新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



島崎藤村の「初恋」の読み方を髭男と米津玄師で説明してみた

テスト前になって中学生の生徒さんたちから急に質問の増えた島崎藤村の『初恋』。

お話を聞いているとやっぱり論説文や物語文と比べて苦手な人が多い印象の詩の単元。

全文解説もそうなんですが、読みかたも大事になってくるので、今回は詩の読み方のコツについて説明し、その後に僕なりの『初恋』の凄さについての解説をしていきたいと思います。

 

「Lemon」と「Pretender」を題材に詩の読み方を知る

さて、詩の読み方を学ぼうといっても、いきなり教科書に載っているような作品を見ていくと、少し敷居が高い感じがしますので、今回は出来るだけ身近なものを題材に詩の読み方についてみていこうと思います。

というわけで今回用いるのは米津玄師さんの『Lemon』とOfficial髭男dismの『Pretender』。

それぞれの歌詞からワンフレーズを抜き出して詩の読み方のコツを見ていきたいと思います。

 

まずは『Lemon』のこのフレーズから。

〈切り分けた果実の片方の様に 今でもあなたはわたしの光〉

ここに込められた心情を読み解きたいと思います。

このフレーズで言われる果実はもちろんレモンと考えて良いでしょう。

ここでは、「あなた」がわたしにとっての光であり、それは切り分けた果実の片方のようであるということが分かります。

ここで「切り分けたレモン」の断面を思い出して欲しいのですが、レモンを横(輪切りになる方向)に切り分けると、その断面はふさが中心に集まる放射線状になります。

また、切りたての果実の断面はみずみずしさでキラキラしているはずでしょう。

この2つの情報から、黄色いレモンの放射線状の断面がみずみずしさで輝いている様を頭に浮かべて下さい。

ちょうど、キラキラとひかる「光」に見えませんか?

これがこの場面での比喩です。

 

さあ、光を切りたてのレモンの断面に喩えたことを明らかになったら、次は心情を考えます。

このフレーズにおけるレモンには「切り分けた断面が光に見える」という情報の他に、「切り分けて初めて断面が見える」という情報が含まれています。

ここでいう「切り分ける」は別離と考えられるでしょう。

つまり、このフレーズで書かれていた「あなた」への思いは、「あなたと離れて初めてあなたの輝きを実感した」ということになるわけです。

ここまでくるとしっかりと絵も心情も浮かびませんか?

 

次はOfficial髭男dismの『Pretender』のこのフレーズ。

〈誰かが偉そうに 語る恋愛の論理 何ひとつとしてピンとこなくて 飛行機の窓から見下ろした 知らない街の夜景みたいだ〉

ここでも『Lemon』同様に「〜みたいだ」という形で直喩方が使われています。

この歌では「誰かが語る恋愛の論理」が「飛行機の窓から見下ろした知らない街の夜景」に喩えられています。

飛行機の窓から見下ろす知らない街の夜景は、確かに綺麗だけどどこまでも他人事。

綺麗とは思っても、そこにそれ以上の感動や思い入れは感じないでしょう。

それに人が語る「恋愛の論理」を喩えているということは、筆者にとって筆者が現在進行形でしている恋愛と、雑誌や記事で語られる理想論とのギャップに対する冷静な立ち位置と、それくらいに「いざ恋愛をしているとそんなに上手くいかねーよ」という現実の恋愛に対するどうしようもなさが感じられます。

これが、このフレーズに込められた主人公の気持ちでしょう。

 

こんなふうに、言葉から場面を浮かべ、その先に心情を探るのが詩の読解の作業です。

 

 

島崎藤村『初恋』を一文ずつ見ていく

さて、文字から場面を思い浮かべて、そのシチュエーションにいる人物が考えることはなんだろう?と妥当な推論を積み上げるのが詩の読み方なわけですが、ここで「初恋」を先頭からみていこうと思います。

 

まずは1連から。一連は次のような内容から始まります。

 

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

 

さて、ここでまず注目しなければならないのは「まだあげ初めし前髪」という部分です。

髪を上げる、というか髪を結うという行為は、日本ではしばしば「大人になる」という意味があります。

ここでは主人公がいつもの林檎の木の元に来た時、相手の女の子が最近「上げ初めた前髪」を見て、その大人っぽさに遠目から今までとは違う(=恋心)を抱いたという事です。

それが「花ある君」に見えたという部分。

それまでは友達(おそらく幼なじみ?)としてずっと会い続けていた女の子が髪を上げた事で急に大人っぽくなり、その事で主人公が女の子に恋心を抱き始めていることが分かります。

 

続く2連についてみていきましょう。


やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

 

