新・薄口コラム(@Nuts_aki)

こっちが本物(笑)アメブロでやっている薄口コラムから本格移行します。



ヒソカが敵キャラとして優れている理由

週刊少年ジャンプ史上初、不定期連載が許されているマンガHUNTER×HUNTER(笑)

多分に漏れず僕も大ファンだったりします。

初めて読んだのは小学生の頃だったと思うのですが、キャラもストーリーも魅力的で、当時からどっぷりハマっています。

その中でも特に好きなキャラクターはやっぱりヒソカ

おそらくファンの人気投票などをしても、上位に食い込んでくるのではないでしょうか。

キャラの魅力に関しては、どこに惹かれるかは人それぞれなのはもちろんですが、僕の中でヒソカの魅力に関してひとつだけ持論を持っています。

今回はそのことについてまとめたいと思います。

 

サスペンスとしての敵キャラ

僕はヒソカの魅力を構成する要因のひとつに、ヒッチコック的な手法を利用したキャラ作りがあると考えています。

サスペンスの王様ヒッチコックは、自身の本の中で、「見知らぬ二人がテーブルに座ってご飯を食べているだけの映像ならただの日常の風景だが、見ている側にテーブルの下には時限爆弾が仕掛けられていると知らせるだけでそれはサスペンスに変わる」みたいなことを書いています(文言は忘れました)

僕はヒソカというキャラクターに関して、これと全く同じ要素が含まれていると思うのです。

 

ヒソカの登場シーンと読者だけが知る秘密

物語の始めに登場したヒソカは、その後、主人公たちが「念」というHUNTER×HUNTER世界観の主軸となる能力を習得するタイミングで、再び登場しました。

その時にヒソカの仲間であるマチという女性が戦いを解説するという体でヒソカの念能力を紹介するのですが、これがまさにヒッチコックが説明するサスペンスの手法になっているのです。

ヒソカには①伸縮自在の愛(バンジーガム)という能力と②薄っぺらな嘘(ドッキリテクスチャー)という2つの能力があります。

これは上に書いた場面で明らかにされています。

しかし、ここで注目したいのは、この2つの能力のうち、②のドッキリテクスチャーは、技の解説をしたマチと読者以外、作中の誰もその能力の存在を知らないのです。

そしてこの場面以降、敵として登場するときや主人公の見方として登場するときなど、ヒソカは登場するたびに、この能力を何度も使って様々な場面を切り抜けていきます。

しかしそのことはそこに出てきた人物は知らないのです。

読んでいる僕たちは、ここに何とも言えないドキドキ感を覚えます。

 

ヒソカというキャラクターは、物語の序盤で読者だけに隠れた技を明かすことで、以来登場するたびに読者と悪巧みの共犯関係を結ぶことになります。

それにより敵も味方も翻弄されることになるのですが、その読者とヒソカだけの秘密であるドッキリテクスチャーを使って上手くやろうとすることに対して、僕たちはこれでやりきるんだという、何とも言えないスリルを覚えるわけです。

まさにこのドキドキ感はヒッチコックがサスペンスの手法と言ったのと同じ方法です。

 

このような共犯関係を結んでいるため、僕たちはヒソカが出てくるたびについつい惹かれてしまうし、ドッキリテクスチャーを使うたびに妙な興奮を覚える。

ヒソカの魅力のひとつはこうした、作者の設計にあるのかなと思います。

そして、こういう設計を自然と忍ばせる作者の冨樫さんはやっぱり凄いなと思うわけです。

 

登場人物のどこに魅力を感じるのかなんて人それぞれですが、僕はヒソカに関して、ひとつこの部分が大きいと思っています。

 

アイキャッチはHUNT

 

 


ER×HUNTER

 

ヨルシカ『ヒッチコック』考察〜ヒッチコック的手法と2回聴きたくなる理由〜

「卒業したから生徒じゃないです」

コピーライターの阿部広太郎さんが、自身の著書『心をつかむ超言葉術』という本の中で、「夏目漱石は[I love you]を『月が綺麗ですね』と訳した(※真偽には諸説あります)が、あなたはどう訳しますか」というお題が出てきます。

