新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



細かなテクニックや戦術よりも基礎練が圧倒的に大切というお話

僕は真剣に?ブログを書き始めて、かれこれ6年くらいになります。

「真剣に?」と書いたのはそれまでもちょこちょこ書いてはいたからです。

高校時代にはプロフのやつなものが流行り日記を書き、mixiが流行っている時はそこでふざけた文を投下してと、(振り返ってみれば)なんだかんだで文章を書くことはずっと続けていた気がします。

もう覚えてすらいないけれど、確か中学の時にライブドアブログを書いていたような(笑)

ただ、それまでに書いていたのは特に理由があったわけではなく、ただ面白そうだから。

しっかりと1つの媒体で定期的に書いて積み上げていこうと考えたのは、就職活動を控える大学3年生の12月でした。

 

もちろん月によりその分量はまちまちですが、僕は21歳の時くらいからブログを書き続けています。

そんな事を続けてきて思うのが、やっぱりテクニックよりも戦術よりも泥臭い基礎練が1番重要なんだなということでした。

僕がブログを書こうと思ったきっかけは、就活の時に大学のOB相談会に来てくれた方でした。

彼が就活についてブログを書いているというのを聞いて、僕はそれをみたいという以上に、自分自身もそういったノウハウをまとめたブログを書きたいと思ってしまったのです(笑)

で、家に帰って早速エントリーシートではなくブログのネタを書き始め、受験勉強について独りよがりな文章をアップしました。

その時はまだ書くための材料集めも構成も考えておらず、当然うまくいきませんでした。

ひと記事300字くらいで、内容も訳のわからないものだったわけですから当たり前です。

だいたいひと月くらいで書くことがなくリタイア。

 

ただ、幸いなことにひと月くらい更新を続けていたおかげで「書く」という習慣はついていました。

そのため、一旦受験ブログみたいな思いつきから離れて、好きな事を書くようになりました。

それが例によってありがちな自分の思う事を好き放題に書く随筆です(笑)

当時の自分なりに面白い視点だなと(自分が勝手に)思ったことに関して好きに書いていました。

流石にこの時期のブログは恥ずかしすぎるので、とっくに削除済み...

格好つけて「だ。」「である。」調で書いていたのがいっそう恥ずかしい、、、

取り敢えず100本と決めて書いていたのですが、なんだかんだで、この独りよがりの記事を書いていたことには一定の効果がありました。

初めは300字くらいを書くのがやっとだったのが、普通に書いたら800字〜1000字くらいになるようになっていたのです。

いうまでもないことですが、300字なんて、そもそも記事としてカウントすらされません(笑)

そんな文字数で何を伝えられるのというお話。

最低でも1000字くらいあって初めて、文章として成立するように思います。

 

そんなこんなでブログを続けていて、好き放題書くエントリ(このころに記事ではなくエントリと呼ぶようになりました)も100本を超えたあたりで、内容についてあまりに中身がないものであるということに気がつきました。

当時の僕は岡田斗司夫さんにハマっていて、岡田斗司夫さんの書いたものや動画を見るたびに、なんでこんなに面白いんだろうと考えていました。

そんな時にふと気付いたのが岡田斗司夫さん(もちろんそれ以外の僕が面白いと思うあらゆる人の話や文章にはその人ならではの思考やアイデアが入っているということでした。

今にしてみれば当たり前なのですが、当時の僕にとっては、非常に重要な気づきでした。

それ以来、必死にノートにアイデアを書き溜めるようになりました。

(それも岡田斗司夫さんのスマートノートという本に影響されたから)

で、自分なりのロジックや分類、フローチャートみたいなアイデアを大量につくりあげて、それを紹介しようというコンセプトで書き始めたのが、今の僕のブログだったりします。

その後も、単に分類やロジックを書くだけではアクセスは伸びず、その理論をどういった社会現象に当てはまるのが重要なのかとか、人々がどういうことに関心をもっていて、何を書けばアクセスが集まるのかとかいう知識は否応なしに溜まっていきました。

冒頭でも書いた通り、あくまでこのブログはアクセスを狙ったものではないので(そういうのは寄稿依頼のある文章などでやってます)まったくアクセス面では成果が上がられていないのですが、文章を書くという面においては、かなりの経験値がつめたように思います。

テーマさえ決まれば、少なくとも今は数千文字で自分らしい「思考」を提示した文章なら抵抗なく書けるくらいには。

こういうのはテクニックでもなんでもなく、ただ量をこなすことによってのみ得られる能力であるのうに思います。

根性論の嫌いな僕が、一方で最低限の努力は必要と思うのには、自分の体験があるからかもしれません。

 

っと、酔って書いたので意味のわからないものになってしまった(笑)