新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



Every Little Thing「Time goes by」考察〜歌い手の変化で徐々に進化している曲〜

僕がEvery Little Thingの曲初めて聞いたのは小学生のとき。

父親が好きだったことがきっかけでした。

最近になってとあるきっかけでELTの曲を再び聞くようになって、改めて面白いアーティストだなと思うようになりました。

僕が1番好きな曲はTime goes byです。

そんなメジャーな曲を...と言われるのを承知で、やっぱりこの曲が僕にとっては1番です。

この曲はかつてのメンバーであった五十嵐充さんが作詞作曲さた曲なのですが、その作り方がとても面白いんですよね。

五十嵐さんは徹底的に理屈で歌を組み上げる人。

女心を書くために、ひたすら女性の読む雑誌を読み漁っていたそうです。

Time goes by」という曲の歌詞をみると、そんなエピソードを裏付けているように思います。

 

普遍性を冒頭で示すという特殊な作りの歌詞

 

<きっと きっと 誰もが 何か足りないものを 無理に期待しすぎて 人を傷つける>

Time goes byのAメロはこう始まります。

僕がこの曲が面白いと思ったのは、冒頭でいきなり普遍的な価値観を提示するこのフレーズです。

もちろん、一人称で自分の気持ちを歌った曲であればその限りではありませんが、普遍的なテーマを扱う歌の場合、大抵は「具体的→普遍的」という展開になっています。

例えば、恐らく誰もが耳にしたことがあるであろう美空ひばりさんの「川の流れのようにをみてみると、<知らず知らず歩いてきた 細く長いこの道 振り返れば〜>というように、自分の人生を回顧する形で始まります。

そして、Bメロの段階で<〜 地図さえない それもまた人生>と、ここで普遍的なテーマが登場します。

これは偶然というわけでなく、作詞家の秋元康さんが意図的に行ったもの。

実際に、秋元さんはAKB48グループの特典映像の中で高橋みなみさんに作詞の方法を教える際に具体→普遍という展開を教えていたことからも、意図的にこの構造をとっているとみるのが適当でしょう。

他にも、SMAPの「世界にひとつだけの花」やサザンオールスターズの「TSUMAMI」にも同じ構造が見出せます。

「世界にひとつだけの花」のAメロでは、花屋に色とりどりの花が並んでいることを主人公が「どれもきれい」と感じるところから始まります。

それがBメロに入ると、花は色とりどり、様々なものが互いに並んでいるのに人間は比べてばかりという話が展開される。

「花を見たときの感想」から「人間の性質に対する問題提起」へと進みます。

 

TSUMAMIも同じ。

Aメロでは<風に戸惑う弱気な僕>と、僕の気持ちが語られます。

それがBメロになると転調して<人は誰も愛求めて闇に彷徨う定め>と、人の抱える問題へと拡大する。

普遍的なテーマを扱った曲のうち、ヒットしているもののほとんどが、このように「具体→普遍」という構造になっているのです。

 

そんな中で真逆の展開になっているのが、Every Little Thingの「Time goes by」です。

この曲は、<きっと きっと 誰もが 何か足りないものを 無理に期待しすぎて 人を傷つける>という「普遍的」なテーマのあとに、自分のエピソードのような<会えばケンカしたね 長く居すぎたのかな>と続きます。

ここからはずっと自分の振る舞いの回顧と反省。

この展開が非常に特徴的だなと思うのです。

 

Time goes byに込められた意味

 

この曲の感想を調べてみると、実に様々な見方があることが分かります。

多いのが、復縁したくて距離をあけるカップルという解釈。

もちろんそれでも今は通じますが、僕はこの曲を、「別れを切り出した女性が、未だに彼のことを忘れられない曲」だと思っています。

主人公の女性は「会えばケンカしていた」「意地を張った」「キスや抱き合うだけでよかった」「言い訳ばかり」「いつもあなたを求めていた」と、自己反ばかりしています。

これらは全て冒頭の<何か足りないものを 無理に期待しすぎて 人を傷つける>の具体例。

そんな自分を振り返りつつ、サビでそれぞれ<いつかありのままに愛せるように><「アリガトウ」が言える時がくるまで>と言って、Time goes by(時間が早く流れて欲しい)と続く。

僕はこれが、自分が悪かったと自己反省する女性の気持ちを歌った曲であるように見えました。

しかも、反省している一方で、「時間が過ぎて」といっていることから、まだ言葉では反省しているけれど、自分の気持ちに整理がつけきれていないということが分かります。

だからこその「Time goes by」なのだと思います。

 

持田さんの声とTime goes byという歌詞のシンクロニシティ

 