冒頭の「卒業したから生徒じゃないです」は、その中で例として挙げられていたもの。

「もう生徒-先生の関係じゃない」=「恋愛対象と見て欲しい」からの[I love you]はとても秀逸だと思いました。

 

好きという言葉を使わないけれど、その気持ちが痛いほどに伝わってくる。

そういう言葉選びを見るとぞわっとすることがあります。

「卒業したから生徒じゃないです」はまさにそんな感じ。

そして、僕にとってヨルシカの『ヒッチコック』という歌も同じような衝撃を受けた作品でした。

 

他愛ない問いかけの意味とヒッチコックという題

〈雨の匂いに懐かしくなるのは何でなんでしょうか。 夏が近づくと胸が騒めくのは何でなんでしょうか。〉

と、終始何気ない問いかけで構成されるこの曲。

サビの部分で〈先生、人生相談です。〉という言葉が出てくることで、この他愛ない質問の相手が「先生」であることが分かります。

しかしここでも先生に質問しているだけで、主人公の意図は見えてきません。

そして2番のAメロもサビもひたすら質問の繰り返しで、そのまま最後までいってしまいます。

 

こんな風に終始先生に対する質問が繰り返されるこの曲ですが、最後に〈あなただけが知りたいのは我儘ですか〉というフレーズが出てきて、状況が一変します。

明らかにこの「質問」だけ毛色が違います。

感覚的な話だけでなく、この質問だけカギカッコがついついないことからも分かります。

(おまけにここだけ呼び方が「先生」でなくて「あなた」となっています)

「あなただけが知りたい」というのは明らかに相手に対して好意を抱いている表現です。

最後まで何気ない質問の繰り返し(因みに細かいことを言えば、どんどん先生に近づいた質問になっていくのですが...!)なので、さっと聞き流してしまえば、日常に生きづらさを感じる主人公が社会への(可愛らしい)不満を口にする青春のひとコマを歌った歌なのですが、最後の〈あなただけを知りたいのは我儘ですか〉そして、サスペンスの王様である「ヒッチコック」の名を冠している理由を考えれば、単なる青春をこじらせた女の子のお話と考えるより、先生への恋心を伝えたい女の子のお話と捉えるべきだと僕は考えます。

 

この解釈で始めから延々と続く他愛のない質問、そして時々に出てくるサスペンスという言葉をもう一度読んでいくと、今度は全く違う雰囲気が立ち現れてくるはずです。

というわけで、再び歌詞を見ていきたいと思います。

 

恋愛の歌としての『ヒッチコック

Aメロで続く他愛のない質問の繰り返しは、好きだけど話題もないし話す接点もない主人公が「質問」という体で話す機会を作ろうとしている場面と考えられます。

そして、Bメロの〈さよならって言葉でこんなに胸を裂いて 今もたった数瞬の夕焼けに足が止まっていた〉は、何気ないやり取りしかできなかった(もしくはすでに気持ちを伝えて振られた?〉あとのやり取りと読むことができる。

そしてサビでの質問、2番のAメロでの質問へと続きます。

2番のAメロの質問が哲学的な問いかけになっているので、見えづらくなってしまうのですが、ここはBメロの書き出しにある〈青春って値札〉を引き立てるための演出としてあえて意味を考えないことで曲の輪郭が見えてきます。

 

〈青春って値札が背中に貼られていて ヒッチコックみたいなサスペンスをどこか期待していた〉

ここで初めて出てきた〈ヒッチコックみたいなサスペンス〉という言葉ですが、これがハラハラドキドキした経験と読むことができます。

先生への呼びかけをする主人公が青春という環境の中で求めるサスペンスのような緊張感。

ここまででは漠然とした印象しか残りませんが、最後を聞いた後に考えれば、主人公が抱く先生との恋と捉えられるのではないでしょうか?

