ下さい。」と言った。伊豆の守は、私だってまだ見飽きていないこの名馬を手放すのは納得できないと思い、やはり前回と同じように「そのような馬はいない」と答えたところ、右の大将は負けまいと一日に二度、三度と使いを送り、時には六度、七度送ってくる日もあったのだが、仲綱はついにその馬を差し出すことはなかった。仲綱は一首詠んだ。

あなたがこの馬を恋しく(見たいと)思うのならば、こちらに来て見ればいいのです。私の身に繋がる影と同じく一身胴体の星鹿毛を、どうして誰かのもとに放つことなどできましょうか。

 頼政は「『木の下は鹿毛色の馬である。わが身に添う影のように分かれることはできない。』とは聞こえは非常に素晴らしいが、一門は滅び、放つはずのない影をこうして放って滅びていったのです。歌に詠み負けたのだなあ」あなたの言うのは単なる美辞麗句で、現実を見なさい」と申し上げた。三位の入道頼政は仲綱を呼び出して、「どうしてその馬を右の大将の遣わさないのか。あれほどの身分の者が欲しいと言ったのならば、たとえ金銀の馬であったとしても参上させるのが当然だ。それにたとえむこうが見てみたいと言わなかったとしても、世間の常識に従うのならば、自ら参上させるべきだろう。まして、右の大将はそれほどまでに見てみたいと申し出ているのにそれをお前の惜しいという気持ちで拒んでいいはずがない。そもそも馬は乗るためにいるのだ。敷地に隠して置いていたのではどのような役に立つというのか。はやくその馬を右の大将の下に連れてきなさい。」と言われたので、仲綱はどうすることもできず、父頼政の言うとおり木の下を右の大将に差し出した。聞いていた通りに素晴らしい馬であったので、右の大将はこの馬に何人もの世話係を付けて、馬屋で秘蔵して飼うことにした。数日して、仲綱は使者を通して右の大将に「一目見てみたいとのことでしたので先日参上させた木の下をそろそろ返して欲しい。」という旨を伝えた。右の大将は木の下を手放すのを惜しんで、南鐐という馬を代わりによこした。その馬は毛色が非常に白かったために南鐐と呼ばれていた。この馬も非常にたくましく立派な馬では合ったのだけれども、木の下には及ばない。こうしているうちに、当家他家の公卿の殿上人が、右の大将の下で会合を開くことがあった。殿上人は「木の下とかいう仲綱が秘蔵していた馬がここにいるというのは本当なのでしょうか。素晴らしい馬だという評判です。見てみたいものだ。」と言った。右の大将は「その馬はこちらです。」といって、仲綱があれほどに惜しんだことを憎く思って、木の下という名では呼ばず、馬主の実名で、「その伊豆(木の下)に轡をつけて引き出して、庭乗りをさせて彼らにお見せなさい。」と言った。馬の世話をしていた者は、言われたとおりに引き出して、庭乗りなど、さまざまなことをした。右の大将は「仲綱が怖いのならばこの馬を鞭で打ちなさい。そのまま仲綱(木の下)を馬宿に引き入れてつなぎとめておけ。」と命じた。それほど(本人を馬にたとえて多くの人びとの前で辱める行為)の無礼なことであったので、程なく仲綱はそのことを耳にすることとなった。仲綱は悔しさを抱き父、三位の入道頼政の下へ行って「私仲綱は京都の笑い種になりました。平家は桓武の帝の血筋であるとは言えども、時代は流れてはや13代になります。昔はちょっとした国の受領さえも許されなかったのが、この頃では一族の力をあれほどまでに大きくしてきました。それに比べれば私たち源氏の家柄は彼らと比べることなどとうてきできるものでもありませんが、一時の幸運によって、源氏と平家は官位・官職の低い高いの差ができる程度になりました。右の大将宗盛の言葉が憎かったのですが、彼が私に下した『木の下を私に見せよ』との命令に背くこともできず、私はその馬を宗盛の下へ遣わしました。たとえ右の中将宗盛が心の中では私のことを憎んでいても、馬を渡したことに礼を言うべきであるのに、それを宗盛は酒宴の席で『仲綱に轡かけよ、仲綱怖くは鞭で打て、仲綱の背に乗れ、仲綱を馬小屋に引き入れよ、仲綱をつないでおけ』などと、私の大切な馬を私の名で呼び侮辱したのです。宗盛が私に行ったこうした仕打ちは今生の恥でございます。弓を取るほどの恨みは、これを除いてあるでしょうか。今のように平家が大手を振るう時世では、私が反旗を翻したとしても甲斐のないこと。それならば私は宗盛の宿所に行って戦い討ち死にするか、武士を辞め仏道に身をささげるしかありません。」と言って、はらはらと悔し涙を流した。父の三位の入道頼政はこれを聞いてそれほどまでに遺恨に思ったのであろうか。冒頭の謀りごと(平家追討の策略)を宮に申し勧めたのは、また後のお話。