次の連では、手に渡してくれた林檎(実)を渡してもらったことをきっかけに、さながら秋の果実のような少女に対する恋心が芽生えたことが描かれています。

ここで個人的に注目したいのは少女の優しい「白き手」と、よく熟れたであろう「林檎」の赤色の対比です。

ここで赤い林檎を手に持たせるという一言を加えることで、それを手渡す少女の手の白さを一層際立たせる効果があります。

そんな純白の少女に、少年は恋をしたのでしょう。

(余談ですが、因みに僕は同じ「色の対比繋がり」で、この前後で登場しているであろう「春すぎて 夏来るらし 白たへの 衣ほすてう 天香山」や2年生で聞かれたであろう杜甫の「

江碧鳥愈白 山青花欲然」を差し込んだりします 笑)

 

両思いが成立する3連はこんな感じです。


わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

 

ここでは後半の2節から両思いの恋が成就したと分かるように書かれているのですが、個人的には注目すべきはむしろ前半の2節だと思っています。

〈わがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるとき〉と何気なく書かれていますが、「何気ない息が髪の毛を揺らす」距離、そしてそれを許容する関係性ということを考えてみて下さい。

そもそも盃の下りが書かれなくとも、二人の距離感から恋が成就したことが推察されるわけです。

後半はむしろそのおまけ。

日本では「盃を交わす」という行為には、新たな繋がりを結ぶという意味があります(『ONE PIECE』でビッグマム、エース、サボ、ジンベエ、ドレスローザでの子分盃など何度も登場していますし、『君の名は。』の口噛酒や東京事変の再結成シングル『緑酒』のMVで盃を交わすのも「これからもう一度よろしく」という意味でしょう)。

それをわざわざ隠喩で用いているわけなので、2人が両思いの恋仲になったのは明らかなのですが、そもそも前の2文から想像される距離感から分かっているわけです。

 

そして最後の連に入ります


林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

 

ここでは女の子が「こんなに足繁く通ったのは誰なのかしら?」という具合で主人公をからかい、「そんな彼女が愛おしい」と詩に綴ることで恋仲になった後の二人の微笑ましいやり取りが描かれます。

以上がこの詩の大まかなイメージと心情。

さて、僕はあえてある二つの演出について触れずに全体を考察していきました。

というわけで、後の二つはトピックとしてまとめようと思います。

 

連ごとの「距離感」から考える二人の関係性

どことなく2人の距離が近くなるキュンキュンした感じが漂う『初恋』というこの詩ですが、僕はこの感覚はそれぞれの連ごとに描かれる二人の距離感が関係しているように思っています。

この詩における連ごとの距離感をまとめると以下の通り。

 

一連 少し離れた位置から主人公が大人びた少女を見る

二連 女の子から林檎を受け取れる距離に近づく

三連 何気ない吐息が女の子の髪を揺らす接近している

四連 直接描写は無いがやりとりから心が通じ合っている

 

まあまとめ部分の四連は置いておくとして、このように見ていくと、明らかにこの二人の距離は連が進むごとに物理的に近づくんですよね。

この時間の変化をそっと散りばめる技術がすごいなと。

これが僕がこの詩が好きな理由の一つだったりします。

 

最終連のワンフレーズを掘り下げる

もう一つ、僕がこの詩の凄いなと思うところがあります。

それが第四連に出てくる〈林檎畑の樹の下に おのづからなる細道は〉という部分。

ここから、2人の関係や思いが十二分に伝わると思うのです。

僕が1番注目したいのは、「林檎の木の下に自然と道ができた」という部分です。

道が自然と(=おのずと)足元に「できてしまっていた」わけです。

 

わずかなフレーズですが、ここからは①何度も通ううちに自然と草むらの踏まれた雑草が枯れて道ができたということと、②それまでは草が生えていた=2人以外は殆ど誰も来ない場所ということが分かります。

つまり、この場所は2人だけの秘密の待ち合わせ場所であり、しかも草が枯れて細道になるくらいに幾度もここにひっそりと通っている訳ですね。

このたった18字の表現で、島崎藤村は2人がひっそりと林檎の木の下で何度も落ち合い、さながら林檎の果実が熟すかのようにゆっくりと恋心を育んでいったことを示している訳です。

しかも、そこまでの道を「細道」と書くことで、どこか青春を漂わす純情な感覚まで感じられます。

このへんの言葉選びがすごいなあと。

 

 

というわけで中学3年生の教科書に載っている島崎藤村の『初恋』について見てみました。

あくまでテストで点を取るためのテクニックとかではなく、自分ならどこを根拠にどうやって読むということを今回はまとめています。

もし、詩に関して苦手意識をもっていて、どう読めばいいか分からないと思っていた人の助けになっていれば幸いです。

 

アイキャッチはもちろん島崎藤村の初恋