 

そして、サビ〜大サビにかけては、徐々に主人公の気持ちがストレートに伝わる質問になっていきます。

この辺りから主人公の抑えられない気持ちが伝わるようになっているわけです。

そして、私の将来はどうなんでしょう?という質問が続き、最後にくるのが、先に取り上げた〈あなただけを知りたいのは我儘ですか〉という締めのフレーズなわけです。

 

もちろん解釈は色々あると思いますが、僕はこの曲の最後のフレーズを見た時に「まさか!」と思い、もう一度始めから聞き直してこんな風に捉えました。

「好き」を「好き」って伝えるストレートな歌詞もいいですが、こういう解釈に幅のある曲も素敵だなと思います。

みなさんはこの曲を聴いて、どんなサスペンスを思い描きましたか?

 

 

ヒッチコック

ヒッチコック

  • 発売日: 2018/09/01
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 



 

 

「話し上手」の作り方

大学生で塾の先生を始めた頃、僕はあまりに喋るのがヘタクソで、全く仕事にならなかった(笑)ので、一時期むちゃくちゃ喋り方の勉強をしていました。

落語、お笑い、漫才、司会、講演会etc...

とりあえずYouTubeで見られる動画を片っ端から文字起こしとタイムテーブルを作るみたいな形で書き起こし、話し方の真似をしてみたり。

そんなわけで「話し方」という話題になる、そこそこ言語化ができたりします。

 

「なぜこの人はこんなに面白いのだろう?」という部分や、味のある話し方みたいな所の大部分はその人の経験や環境に由来するコンテンツの部分になってしまうのでなんとも言えませんが、その面白さの技術的な部分には共通点があるように思っています。

人に伝わる話し方、人に面白いと思ったもらえる話し方は人工的に作れるというのが僕の持論です。

 

話し上手の3つの武器

話しが上手い人に共通するのは以下の3点です。

①脳内で話を編集している

②相手との共通項を想定する

③ボールを受け取らない

 

ひとつめの脳内で話を編集しているというのは、会話の内容や尺を意識しながら話しているかというお話です。

よく、話し始めると冒頭から終わりまでを時系列にそって説明し始める人がいますが、あれをやってしまうと、相手には非常に退屈な印象を与えてしまいます。

だからダイジェストを意識しながら話すことが有効です。

例えばYouTuberの語りがそのイメージ。

彼らはおそらく、そこまで話すことが上手いわけではないので、動画にする何倍もの映像を撮った中からいい場面を切り繋いで1つのコンテンツにしています。

結果的に動画のテンポが良くなり、見やすくなっている。

会話においてもこのやり方が非常に有効です。

 

②の相手との共通項を意識するというのは、相手の知っている話題に合わせたり、喋りながら相手の知らない分野に関しては適宜フォローを入れるというやり方です。

友達や会社の同僚であれば話は別ですが、たいていの場合、相手と自分の共有するバックグラウンドはことなります。

自分が当たり前だと思っている言葉でも、相手は知らないということがザラにあるわけです。

そんな時に、「それって何?」と相手が聞き返してくれるのに期待するのではなく、さりげなく自分の側から前置きや解説を加える。

②の意識がある人はこれをサッとやっています。

これをする事で話の伝わり具合が格段に上がるため、聞き手にとってスムーズに内容が入ってくるわけです。

 

しばしば会話はキャッチボールに例えられますが、話の上手い人を見ていると、キャッチボールというより、テニスのラリーに近いやり取りをしているように感じます。

これが③のボールを受け取らないという内容です。

話しが苦手な人は、相手が投げてくれた話題を受け取ると、ずっと話し続けてしまったりします。

これをすると、相手はその間ずっと受け手になってしまうわけです。

いわばカラオケ状態。

話している側は相手にキチンと内容を伝えようとしているわけですが、聞く側は当然退屈に感じてしまいます。

そのため、振られた話題にはサッと答えて、再び相手に話題を戻してあげるという想定で話をする。

そうするとテニスのラリーのようになり、会話がテンポよく進みます。

しかもできるなら相手の打ちやすい部分に返してあげたり、時にはスマッシュを決めやすいロブを投げてあげたりする。

話し上手の人たちは、こういうゲームメイクの視点を持っているように思います。

 