 

 

 

龍谷大学・龍谷大学短期大学部(一般入試) (2017年版大学入試シリーズ)

龍谷大学・龍谷大学短期大学部(一般入試) (2017年版大学入試シリーズ)

 

 

2009京都産業大学一般3科目型「堤中納言物語(虫愛づる姫君)」現代語訳

赤本に全訳が載っていないので、全訳を作ってみました。
内容の背景を捉えることを第一目標としているので、直訳とは若干異なるところがありますが、ご了承下さい。

(とくに敬語に関しては、話の筋を理解しやすくするためにあえて無視している箇所が多くあります)
順次赤本に全訳が載っていない古典の文章の訳をアップしていこうと思います。

(ところどころいい加減です・・・)

※因みに過去問は東進の大学入試問題過去問データベース から入手可能です

 

 この姫は「人びとが花や蝶を可愛がることがつまらないことなのです。人には誠実さがあり、物事の本質を見ようとする気持ちこそ素晴らしいものなのです。」とおっしゃって、さまざまな気持ちの悪い虫を集め、「これらがどのように成長するかを見よう。」とおっしゃって、さまざまな籠に入れていた。中でも「毛虫の思いやりがあるようなたたずまいがすばらしい。」と言って、明けても暮れても一日中、ひたい髪を耳にかけて、手の上に毛虫を乗せて見守りなさっていた。
 お付の若い女性はみな怖がったので、姫君は無視に物怖じしない身分の低い男の童を呼んで、箱の虫たちを取らせ、童たちにその虫の名前を聞き、新しい虫には姫自ら名前を付けて、楽しみなさっていた。
 姫君は「人はみな、取り繕おうとする所があるとよくない。」といって、眉毛を全く整えようとしなかった。また、お歯黒も「わずらわしい、きたない。」と言って、つけることはしない。白い歯を見せて笑いながら、この虫たちを朝から晩まで可愛がっていた。お付の人びとが怖がって逃げるので、姫君の住まいはいつも騒がしくしていた。虫を怖がる周囲の女房たちには「けしからん、たしなみがない。」と言って、姫君がたいそう太くて黒い眉毛で睨みなさるので、いっそう彼女たちを悩ませた。
 姫君の親たちは「たいそう変わっていて、様子が普通の人びとと異なっている」とは思っていたけれど、「姫君にも何か思うところがあるのだろう。変わってはいるけれど、私たち(両親)が思っていることを言うと、姫が思うこと深い言葉で答えるので、非常に上手いなあ」と、思ったことを姫に伝えるのにも気が引ける様子である。
 「そうは言っても、周囲からの評判は悪いだろう。人は一般的に見栄えの良いものを好むのだ。『気持ちの悪い毛虫を可愛がっているらしい』などと世間の人の評判になるようなことが不安です。」と両親が言えば、姫君は「構いません。あらゆることを探求して、その行く末を見れば、物事には理由があります。(私や毛虫を見て怖いと判断するのは)たいそう稚拙なことです。みなが怖がる毛虫がやがて蝶となるのです。」と言って、毛虫が蝶になる姿を籠から取り出して見せた。「絹として人が着るのに使っているのも、まだ羽の生えない蚕が出した糸で、蝶になった時には無駄になってしまうものが原料なのです。」と姫君がおっしゃるので、言い返すこともできず、驚いていた。