ちょうどスイミーという曲が発表される時に、持田さんはライブで喉を潰したしまっています。

それによって声質が大きく変わってしまい(最近は戻りつつあるようですが)、その変化をネガティブに捉える人も少なくありません。

実際に高音の伸びはかつてほどではなくなってしまいました。

ただ、個人的に、僕は昔の持田さんの声以上に、今の声の方が好きだったりします。

特にTime goes byに関してはそう。

僕はアーティストは歌に自分の人生を乗せるからこそ人々に共感を生じさせることができると思っているのですが、それでいくと声が出なくなってしまって以降の持田さんが歌うTime goes byには、声が出なくなった悔しさみたいな感情が乗っかっているように聞こえるのです。

喉が潰れて辛いこともあったし、まだ実際に乗り切れたわけではないけれど、いつかそれも受け入れられるような日が来るように。

喉が潰れたことで、こんな心境が無意識に歌に現れているような気がするのです。

 声が出なくなってからの方が、圧倒的にそういった切なさが伝わってきます。

 

 

緻密な計算で構築された歌に、歌い手の人生がライドしている。

だからこそ、Time goes byは年季を重ねるほどに映える曲なようにおもいます。

 

歌詞考察シリーズです、よかったらご覧下さい!
Mr.Children「しるし」考察〜とんでもなく深い!桜井さんが込めた冒頭2行のインパクト - 新・薄口コラム
「ハネウマライダー」考察〜20代後半でもう一度聴きたい、ハネウマライダーの人生論 - 新・薄口コラム
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アイキャッチTime goes by

 

Time goes by

Time goes by

 

 

 

映画「きっと、うまくいく。」考察~All is wellの言いたいことと、赤塚不二夫のメッセージ~

僕は殆ど映画を見なかったのですが、さすがに映画に関わるNPOに関わっていて、しかも(名ばかりですが)広報の代表をしているにも関わらず「映画は見ない」はマズイということで、最近時間を作って映画を見るようにしています。

せっかくなので、今まで書いてきた本や歌詞の考察に加えて、映画の考察もシリーズで書いていくことにしました。

というわけで第一弾は知り合いに紹介してもらって、非常に印象に残ったこの作品「きっと、うまくいく。」です。

インドの工科大学の寮でのドタバタ劇を描いたこの作品の主人公は、ランチョーという大学時代の友人が現在何をしているかを探すという構成で物語が始まります。

大学時代にランチョーを含め3馬鹿と呼ばれていた主人公の友人たちは、かすかな手掛かりを頼りに、ランチョーを探します。

その感にいろいろな想い出を振り返るという形で学生時代の彼らの生活が明らかになる。

主人公のランチョーは、非常に頭の良い人物で、いつも物事の本質を突くような発言をします。

大学に入学した当初から、学内にあった上下関係や学長の過度な競争主義に懐疑的で、いつもぶつかっていました。

初めこそ、そんな「問題児」であるランチョーのことを周りの人たちは問題児としてみていますが、一本筋の通ったランチョーの行動を見て、周囲は次第に変わっていきます。

最後はランチョーを目の敵にしていた学長までも認めるようになる。

(細かなストーリーを話してしまうとネタバレになってしまうので、ざっくりとしたあらすじだけ…)

常に周りを巻き込み、周りを変えて行くランチョーの口癖はAll is(izz) well.

(正式にはizzですが、ここではisと表記します)

窮地に陥るたび、こころの中でこの言葉を自分に言い聞かせ、いつも困難を乗り越えます。

 

[All is well.]と「きっと、うまくいく。」という邦題

 

映画を貫く主人公の考え方All is wellは、「きっと、うまくいく。」という和訳で、邦題にも使われています。

オシャレな訳で、邦題としてはぴったりだと思うのですが、この作品が言いたいことをより的確に表すには、この和訳には少し違和感がありました。

「きっと、うまくいく。」だと、将来のことを祈る言葉のように聞こえてしまう気がしたのです。

僕は、ランチョーが言う[All is well]は、自分の選択を行程し背中を押すことばであると感じました。

だから、もっとこう、自分の選択を受け入れるニュアンスがある言葉ではないかなあと思うのです。

そんな風に思っていたときに僕がぴったりな和訳だと思う言葉を漫画家の山田玲司先生が言っているのも見つけました。

それが「これでいいのだ」という言葉。

バカボンのパパの口癖であるこの言葉こそ、ランチョーが言わんとすることを、最も的確に表しているように思うのです。

 

赤塚不二夫と「きっと、うまくいく。」の共通項

 

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あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