3つの武器を持つ人が使える奥義

最後にこうした3つを使えると、「それらをやめる」という武器が使えるようになります。

こういった「人工的な」話の面白さをもっている人は、プライベートな話の時にはこれをオフにすることができます。

そうすると、普段は整った会話なのに急激に砕けたまとまりのない話になる。

普段からダラダラ話していると、話しが退屈な人という印象しか与えないのですが、日頃①〜③を意識している人がそれをやめると、それが人間味のように感じられるわけです。

(僕は世の中の経営者や成功している人がプライベートであったときに「いい人」という印象を与える最大の理由はここにあると思っています)

 

普段身内で話している場合にはそんなこと必要ありませんが、初めての人と話す場合や、大勢の前で話すという機会にはこの3つの武器(とそれを捨てるというやり方)はそれなりに有効です。

少なくとも僕が話し上手と思う人はみんなこれをやっている。

いずれも意識した瞬間からできるようになるというものではありませんが、頭の片隅に置いておくと、少しずつ話し方が変わっていくように思います。

もし、こういった話し方の必要性に迫られている人がいたら、活用して見てください。

 

アイキャッチはマンガの質問コーナーでこれを完璧にやってのけている空知先生の銀魂

銀魂 モノクロ版 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)
 

 

 

人は希望を奪われたときに絶望する

僕が大好きなマンガのTOP10の中に入るマンガにスパイラルという作品があります。

基本的には推理マンガとなっているのですが、登場人物みんなにどこか影があって、そこが読者をひきつけます。

何より、物語の構成がよくできていて、特に単行本の最終巻に収録されるクライマックスに向かう大どんでん返しは凄いです。

(個人的にお気に入りの理由は、その後の最終話ですが)

 

このクライマックスでは、最後の敵が主人公の心を折るために、一度与えた希望を奪うということをやってのけます。

人に心を開かない孤独な主人公。

そんな主人公のそばにいて第1話からアシストをしていたヒロインに少しずつ心を開いていきます。

そしていよいよ最後の敵と対峙するのですが、その時にその唯一心を開いたヒロインが、敵の仕込身だったことがわかる。

 

この遣る瀬無い展開を見た時に背筋がゾクっとしたのを覚えています。

 

発狂のさせ方と絶望のつくり方

監禁された場所から脱出するために犠牲を払って頑張ったのに、外に出て見たらそこはまた別の監禁ステージだった。

自分の敵を倒すために心を殺して的に使えていたのにいざ敵を打つ場面でその事が全て見透かされていた。

 

絶望を描くシーンは数多くありますが、実際に僕たちが絶望を感じる状況を言語化するとしたら、それまであった希望が奪い去られた瞬間ではないかというのが僕の持論だったりします。

ドストエフスキーの『死の家の記録』の中に出てくる終わりの無い無意味な労働という拷問は確かに怖いですが、それでも初めから希望が無いので発狂こそすれ絶望はしません。

初めに期待という振れ幅があって、そこから転落するときこそ、人は絶望を抱くと思うのです。

 

そういう観点から見たとき、GoToトラベルの見直しは飲食店や旅行業界にとっては結構精神的に堪える決定だなあと思いました。

僕はもともとGoToキャンペーンは「飲食店や観光産業を救う目的」で実施されたのではなく、「旅行サイトやレストラン検索サイトを運営する会社を救う目的」で実施されたイベントであってそれが良いか悪いかで言えば否定的なスタンスだった(最大限活用はしましたが)のですが、それでも飲食店や観光産業に携わる人にとっては1つの希望になるのだろうなと思っていました。

 

実際に1泊2日で沖縄に行ったとき、10件近く食べ歩いてその全ての店でお店の人と話して色々聞いてみたのですが、どこもコロナでの売り上げ減のしんどさと、GoToで多少は...というお話をしてくれました。

もちろん依然苦しい状況には変わらないようでしたが、それでも少しは希望になっていたという印象です。

 

