新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



往復書簡[9通目](2020.02.01)しもっちさん(@shimotch)へ

拝啓 しもっちさま

 

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往復書簡と言いながら、ながーーーく、時間が空いてしまい申し訳ございません。
明日返そう、明日は返そう、明日こそ返そう、、、と思ううちに、年をまたいでしまいました。
「先日お会いしたときに...」と書き始めて(いや、もう少し熟成させよう...)と下書きに保存していた話の枕もすっかり発酵を通り越してお腹に悪そうになってしまったので、改めて書き直しています。
(どうでもいいですが、発酵させると美味しくなるのに、発酵させ過ぎると食べられなくなってしまうというのは何だかもどかしいですね 笑)
昨年京都でお話しした際にしもっちさんの口から出てきたイベントや企画のアイデア
公演前の舞台稽古を見せてもらっているような気分になって、内心ずっとにやけていました。
企画屋「シモダヨウヘイ」の力量を垣間見た気がしました。
そんな企画屋としての仕事のひとつが都々逸展でしょうか?
都々逸いいですよね!
〈マフラーに顔埋めて歩く 月しか知らない恋でした〉
〈君は野に咲くあざみの花よ 見ればやさしや寄れば刺す〉
仕事柄詩歌に触れる事があるのですが、都々逸に流れる情緒のようなものが僕も大好きです。

好きな都々逸を引用するために昔のノートを開いていたら、お気に入りの定型詩がたくさん出てきました。
〈手向くるや むしりたがりし 赤い花〉小林一茶
〈勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば いかが答へん〉紀内侍
〈観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生〉栗木京子
少ない字数に音の数。
様々な制約があるからこそ、受け手の「聞く姿勢」が重要で、だからこそ味わい深いんだろうなと思います。

こういった歌を見るたびに、歌人の世界を言葉で捉える力に圧倒されます。

そういった意味で、俵万智さんと松村由里子さんの公開授業は本当にうらやましいです。

しもっちさんも僕もやっぱり話す人だと思うので、流れの中で言葉に表したり、会話を通して当意即妙な返しをすることには大分慣れていると思うのですが、だからこそ歌人の言葉で流れの中から世界を的確に切り出す力に圧倒されますよね。

しもっちさんの「守りの将棋」という比喩がまさに言い得て妙だなと思ったのですが、僕らの言葉への向き合い方が「将棋を指す」であるとしたら、歌人のそれは「美しい棋譜を記憶する」ことのように思いました。

 

話を聞くことに関して、僕は「相手の論理に身を委ねる」ということを心がけるようにしています。

僕たちは思っている以上に自分のことが大好きで、大抵の人は相手の話を自分の文脈で理解しようとしてしまうというのが僕の持論です。

たとえ相手の話にじっと耳を傾けていたとしても、相手がなぜそのように考えたのかを受け止めようという意識がないのであれば、それは相手の話を「聞いた」とはいえないと思っています。

あえて式にするのなら[聞いた量=傾聴量×受容度]みたいな感じです。

物量としてどれだけ「聞いて」いたとしても、相手の考え方を受容する態度が絶望的にかけている人は、「聞いてやった」という自己満足しか残らないのでは?と思うのです(笑)

僕の仕事の場合、物理的に聞ける時間は限られています。

そのため限られた時間の中で適切に「聞いて」、相手に響く伝え方をするには、ひとつでも多く相手の言葉の中から情報を得ることが必要です。

そのために僕が意識しているのが「受容度」で、「相手の論理に身を委ねる」というのはそれを磨く具体的な手法だと思っています。

この「受容度を上げる」というのは、詩歌の鑑賞にも通ずるところがあるように思っています。

受容度を上げ感度を研ぎ澄ますことで、作家の感動に到達できる。

受容度を「将棋を指す」側に使えば聞くこと、「棋譜を見る」側に使えば鑑賞することになるのかなあと思います。

 

こんな風に書きながら、自分の「聞くこと」に関する見解にはそれほど自信がないので、是非ともしもっちさんの見解も聞いてみたいです。

そしてもうひとつ、カフェで話をしていて気になったのですが、あれほど多様な企画を思いつくコツみたいなものがあれば教えていただけないでしょうか?

 

 P.S.俵万智さんと聞いて、この本を思い出しました。むちゃくちゃ面白いのでお時間があればぜひ!

短歌の作り方、教えてください (角川ソフィア文庫)

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