===================================

タモリさんは赤塚不二夫さんの弔辞で、赤塚さんの「これでいいのだ」という言葉に込められた哲学をこう表しています。

「きっと、うまくいく。」の中でランチョーいうAll is wellは、まさにこうした意味ではないかと思うのです。

ランチョーは自分が疑問に思う状況に出くわすと、それを我慢して受け入れることはありません。

いったん自分の頭で考えて、それが違うと思うのであれば、しっかりとそれを主張します。

その主張をするときに勇気付ける言葉がAll is wellなのです。

ここには、「自分が出した結論ならば、あとの成り行きは受け入れよう」という意思が感じられます。

納得できない出来事に直面したら、Is all well?(これでいいのか?)と自問し、納得できる結論に到達したのなら、All is well(これでいいのだ)と自分に言い聞かせて前に進む。

主人公にとって、All is wellという言葉は、そんな意味を含んでいるように思うからこそ、赤塚不二夫さんのいう「これでいいのだ」が最も適した和訳だと思うのです。

 

「競争が全てなの?」10年代のコンテンツに表出するモチーフを先取りした作品

 

ヒットしたマンガやアニメには、必ず時代の空気感が投影されているというのが僕の持論です。

僕はゼロ年代後半から10代前半のコンテンツには、競争に対する問題提起がなされる場合が多々ありました。

NARUTO」や「ワンパンマン」「黒子のバスケ」がその好例。

(この辺は以前のエントリで説明しています)

バトルロワイヤルや金色のガッシュベルなど、ゼロ年代前半には、疲弊しながら競争に競り勝とうとする主人公が頻繁に描かれました。

それが、ゼロ年代後半にかけては、「競争で勝つだけでいいの?」という思想を持つ主人公が頻繁に登場するようになります。

「試合終了した時どんなに相手より多く点を取っていても嬉しくなければそれは「勝利」じゃない・・・!」

黒子のバスケ』で主人公の黒子がいうこの言葉には、そうしたメッセージが端的に示されていると思います。

 

「きっと、うまくいく。」の中で、主人公は同じ問いを投げかけます。

舞台となるインドの工科大学は、学歴でいえばトップクラスの学校という設定です。

学長も生徒もそのことを誇りに思っていて、だからこそ学生の親たちは無理をしてでもそこに通わせ、わが子が将来成功することを望む。

一方その実績の裏には、勉強についていけず自殺する生徒や、自分のやりたいことを我慢して学問に打ち込む生徒たちがいます。

ランチョーはこうしたシステムに正面から疑問符を投げかける。

 

 

他にも感じたことはいくつもあるのですが、長くなったのでここまで(笑)

上映されてから少し時間が経過した映画ですが、まだまだメッセージとして古びない、素晴らしい映画だと思います。

 

アイキャッチはもちろんこれ!

 

 

森鴎外「高瀬舟」考察~現代人がごっちゃにしがちな法とモラルは違うということを教えてくれる作品~

僕が好きな小説のひとつに、森鴎外の『高瀬舟』があります。

高瀬舟は人殺しの罪で島流しにあった身寄りのない喜助という男に同伴した庄兵衛が、舟の上でやりとりを交わす形で進みます。

人殺しの罪でこれから島流しになった喜助は、船中で信じられないほど落ち着いていて、それどころかどこか嬉しそうですらありました。

これから島流しに合うにも関わらず、たいそう落ち着いている喜助を怪訝な様子で見守っていた庄兵衛は、どうしてそんなに落ち着いていられるのだと喜助に理由を尋ねます。

庄兵衛が尋ねたことで明らかになった喜助は身の上は、想像以上に過酷なものでした。

喜助にとってそれまでの暮らしは、その日を越すのもままならない程に貧しいものでした。

そんな喜助は弟殺しの罪で投獄されると、何もしないのに三食を与えられる。

それまでは毎日の食事もままならず、居場所も無かった喜助にとって、たとえ島流しで苦役が待っているといえど、喜助にとってはそれまでよりかはずっといい生活なのです。

喜助が弟を殺めたのも、止むに止まれぬ事情ゆえ。

病気で動けなくなった弟が、自分がいては迷惑をかけるからと、喜助がいないうちに、喉をきって自殺しようとしていました。

喜助が家に着くと死にきれず苦しんでいる血まみれの弟を発見し、弟は喜助に「俺を殺してくれ」と頼みます。

そして仕方なしに喜助は弟を手にかける。

これが、喜助が親族を殺した真相だったのです。

庄兵衛は喜助のこの話を聞いて、自身の立場を重ねながら、さまざまなことを思います。

 