政策における最悪手は与えた希望を奪うこと

基本的に僕は政治に興味がない(政治を語ることに興味がない)ですし、「べき論」よりも合理的であるかどうか、仕組みが優れているかどうかに興味が惹かれるため、いわゆる「それは国民を苦しめる政策だ」とか「それは特定の人に利益を誘導するための政策だからけしからん」みたいな感情を抱くことはありません。

そこに政党内の権力図だろうが、業界からの圧力だろうが、それが決定したプロセスの想像がつけばなるほどと納得してそれ以上に感情が動くことはありません。

 

ただ、そんな僕でもこれはあまり良くないのでは?と思うことがあります。

それが一度見せた希望を奪うという選択。

初めから厳しい状態であったり、悪い政策であれば、胆力のある人なら歯を食いしばって耐えようというモードに入るので、結構乗り切ることができたりします。

でも、一度期待がちらついて気を緩ませてしまうと、その期待が無くなった時に再びグッと歯を食いしばって構えるのには相当なエネルギーが必要です。

人は一度緩めた気を瞬時に再び引き締められるほど強くはできていないように思うのです。

 

人は希望がないときではなく、与えられた希望が奪われた時に絶望する

初めから希望が無い先にあるのは発狂だけど、あった希望が奪われた時には絶望する。

先にも書きましたが、僕は絶望の仕組みをこのように思っています。

その意味でいけばGoToキャンペーンが見直しになるというのは、結構多くの飲食店や観光産業に関わる人に絶望を与えるんじゃないかなと。

 

もちろん、感染拡大でそんなことを言っている場合ではないだろという意見もあると思います。

ただ、あくまで僕が今回興味を持ったのは「期待が奪われることが与える社会への影響」の部分。

他の簡単に対する考えは一切述べるつもりも述べたつもりもありません。

ただ一点、「与えられた希望が奪われる」という事象は数ヶ月後に結構大きな影響を伴って社会に表出するのではと思ったらしたわけです。

 

僕自身コロナによってそれほど悲観的になったわけではありませんが、一歩引いた視点で見ていたときに、エグい決定だなと思ったので、備忘録としてブログに書き留めておきたいと思います。

 

アイキャッチはスパイラル

本当に最終巻がすごいです。

 

 

面白さの3階層〜サークルの「おもろいヤツ」が社会に出るとクソおもんない理由〜

「あの人は面白い」

周囲からこんな評価を得ている人が多くいます。

大抵そのことは自覚していて、仲間内で集まるとその人が話を落とし、ドカンと笑いが起きる。

その人がいるだけで明らかに空気が良くなる。

間違えなくそういう「面白さ」があって、それは周囲も自分自身も自覚している。

 

そんな人が就職活動になったり、あるいは社会に出た途端にそれまでの「面白い人」という評価をされなくなってしまう。

特にその人が面白い!お近づきになりたい!あるいは長く取引相手として仲良くさせてもらいたい!と思う人から「面白い」と言ってもらえない。

んな経験をしたことがある人、あるいは周囲にこういう状況の人がいませんか?

 

最近立て続けにこのタイプの人と出会って、話を聞いていていくつか僕の中で仮説ができたので、今回はそのお話をしたいと思います。

 

 

あなたの「面白い」はどの階層?「サークルノリ」が通用しない理由

ひとくちに「面白い」と言っても致しているものがまるで違うことがあります。

ステージが変わった途端に「面白い」という評価を得られなくなったと感じる人は、この面白さの階層がズレているのではないかというのが僕の仮説。

 

「面白さ」について、僕は次の3階層に分けて考えたいます。

1階層 話(話し方)が面白い

2階層 物の見方・考え方が面白い

3階層 生き様が面白い

 

上の3階層でいうと、大学のサークルや地元のツレといった、いわゆる身内ノリの盛り上がりを担保するのは1階層の話(話し方)が面白い人です。

このタイプは身近な出来事を面白おかしく編集して話したり、身内の文脈でウケる小ボケ、ちょっとしたイジリみたいなものが非常に上手く、仲間で盛り上がるときに重宝されます。

