新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



高校生を悩ます「である」ことと「する」事はおばちゃんのダイエットに例えると分かり易い①

高校二年生になると現代文の授業で登場する、丸山真男さんの「である」ことと「する」こと。

丸山さんの講演をまとめた「日本の思想」という本から抜粋された文章なのですが、ここまでに扱われた現代文の教材と比べて、急激に内容が難しくなるために、高校生を悩ませます。
この文章が難しいと感じる最大の理由は、その主張が複雑であるという点にあります。
「権利の上にあぐらをかく者」だとか、「プティングの味は食べて見なければわからない」といった具体例で、「日本人である」ことと「日本人をする」ことの違いを説明してくれているのですが、その具体例すらも難しい(笑)
基本となる、この対立構造が分かることがこの文章を読み解く第一歩なのですが、同時にそこが最大のネックとなっているのもまた事実です。
 
何よりもまず、この「日本人である」ことと、「日本人をする」ことの違いをしっかりと理解してもらうために、僕はよく、あえて細かな違いには目を瞑って、二つの違いを「ダイエットをするためにジムに通い始めたおばちゃん」に例えます。
ライザップによるダイエットの成功などを見て、私もやってみようかと思い始めたおばちゃん。
最近腹回りが気になり始めたおばちゃんですが、ライザップに通うようなお金をそこまで緊急性のないダイエットには払えません。
仕方なく近所のジムに通うことにします。
ジムに行き入会金と月謝を払ったおばちゃんは、ここから2種類に分かれます。
一つ目のパターンは、月謝を払ったことに満足して、もうダイエットをしているのだと思うおばちゃん。
もうひとつのパターンが、月謝を払ったのを機に、食生活の改善や朝の散歩など、ジム以外にも自らダイエットに励むおばちゃん。
 
やや極端かもしれませんが、「である」ことと「する」ことの違いは、この二つのタイプのおばちゃんに現れます。
ある権利で満足して、それを維持しようとしないのが「である」人です。
先のおばちゃんで言えば、ジムに入会金を払って満足している人。
そして、権利を持った上で、絶えずそれを達成しようと自ら動く人が「する」人です。
おばちゃんで言うところの、ジムに入会したのを機に、自分からダイエットを進んで行う人のこと。
丸山真男さんの「である」ことと「する」ことにおける主張を、ものすごーーく単純すれば、「お前ら権利を持って満足してるようだけど、本当に大丈夫?」ということ。
入会金を払って痩せた気になっていては、痩せないのはもちろんのこと、気がついたら月謝だけ払って太ってるかもしれないよ?っていうおばちゃんに対する忠告と思って頂いて差し支えありません(笑)
 
他国では名誉革命独立戦争といった自分たちの運動の末に手に入れたのが当たり前の自由や権利。
自分たちの行動の末に権利を勝ち取った国々では、その国民性として、権利は常に自分たちが行動することによって保たれるという意識が根付いています。
しかし日本の国民は現在のような自由を、敗戦の流れの中で半ば自動的に手に入れてしまった。
そのため、本質的に権利というのは元からあるものという認識が強く、自分たちが行動して手に入れるのだという認識が弱い。
こうした認識の元では、もしかしたら気づくと権利が権利でなくなっている危険性に気づけないから、もっと自分たちで意識しよう。
「である」ことと「する」ことの基本はこんな主張にあります。
ここを抑えられるか否かで、その後の読み解きができるかが決まるのです。
 
こんな説明では、一度でも読んだことのある方にはふざけるなと言われてしまいそうですが、あえて直感的に作者の言わんとすることを理解してもらうために、超ざっくり説明にしました。
したがって、例えの中で微妙にニュアンスの異なる箇所があります。
次回以降の各段落の説明では、もう少し丁寧にまとめようと思いますので、詳細はそちらをご覧下さい。
 
 
 
[追記]ようやく続きを書き始めました。よかったらこちらもお願いします。
 
 
 
 
アイキャッチ丸山真男さん「日本の思想」
日本の思想 (岩波新書)

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