こんな感じで進む高瀬舟

高瀬舟は国語の教科書にも載っているので、ウェブで調べるとさまざまな指導案が出てきます。

圧倒的に多いのは、喜助や庄兵衛の気持ちについて考えようというもの。

もちろんそこも大切なのだとは思いますが、僕が高瀬舟を好きな理由は、少し違うところにあります。

僕が高瀬舟を読んで最も印象に残ったのは、庄兵衛が喜助の話を聞いて、「法」について考えをめぐらすところです。

僕はこの作品を読んだとき「法とモラル」は違うということを改めて考えさせられました。

僕たちはたいてい、法と善悪を同じものと考えます。

法を犯すことイコール悪いことで、法を守ることイコールいい事といった具合です。

確かにたいていの場合、法とモラル(善悪)は一致しているのかもしれません。

ただし、全てがそうであるわけではない。

もともと法は社会を円滑に運営されるためのルールであり、本質的に善悪とは関係ありません。

たまたま、社会を円滑に運営されるルールと善悪が一致している部分が多いというだけ。

そんな当たり前のことに気付かせてくれるのが、この「高瀬舟」という作品だと思うのです。

喜助は確かに法を犯します。

だからこそ裁かれる。

法を犯し、罰を受けることに、喜助は何の不満もなく、全て受けいれています。

自分は「法」を犯した、だから罰を受けるのです。

一方で庄兵衛は喜助のこれまでの経緯を聞いて法で罰せられるとはなんだろうと考えてしまいます。

僕はこの二人の態度の違いが面白いと思いました。

それまでの庄兵衛にとって、法の判断と善悪の判断は完全に一致したものでした。

だから、初めに喜助を見たときには悪人としてみていたし、身の上を聞いた後は喜助が裁かれることに複雑な思いを抱く。

それに対して喜助は終始落ち着いています。

それまでの境遇や弟を失ったことから全てを達観しているようにもみることが出来ますが、僕は喜助のことを当たり前のように法とモラルを区別して考えている人物だと見ています。

だからこそ、罪を犯した自分が罰せられることを受け入れるし、境遇も受け入れているのだと思うのです。

 

現代社会を生きる僕たちにとって、自分自身が「法」を意識することはあまりないので、僕たちはどうしても法の判断と善悪の判断をごっちゃに考えがちです。

法を犯したから悪いという評価や、その逆でモラルに反することをしたから罰せられるべきといった具合です。

高瀬舟』は僕たちに「法とモラルは違うよ」という気付きを与えてくれるという意味で、非常に面白い作品だと思うのです。

 

 

山椒大夫・高瀬舟 (新潮文庫)

山椒大夫・高瀬舟 (新潮文庫)

 

 

「運がいい」を科学する~あなたの身近にいる運のいい人について、理屈を組み立てて説明してみた~

「何故かあの人にはいいことばかりが起こる。」「またあの人が美味しい話を拾ってきた。」

周りの友達を見回したときに、何故かやたらと運がいいように見える人っていませんか?
僕の周りには結構な頻度でこういう人がいます(笑)
こういう人たちのことを、長い間持って生まれたカリスマ性みたいなものなのだろうなあと思っていたのですが、よくよく見ていると、最近そうでもないなと思うようになってきました。
「運のいい人」には一定の法則があるように思うのです。
何故かいい話が舞い込んでくる人たちの行動パターンを整理していくと、いくつかの共通項が見出せます。

というわけで早速僕の考える「運のいい人」の共通項をまとめたいと思うのですが、その前に、何をもって「運がいい」とするのかを定めておきたいと思います。
人によって、いい仕事に出会えることを「運がいい」と呼んだり、カワイイ彼女と出会えることを「運がいい」と呼んだりとさまざまだと思います。
こういう特定のジャンルに関する運のよさに絞ってしまうと、まったく共通項がありません。
僕が考える「運のよさ」とは、「自分に喜ばしい出来事が偶然降りかかる」こと。
どのようなジャンルにおける「いい事」であるかはわかりません。
あくまで「自分に喜ばしい出来事が偶然降りかかること」という範囲における「運のよさ」について、共通項をまとめていきたいと思います。