いわば最高の潤滑油。

こうした面白さは身内でいるときに非常に大きな効果を発揮します。

 

しかし、身内で大きな効果を発揮する反面、文脈を共有しない人とのコミュニケーションにおいては1階層の面白さは十分に効果を発揮しません。

初対面や年齢や境遇が離れた人とのコミュニケーションにおいては共有する文脈を探るところ、あるいは共有しているわずかな文脈の中で盛り上がる必要があるからです。

このときに必要になる面白さが第2階層の物の見方・考え方の面白さや第3階層の生き様の面白さなのです。

 

初対面の場を盛り上げる「見方・考え方」の面白さ

初対面や共有するバックグラウンドが少ない人とでも話が盛り上がるためには、どんな話題に関しても「自分なりの面白がり方」や「らしさが乗っかる見解」が必要になります。

ここで役に立つのが、自分なりの物の見方や考え方です。

少し特殊な(おかしいという意味ではありません)、自分なりの考え方や感じ方を持っていると、初めて聞いたことにも「それは僕はこう思う」というように、話を返して一緒に盛り上がることができます。

このレイヤーで面白いと思って貰えるのが第2階層の「物の見方・考え方が面白い」人たちです。

就職活動で無双状態の学生さんや居酒屋で場を盛り上げている人、会社で結果を出している優秀な人などは大体このタイプ。

身内ノリので盛り上げるのと、初対面でも盛り上げられるのとでは、かなり文脈が違うわけです。

 

外部の人も巻き込んでしまう「生き様型」の面白さ

第1階層と第2階層の違いで、社会に出た途端に面白いという評価を得られなくなる現象についての説明はできましたが、中にはもう1階層深い部分で「面白い!」と思われる人がいます。

それが第3階層の「生き様が面白い」と思われている人です。

 

この階層にいるのは、起業家の人や突飛な行動で注目を集めるタイプの人たち。

YouTuberでいうと、アマゾンの民族に潜入ロケをしていたナスDさんとかです(笑)

あそこまでぶっ飛んでいる必要はないのですが、その人の行動の一挙手一投足が面白い、そんなタイプの人がここに属します。

 

第3階層の生き様としての面白さを持つ人は、目の前を盛り上げるばかりでなく外部から人を巻き込みます。

からしばしばカリスマという評価を受けがち。

この面白さを持っていると、知らず知らずのうちに人が集まってきて、第2階層とはまた違う面白さを提供できるようになります。

 

面白さをアップグレードする

というわけで、歳を重ねるにつれ「面白い」という評価をしてもらえなくなったと悩む人は、決して自分のセンスや能力が枯れてきたというわけではありません。

ただただ、それまでの「面白い」というレイヤーでは通用しなくなっただけ。

その証拠に久しぶりに大学や地元の友達と会った時は今も相変わらず面白いと思われるでしょうし、同窓会ではヒーローでしょう。

(だからこそ、「昔は良かった」とか「やっぱり気心知れた仲間がだいじ」とか思うわけです)

このタイプの悩みを持つ人に必要なのは、才能の再発見ではなく面白さのアップグレードです。

そもそも第1階層で面白いと評価されてた人であれば、絶対に第2階層や第3階層の面白さも同程度にあることができます。

話術としての面白さから、見方・考え方の面白さ、そして生き様としとの面白さへとバージョンアップしていく。

それを意識しておくことが再び面白い人評価を得る、自分がお近づきになりたい凄い人に面白いと思ってもらうための効果的な方法であるように思います。

 

アイキャッチは生き様の面白さを体現している談志さんの本

 

 

 

細長く続けるという戦い方

僕の飲み友達で同業でもある友人が半年くらい前に始めた「世界征服クッキング」という企画。

(ツイッターハッシュタグ「#世界征服クッキング」で調べてみてください)

個人的にこの企画やハッシュタグがむちゃくちゃ気に入っています。

というのも、この企画自体は誰でも思いつくし、誰にでもできるありふれたものだけれど、続けるだけで大きな独自性を帯びた価値になると思うからです。

 

