新・薄口コラム

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



絵仏師良秀考察 | 良秀を分かってあげられる人とあげられない人

宇治拾遺物語の中に絵仏師良秀という作品があります。
高校古典の教科書に載っているので知っている方も多いかもしれません。
ある日大火事で自分の家が燃えたとき、なんとか家の外に逃げ出す事が出来た絵師の良秀。
しかし家の中にはまだ乳飲み児の良秀の子どもと妻がいます。
妻と子を助け出せなかった良秀を慰めるため、近くにいた人々が声をかけます。
しかし良秀はそんな周りの声に対して「今まで不動明王の立ち姿を何度も描いてきたのだが、本物の火を見たことがなくどうもリアルに描けなかった。これで描けるからありがたい。」と言い放ちます。
これをきっかけに、良秀の描く不動明王は「良秀のよじり不動」として人々に絶賛されることとなるという終わり方をする絵仏師良秀。
宇治拾遺物語の中でも何が言いたいのか分からないと感じる人が多い、少し変わった作品です。


僕も高校時代に始めてこれを読んだときは、何が言いたいのか全く理解ができませんでした。
しかし、今は好きな作品のひとつだったりします。
これが仏教説話ということで、仏の道を極めることを説いた作品として読む読み方も、目先の小さな財産(絵仏師良秀の中で言えば家)にとらわれるなという事を説いている作品として読む読み方など、解釈はいろいろあると思います。
僕は絵師の良秀が妻も子も残っている燃えた家を見て自分の作品の事を考えている姿から、残酷なまでに「美しさ」を追ってしまう芸術家としての性を書いた作品だと思っています。
理性では良くないと分かっていても、その美しさに感動してしまうという感覚は誰もが経験したことがあると思います。
芸術家はそれが人よりも多い人です。
何かを犠牲にしても、自分が感動してしまったら止められない。
僕は、そんな時に残酷に見えるくらいに「美しさ」に対して純粋であるのが芸術家だと思っています。
家族に見限られても絵を描き続ける画家、大震災を見て映画で動かしたくなってしまうアニメーター。
そういう芸術家としての「純粋さ」が描かれているのがこの絵仏師良秀ではないかと思うのです。


盗み出した蝶の標本を思わず強く握って壊してしまった時、エーミールに対する罪悪感よりも先に美しい標本が壊れてしまったことを哀しむヘルマンヘッセの「少年の日の思い出」に出てくる僕。
結核を患って隔離された病棟で苦しむ妻に対して送る手紙で二言目には自分が美しいと思う飛行機の話を始めてしまう宮崎駿さんの「風立ちぬ」の主人公堀越二郎
美しいものを追い求めるが故の人でなしさを描いた作品は意外に多く存在します。
絵仏師良秀はその中でもかなりストレートにそういう芸術家の性分を描いた作品であるように思います。
妻や子を助けなければいけないことも、家の火を消さなければいけないことも分かっているのだけれど、目の前の火の美しさから目が離せない。
芸術家としての良秀が、家族の大黒柱としての自分を上回ってしまった瞬間を書いているのがこの作品だと思うのです。


絵仏師良秀を読んで、良秀の気持ちに共感してしまうという人は少なからずいるように思います。
そういう人はおそらくクリエイター系の仕事に向いているはず。
たいていの場合、芸術家の残酷さみたいなものが表現されている作品は、自らいろいろな作品を読んでいかなければ出会えません。
絵仏師良秀は学校の教科書に載っていて、一定数の子供たちが必然的に触れることになる作品です。
授業を受ける生徒さんにとって、貴重な出会いをできるチャンスでもあると思うのです。
絵仏師良秀は作品としてだけでなく、それが教科書に載っているということまで含めて、僕が大好きな作品だったりします。

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