運は常に点在している

「運」、つまりいいことに出合う可能性について僕が立てた仮説に、「運とは常に点在している」というものがあります。
どのような間隔かは分かりませんが、運がいいと感じる出来事は等間隔に並んでいて、そこを自分が通過したときに、「いい事」としてそのイベントに出会うというイメージです。
仮に10kmに一つ、運がいいと感じるイベントが潜んでいるとします。
日常の生活が半径5mですんでいるような人には、どんなに頑張っても、運がいい出来事はひとつしか起こらないことになります。
一方で、常に新しいことにアンテナを張って、いろいろなところに足を運ぶ人にとっては、運がいいと感じる現象に出会う可能性は高くなり、また、その頻度も多くなります。
だから、新しいことに次々と手を出す人たちは、それだけ「運がいい」ように見えるわけです。
また、そう何度も同じ場所で「運のいいイベント」に出会うことはありません。
従って、生活圏が常に変わらない人には、それほど運がいいという経験が舞い込んでこないのです。

出会う運はランダムである

これは最初の「運」の定義にも通じることですが、積極的に行動している結果いろいろな「運」に出会うことは出来ますが、その運が必ずしも自分の求めているものではありません。
理想の彼女が欲しいと思って活発に動いていたけれど、出会った「運」は仕事に関係するものであったとか、そういう感じ。
「運」とは自分にとって紛れもなくプラスに働く偶然ではあるのだけれど、それが自分の最も望んでいるものとは限らないのです。
自分の中で「こういういい出来事に出会いたい」と思っているのは僕たちの勝手ですが、出会う現象は全くのランダムです。
スマホゲームのガチャやポケモンのタマゴではありませんが、出くわす「運のいい事」は様々で、それを自分にとって運のいい出来事であると気付けるかどうかは、自分の姿勢にかかっているわけです。

「運のよさ」は演出できる

「運がいい」と周りに思われている人たちを観察していていつも思うのが、運のよさを演出しているなあということです。
どんなに運がいいようにみえることに巻き込まれているように見えても、実はその出来事はたいしたことではなく、それを解釈した側がさも、運がいいように見せている場合があります。
例えば、試験勉強をして山を張ったところが当たったとかそういう感じ。
ぱっと見ると適当に山を張った部分がテストに出て、その人はついているようにみえるかもしれませんが、実はその招待は、いくつもやった勉強の中で偶然当たった一問に過ぎないかもしれないのです。
何十個も「出るだろう」と思って覚えたものの中から一つ当たったところで、あまり「運がいい」とは思いませんよね?
運がいいと思われる人たちは、こうした「当たり前」のことを、無意識の内に、自分が運がいいというエピソードに仕立て上げるのです。
こうした習慣がある人がたまに本当に「運がいい」出来事に出会う。
それを周囲からみると、本当についているように見えるというわけです。

「運のよさ」に関して、自分からアプローチできることは、せいぜい「よく動く」ということくらいです。
よく動いた上で、出会った非日常な出来事を片っ端から見逃さない。
飲みに行って隣の席の人と気があったらそのまま誘いに乗ってみる。
旅先で面白い出会いをしたら、予定を変更して流されてみる。
こういう「非日常」に乗っかることの繰り返しが、運なるものを引き寄せる方法であるように思います。

タイトルで「『運のよさ』を科学する」とか書いたくせに、全然科学的でなかった(笑)

 

 アイキャッチはマルコム・グラッドウェルのこの本!

天才!  成功する人々の法則

天才! 成功する人々の法則

 

 

今すぐ使える!ベテラン講師の授業のパクリ方

僕は今でこそ塾の先生でご飯を食べているわけですが、学生時代、先生を始めたばかりのころは、授業がヘタクソで、教室に入るときはいつも胃の痛みを感じるくらいの思いをしていました(今も授業がうまいかと言われれば、まだまだ改善の余地だらけですが…)

だから、何とか授業の形を保とうと、当時から今までカリスマ性のある授業を行う先生や噺家、講演会の登壇者などを分析してきました。
これまで、かなり意識的にいろいろな人の話し方や授業・講義の仕方を分析して、その都度メモを取ってきたのですが、やはり、授業(に限らず人前で話すこと)が上手な人にはいくつかの共通点があるように感じます。
ということで、相も変わらず「誰トク?」なエントリですが、僕が分析してきた、「カリスマ性」のある授業を作る先生たちのテクニックをまとめてみたいと思います。

ベテラン講師は授業の前に場を温める

ベテランの先生たちを見ていると、なんであの人はいつも子どもたちをあんなにも惹きつけるのだろう?と思わされる授業を行う方が多々います。
彼らに共通していることは、「授業前に場を温める」ということ。
いきなり内容に入らず、まずは子どもたちの話を聞いて、それをもとにコミュニケーションをとっておき、みんながある程度リラックスしたところで話しに入るんですよね。
だから、スタートの段階ですでに子どもたちが聞く体制になっている。
一方で新人さんほど授業開始と同時に空気を温めはじめる。
どうしても勉強の内容で空気を温めようとすると難易度が高くなってしまいます。
湿気た木で火起こしをする感じ。
そうではなくて、授業に入る前に自分で火種を持っていって先に火をつけておく。
そうすることで開始と同時にグッと子どもたちをひきつけられるわけです。
ベテランの先生は須らくこのポイントを押さえている。
むちゃくちゃ実用的なテクニックだなと思います(そして僕もすぐにパクリました 笑)