物量を武器にするみうらじゅん的戦い方

僕が大好きな人のひとりに、みうらじゅんさんがいます。

彼はゆるキャラという考えの生みの親。

みうらじゅんさんはそれ以外に、もらって絶妙に嬉しくない地方のお土産を「いやげもの」と名付けてみたり、外を歩いていてふと目にする看板や広告の組み合わせで般若心経を完成させる「アウトドア般若心経」なるものを作ったりしています。

僕はこの、みうらじゅんさんがよくやる「単体では価値は弱いけれど集めると大きな武器になる」という戦い方が大好きだったりします。

 

時間を差別化要因にするという考え方

昔、2ちゃんねるの解説者である西村博之さんが、自身の掲示板の成功要因を聞かれた時、「他が辞めていくなかで自分だけがやめなかったから」というお話をしていました。

僕は差別化という観点からこの視点がすごく重要だなあと思っています。

仮にスタート地点では数多のライバルがいたとしても、他がやめていく中で自分だけが続けていれば、やがて自分ひとりの勝ちの場になる。

ただ続けるということが差別化要因になることもあるわけです。

 

細長い戦い方

僕は何かを始める時、みうらじゅんさん的な物量で差別化を図るやり方と、西村博之さん的なただ続けることで差別化を図るやり方を組み合わせるというのをむちゃくちゃ意識しています。

ひとつひとつはつまらないものだけれど集まれば大きな価値になり得るものを、時間をかけてじっくりと続ける。

僕はこの戦略を「細長い戦い方」と呼んでいます。

 

競合のSWAT分析や市場調査により最適解を見つければ、短期的な勝ちを獲得することは容易です。

でも、そういう戦略により勝ち取ったポジションは、同じく戦略によって容易に奪われると思うのです。

それに対して、物量がなければどうしようもならないみうらじゅんさん的な価値の作り方や、時間をかけなければどうにもならない西村博之さん的な価値の作り方は、結果が生まれるには膨大なコストと時間がかかりますが、一度そのポジションを取ってしまえば早々に逆転されることはありません。

極端な話、今さら日本中のゆるキャラを集めたとしても、「日本中のマスコットキャラを集めてゆるキャラとしてカテゴライズした」というブランドはずっとみうらじゅんさんのものです。

あるいは西村博之さん的な時間を味方につける戦い方であれば、奈良の大仏と同じ規模の建造物を作って勝負したって、あちらは「千年以上残っている」という価値があり、それは今建てた建造物では絶対に巻き返すことができないわけです。

 

長期的勝ちを獲得するための細長い戦略

仕事をしている人であれば、もちろん目の前の目標に対して価値提供をすることが必須だと思います。

しかし、短期的な価値に視野を奪われると、先にあげたような「短期的にはマイナスしかないけれど、長期的に大きな武器になる」チャンスに盲目的になってしまうように思うのです。

長期的な勝ちを得たいのであれば、目の前の目標を達成する戦略とともに、長期的な勝ちを取りに行く「細長い戦略」も必要だよなあと。

 

冒頭で取り上げた世界征服クッキングは、僕の中で細長い戦略の典型です。

多分、100カ国超えたあたりから意外な広がりを見せる。

そこに行くには時間も量もかかります。

でも、だからこそおもろいコンテンツになり得るきがするのです。

 

仕事で結果を出さねばとおもうしとほど思う人ほどついつい忘れがちなこの思考。

行き詰まっているという人がいたら、ぜひこの「細長い戦略」を意識してみてください。

 

アイキャッチみうらじゅんさんの「ない仕事の作り方」

 

「ない仕事」の作り方

「ない仕事」の作り方

  • 作者:みうら じゅん
  • 発売日: 2015/11/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

