『社会の次は”精神の持続性”が求められる時代になっていく』
最近「やる気」や「欲求」についてあれこれ考えていたのですが、家入一真さんがこんなツイートをしているのを見て、最近考えていたことが一気に繋がったので備忘録として書きとめておきたいと思います。
よく行動の源泉をエネルギーに見立てることがあります。
僕も実際にそう思っていますし、多くの成功している人を見ていてもこれは正しいように思います。
この行動に起こす源泉たるエネルギーをモチベーションと呼んでいます。
僕の興味は仮に行動を起こす源泉であるモチベーションが「エネルギー」のようなものだとすると、それを大量に消費し続けていけば、どこかでエネルギー不足になるのではないかということでした。
「あくまで『エネルギー』というのは「見立て」に過ぎないのだから本物のエネルギーと違って枯渇することは無い」という反論?(というか主張)も十分に分かるのですが、実はモチベーションが無限に見える人も、実際には「モチベーションの生産量>モチベーションの消費量」の状態が続いているだけではないかというのが僕の現時点での仮説です。
やる気の反対で、世の中に「不満」を撒き散らす人がいます。
ご飯に行ったときにグチや不満ばかりこぼしたり、Twitterで有名人に罵詈雑言を飛ばすようない人たち。
僕はこれらを負のエネルギーと捉え、正のエネルギーをモチベーションと呼ぶのに対し、不のエネルギーを「ネガティブ」と呼んでいます。
モチベーションが何かを生産するのに使える一方で、ネガティブは何かしらの成果物に変換することができず、誰かに引き受けてもらうしかありません。
産業廃棄物みたいな感じ(笑)
そしてネガティブには与える場合と受け取る場合があり、それを「発散するネガティブ」と「吸収するネガティブ」と呼ぶことにします。
上記のようにエネルギーをモチベーションとネガティブに分けたとき、その人のエネルギーは下のように表すことができます。
「エネルギー=(生産したモチベーション+発散したネガティブ)-(消費したモチベーション+吸収したネガティブ)」
仮に(生産したモチベーション+発散したネガティブ)>(消費したモチベーション+吸収したネガティブ)の場合、エネルギーの総量は増えていきます。
反対に(生産したモチベーション+発散したネガティブ)<(消費したモチベーション+吸収したネガティブ)の場合は徐々にエネルギーは減っていき、やがては枯渇してしまう。
ここ最近、新しい働き方ややりたい事をやるべきだというメッセージをあちこちで見るようになりました。
(「とにかく行動しろ」というメッセージとともに)
このメッセージ自体はいいことだと思っている(実際に僕もこっちのタイプ)のですが、行動すればその分だけモチベーションは消費されます。
だからこそ、「行動しよう」というメッセージが市民権を得ている現在では、モチベーションの消費量は上がっているでしょう。
一方で、ネガティブの吸収量も上がっています。
それまでは対面したときにしか発信できなかったネガティブが、インターネット及びSNSの発達により、①常時、②どこにいる人にでも、③匿名でネガティブをぶつけることができるようになりました。
またこうした技術の発達で、今まで見えなかった成功者が可視化したことも、ネガティブを生み出す要因になっているように思います。
以上のように、エネルギーをすり減らす要因である「消費したモチベーション」と「吸収したネガティブ」の量は増えているということができます。
仮にエネルギーが減る要因が増えていたとしても、その分だけエネルギーが増える要因が増えていればエネルギー不足の心配は無いのでは?という考えは当然出てくると思います。
ということで次はエネルギーを増やす要因について考えることにします。
エネルギーを増やしたければ「生産したモチベーション」か「発散したネガティブ」のいずれかを増やせばいいわけですが、このうち、「発散したネガティブ」、つまりネガティブの発散は行動が必要となります。
そのため、時間という物理的な制約が生まれてくる。
同じようにモチベーションの消費にも行動がともなうため、ネガティブの発散とモチベーションの消費には「発散したネガティブ+消費したモチベーション=可処分時間」という等式が成り立つことになります。
とすると、モチベーションを消費して積極的に行動する人ほどネガティブの発散に使える時間は少なくなる。
逆に、行動しない人(≒消費するモチベーションが低い人)ほどネガティブを発散しやすいといえます。
そのため、積極的に行動する人ほどネガティブの発散がしづらく、エネルギーの総量は増やしにくくなっているわけです。
ネガティブを撒き散らして自分のエネルギーの総量を増やすという方法に対するいい悪いという僕の意見は今回はおいておきます。
(というかその是非に僕は興味がないので…笑)
最後にモチベーションの生産ですが、「行動が大切」というメッセージが多く広がっている割に、モチベーションの生産方法に対して言及するメッセージは驚くくらいに少ない印象です。
(たいていは、「本当にやりたいことなら没頭できるはず」みたいな精神論か、「人は絶対にやりたいことがあるはず」というモチベーション神授説)
余談ですが僕の周りにはそんな曖昧にされがちな「モチベーションの増やし方」について教育やビジネスという枠組みから挑戦している人たちがいて、僕は彼らのことを本当にすごいなと思っています。
話を戻すと、モチベーション消費の大切さが叫ばれるほどにはモチベーションの生産が追いついていないというのが現在です(と僕は思っています)。
というわけで現在は(行動をしている人ほど)エネルギーの生産よりも消費が多い社会と言え、この状態が続けばエネルギー不足がやってくるのではないかと思うのです。
このエネルギーという言葉を「精神」と言い換えれば、まさに家入さんがいうところの、「社会の次は”精神の持続性”が求められる時代になっていく」ということになっていくと思います。
なんていう現在に対する見立ての上で、解決策としては「消費したモチベーション」か「吸収したネガティブ」を減らすしかありません。
しかし、現代の社会で生き残るには前者をやめるのはリスキーすぎる。
(もちろん、空回りするような人はそこを減らした方がいいかと思いますが…)
とすれば、やることができるのは「吸収したネガティブ」を減らすという選択。
少し前にアドラー心理学を書いた『嫌われる勇気』がヒットしましたが、そこに書かれているのは周りの目を過度に恐れないようにしようということで、それはネガティブの吸収を減らす処世術としてみることもきます。
多くの人々が薄っすらとネガティブの吸収を避ける必要性にそれとなく気付いているのではないかと思うのです。
で、さらにその先にネガティブの吸収を断つ手段としてサルトルのアイデアがあるわけですが、そんなものを書き始めたら終わらなくなってしまうので、この辺で…
たぶん、ロカンタンの気持ちが分かる人が多い気がします(笑)