ベテラン講師は飛び道具を用意する

有名な語呂合わせや、王道の説明みたいなものがありますが、そういうのとは別にベテランの先生は自分だけの「飛び道具」を持っています。

ここでいう飛び道具とは、その先生ならではの絶対に外さない説明のネタのことです。
ベテランの先生は絶対にコレを複数持っていて、ここぞというタイミングで毎回の授業にはさんでくる。
素数を使ってひと笑い起こしたり、よく間違える単語を使った鉄板ネタをぶち込んだりする。
これは僕の考察ですが、グッと引き込む飛び道具を持っていると、授業に緩急が生まれます。
緩急があることで最後まで集中力が保つようになる。
これは天才肌の先生たちは自然とできていることなのですが、意図的に組み込むことで、うまく教室が回るようになります。

ベテラン講師は線で授業を組み立てる

これは、僕がアルバイトを始めたばかりのときに、当時の研修をしてくれた先生が教えてくれたことです。

「新人は次の授業の範囲で考えるが、それだと連続性がない。だから、全体に目を通し、前後の流れを考えて授業を作れ」
この数十倍言葉は汚かった(笑)ですが、言われたことは本当に的を射ていて、僕の今の授業の基盤になっています。

ベテラン講師は作った教案をバラバラに分解する

これは僕が大学を卒業して、今の塾で教えてもらったこと。

それまでは毎回やる内容を決めていて、そのタイムテーブルどおりに行うことを意識していました。
しかし、それでは「ライブ」授業の意味が無くなってしまう。
「子どもたちの反応をみて融通を利かすのがライブ授業の強みやろ」
そう言われていろいろな先生の授業を分析する中で気付いたのが、この「作った教案を分解する」という作り方です。
当然説明すべき内容は組み立てておきます。
しかし、それを初めから最後まで一本でつなげて置くのではなく、3分、5分10分くらいの尺でそれぞれ説明を分解して用意しておく。
これをその場にいる子どもたちの様子に合わせて(場合によっては順番を入れ替えて)授業を作っていく。
その日に絶対に教えなければならない内容を3つくらい押さえて、あとは教室の空気で内容を取捨選択する。
何を教えるかとともに、何を教えないかも考えられるようになると、ベテランっぽくみえるように思います。


ベテラン講師は子どもを主役に引き揚げる

「カリスマ講師」と呼ばれる先生は、みんな話がうまいように感じますが、実はその多くが、「教室の子どもたちを面白く見せるのが上手い」ということだと思うのです。
みんな、生徒を主人公にしている。
僕が学生時代、新しい先生の適正を見るときの指標の一つとして、その先生が自分を主役にして話すか、生徒を主役にして話すかという部分を見ていました。
自分の「想い」が強い先生ほど、会話の主役が自分になってしまうんですよね。
こういう場合、どこかのタイミングで生徒さんとの気持ちの乖離が生じてしまう。
一方で、徹底的に授業の主人公を「子ども」にできる人がいます。
この人たちは、長期的に信頼関係が積み上げることができ、圧倒的に子どもたちからの人気を獲得できる。
僕が参考にさせていただいているベテランの先生たちは例外なくこれを徹底しています。

ざっと上げただけでもこんな感じです。
しかも、システムとして真似できる部分ばかり。
こんなもの、同業者にとっては当たり前のことなので、あくまで「学生時代に意識していたこと」の備忘録くらいに思っていただければ幸いです。

 

最近お酒を飲むのをやめてしまったので、ブログの中でお酒を楽しみます(笑)

アイキャッチは大好きな日本酒「風の森」

 

 

飲ん兵衛の僕が、お酒の席での「酔わない」ためにしているテクニックを披露してみた

絶賛断酒中の僕ですが、お酒の話題について触れてみたいと思います。
僕はお酒の席について、好き嫌いよりもテクニックが重要であると思っています。
お酒の席でうまく立ち回れるか否かには、実はお酒の好き嫌いはあまり関係がありません。それよりもずっと重要なことは、お酒の席でうまくやりきるテクニックを持っているかどうか。
好みの話ではなく、「技術面」が非常に重要であるように思うのです。