わかるようで絶妙に分からない世界のことわざ

逃げるは恥だが役に立つ

最近、世界のことわざにはまっています。

その土地ならではの意味合いがあって面白いなあと。

僕の大好きなマンガのひとつである、「逃げるは恥だが役に立つ」はもともとハンガリーのことわざ。

このあたりは確かになあと納得する部分も多いことわざなのですが、中にはそれは何が言いたいんだ?というものがあり、とても面白いのです。

ことわざの中にはその土地の人が生活の中で見出した生活の知恵や生き抜くコツ、暮らしを通して得られた教訓みたいなものが元になっているものが多いと思うのですが、なるほど!と思うものも数多く存在する一方で中には文化が違うから全く理解できないものがあります。

それがむちゃくちゃ面白いわけです。

 

なるほど!と思わず納得することわざ

というわけで、僕のお気に入りのことわざをいくつか並べてみたいと思います。

 

「鳥が鳴くと人々は意味を語り出す」

これはアフリカのアンゴラに住むオヴィンブンド人のことわざだそう。

ある事象を見たときに、僕たちはついつい自分の解釈をさも真実であるかのように語り方です。

とくにSNSの世界ではそういう光景に出会いがち。

このことわざは、そんな僕たちをうまく言い表しているような気がして、僕はとても好きだったりします。

 

「約束は雲、実行は雨。」

こちらはアラビア語にあることわざ。

口で言うのは簡単だけど、実行するのは難しいよねという意味だそうです。

なんとなくこの言葉の意味は分かりますが、アラビア語を用いる地域の人にとっての雨の希少さを考えると、その言葉の重みが感じられてとても深みのある言葉だなあと思います。

 

「早起きしても夜明けは来ない」

こちらはアルゼンチンのもの。

日本のことわざで言えば「果報は寝て待て」に近いと思うのですが、アルゼンチンではそれを朝日で表現するというのが印象的でした。

「早起きは三文の得」ということわざに見られるように、日本ではいいことというイメージの強い「早起き」。

それが南米のアルゼンチンでは急いだって仕方がないという意味で用いられているところに文化の違いが反映されているように思います。

 

どういう意味!?よく分からない世界のことわざ

なるほど!と思うことわざが数多く存在する一方で、それどういうこと?と思ってしまうような面白いことわざも多く存在します。

こちらも僕のお気に入りをいくつか紹介します。

 

「氏はシンハラ、行いはイギリス」

こちらはスリランカのことわざです。

新しいものばかりを取り入れて古いものを軽んじるという、温故知新のエピソードに出てくる「思ひて学ばざれば則ち殆し」的な意味だと思います。

まあ分かるっちゃ分かるのですが、僕たちには馴染みがなさすぎて、まず頭には「?」が浮かんできます。

 

「誰かにかぼちゃをあげる」

スペインのことわざで「告白を断る」みたいな意味なのだそうですが、こちらに関しては僕たちには意味がわかりません。

なんでもかつてのカタルーニャ地方では男性が女性の家に結婚の許可を貰いに行ったときに、両親からタバコの火を貰えれば結婚が叶い、かぼちゃを出されたら拒否された合図だったとのこと(諸説あるのでこれが起源かはわかりません)

理由を知れば納得できますが、背景が違いすぎていきなり使われたら混乱してしまいそうです。

 

「シロアリはその気になっても石を噛み砕けない」

こちらはナイジェリアのことわざ。

もちろん、なんとなく意味は分かりそうですが、初めて聴くとシロアリ!?石!?みたいなインパクトで肝心の伝えたい内容まで入って来ないような気がします。

 

ことわざで文化を相対化する

いろいろなことわざを見て、その成り立ちを追いかけると、その土地ごとの文化が分かるのと同時に、自分たちの文化の特異性に思いを馳せることもできる気になります。

たぶん僕がことわざにはまっているのはこの部分が最大の理由。

ついつい僕たちは自分の常識が当然と思いがちですが、それらは地域の特色や暮らしという前提があって初めて成立するものです。

そんなの考えてみれば当たり前のことも、ついつい普通に生活していると忘れてしまいます。

世界のことわざを見ているとそんな当たり前を再認識できる気がして、そこが面白いなあと思うのです。

みなさんもよかったらことわざを調べて見てください(笑)

 

アイキャッチは逃げ恥