僕は、飲み会の場に行く以上、できるだけその場を盛り上げたいと思ってしまう性分です。
少なくとも、僕がお酒を断ることで場の空気を停滞させるのだけは避けたい。
だから、勧められた酒は絶対に断りませんし、そろそろ限界だなという人がいれば酔ったフリをして代わりに飲んでしまうくらいのことができる余裕はいつも備えていられるように心がけています。
ただ、当然それは気合でどうこうなるものでもないので、激しくなるなと思う飲み会のときには、事前にいくつかの準備をするようにしています。
そのうちのいくつかを紹介します。


1.コースが始まってからではもう遅い!?酔いたくなければ予め胃袋を満たすべし

これは僕が一番意識していることです。
お酒の許容量はその時のコンディションに左右されます。
特に影響を受けやすいのが、その日の体調と空腹度合い。
当然風邪気味のときやストレスで免疫が下がっているようなときには飲めるお酒の量は減ってしまいます。
こちらは常に意識しておくしかない。
重要なことはもう一つの「空腹」にしないということです。
大体の飲み会の場合、ご飯が出てくるとはいえ、みんなで食べているわけなので、一品一品はたいした量ではありません。
そのため、殆どの場合でほぼ空腹の状態でお酒を飲むことになる。
これが酔っ払ってしまう大きな要因だと思うのです。
特にお酒を飲む人は、大人数での飲み会においてお腹いっぱい食べられるということはそう多くありません。
したがって、予め軽食をとっておくことが、酔っ払いすぎないための有効な手段となるのです。


2.限界を超える前に、自発的に吐き出してしまう

「吐く」と聞くと飲みすぎたときに自然と行うことのように思いがちですが、酔っ払いすぎてしまう前に、自分から吐いてしまうということが重要です。
気持ち悪いと思ったときは、たいてい既にアルコールを吸収してしまった状態です。
そうなる前に「これは飲みすぎているな」と思ったら予防として一旦吐いておく(指を喉の奥に突っ込むとたいていうまくいきます)。
こうすることで気持ち悪さを感じることを防げます。

事前策としてお酒を吐くためには、普段から自分のお酒の許容量を知っておく必要があります。
知っておきたいのは、①これ以上飲むと「少し酔っ払ったと感じるな」というライン、②これ以上は飲みたくないというラインです。
②のラインを超えると気持ち悪さで自然とお酒を戻してしまう危険性が出てきます。
したがって、日頃から②の量に達した時点で一度トイレに行き、吐くという習慣を付けておくといいでしょう。
因みに、僕はお酒が好きだからそこにラインを定めていますが、本来お酒なんてそこまでして飲むものではありません(笑)
じっさいには①の量を超えたら飲むペースを落とすくらいにするのがいいと思います。
ただ、いずれにせよ自分の許容量を知っておくことは重要です。
1人で家で確認しておくと良いでしょう。


3.ちゃんぽんはしない、日本酒やワインといった酔いが遅れてくるものは避ける

飲み放題のときだと、ついいろいろなお酒に手を出してしまいがちですが、長時間飲むときのいろいろなお酒のちゃんぽん(様々な種類を頼むこと)は、一種類を続けて飲むのに比べ、酔いが回りやすくなります。
あくまで楽しむ分には好きなものを飲めばいいと思いますが、付き合いで多くを飲まざるを得ない場合、あるいは自分が最後に世話役をしなければならないメンバーでの飲み会のときは、極力一種類だけを飲み続けるようにします。
ここでポイントとなるのは、でいる限りビールは選ばないということです。
ビールを選んでしまうと、一気飲みに誘われやすくなってしまうからです。
同じ理由から、おちょこで一気飲みをしやすい日本酒もオススメできません。
僕のオススメは焼酎のお湯割り。
お湯割りに関してはまず一気飲みさせられることはありません(万が一一気飲みを進められても「熱いので」と断って乾杯に持っていくことができます)。
焼酎を持って周れば、乾杯のたびに一口飲むくらいでやり過ごすことができます。
そういう観点からも、一種類を選択して飲み続けるのなら焼酎がオススメです。

もうひとつ、長時間飲む際には、後から酔いが回ってくるお酒も避けるべきです。
具体的には日本酒とワイン。
この辺のお酒はよく「後から酔いが回ってくる」といわれます(あくまでそういう話をよく聞くというだけなので、エビデンスがあるわけではありませんが)。
これらのお酒はその瞬間は飲みやすく、ついつい飲みすぎてしまうので注意が必要です。


4.家に帰ってすぐに眠らない

これも僕の経験測ですが、二日酔いにならないためには酔った状態で寝てしまわないことが重要です。
お酒が回った状態で寝てしまうと、高確率で次の日に残ります。
そうならないためにも、どんなに飲みすぎて眠りたいときでも、火照りが覚めて意識がある程度はっきりするまで酔いを覚ますことが必要です。
最低でも2時間くらいはゆっくりとお水を飲みながら横にならずにゆっくりしておく。
こうやって寝る前にお酒を抜くことで、翌日に引きずることを防げるのです。

 

まだまだ飲みの席で僕が行っているテクニックがいろいろありますが、分量が増えてしまったので、ここまでにしたいと思います。
もちろん大前提は自分が飲んでいて楽しいこと。
お酒なんて無理して飲むものではありません。
それでも、場の空気を崩したくない、場を盛り上げたいという理由でお酒を飲みたいという人には、こうしたテクニックが有効であるかもしれません。
最後に、これはあくまで僕の主観に基づいた「僕の」お酒の席でのテクニックです。
客観的なデータに基づいた情報では無いので、その点はご了承下さい。

 

アイキャッチは酒好きの間では獺祭より美味しいといわれる山口の地酒「雁木」

 

 

 

僕はこれでお酒をやめた!~何かを制限するときの必殺技「習慣の上書き」~

最近家でのお酒をやめました。

もともと日本酒なら3~4日で一升、ワインなら一日1ボトルでは足りないくらい飲むヘビードリンカー(そんな言葉があるかは知りませんが…)で、最後にお酒を飲まなかった日が8ヶ月くらい前、2日以上お酒を飲まなかったのが1年以上前という具合でした(笑)

体時代は全く問題なかったのですが、これはお酒が好きなのではなく、依存症なのでは?と少し恐くなったので試しにやめてみることにしました。

 

実際にお酒を断ってみて分かったのは、意思だけではきついということでした。

お酒をやめて数日は理性で止めることはできても、お店に入るとついついお酒コーナーに目がつられてしまうことがありました。

依存というより習慣的な理由だと思います。

で、その辺をみると、つい「少しだけなら…」と、買っていきたい気持ちになります。

そんな理性でお酒を買いたい欲求を抑える感じでお酒を断つのは中々難しいんじゃないかなと思います。

既に「お酒を飲む」ということが習慣化してしまっているからです。

習慣化しているものをピタリとやめると、そこがぽっかりと空洞になってしまうので、いつでも再開できる状態になってしまいます。

しかも体が求めているので抗いにくい。

そんなイメージで、この状態だとすぐにお酒を飲むのを再開してしまいそうだと思ったので、僕はそこに別の趣味を入れることにしました。

いわば「習慣の上書き」です。

 

今までの習慣になっているから戻りやすいのであるのなら、お酒と代替可能なもので、かつお酒よりもリーズナブルなものを空いた生活習慣の中に組み込めばいいのではと思ったのです。

僕は何か作業をするとき、とにかく飲み物を飲んでいます。

それが僕のお酒を飲みすぎてしまう根本的な理由の一つです。

また、「いろいろな種類が存在する」というのも、僕がお酒を好きな大きな理由の一つです。

だから、その「飲み物を常に口にしていたい」という欲求と「豊富な種類を楽しめる」という欲求を代替できるものを新たな習慣として組み込めばいいのではないかと思ったのです。

この二つの欲求に合致するものと考えたとき、僕が真っ先に思いついたのがミネラルウォーター。

というわけで、試しにミネラルウォーターを趣味にすることにしました。

 

実際にこれを試してみたところ、思った以上の効果が。

もともとお酒は好きなのですが、普段家で飲むときは(さすがに毎日「獺祭」のようなお酒をのむわけにはいかず 笑)ほぼ惰性で安上がりのお酒を飲んでいました。

だから、こだわって「美味しいものを選ぶ」という点で、ミネラルウォーターが飲酒よりも自分にとって優先順位を高めることができました。

それによって苦しむことなくお酒を断つことに成功しました(少なくとも今は…)

 

というわけで何かをやめるためにはまず、習慣化している状態を何かで代替することが重要なのだと思います。

そして、徐々にそのものに対する興味が薄れていくのを待つ。

ダイエットをする場合であれば、今までおなかが空いたときに食べていた脂質やタンパク質をやめるのではなく、おなかがすいたら野菜を取るようにするといった具合です。

何かを断つ際に有効な「習慣の上書き」。

ぜひご活用下さい。

 

アイキャッチは僕の大好きな焼酎「一尚」

 家で飲むのを辞めただけなので飲み会は絶賛受付中です!!どんどん誘ってください(笑)