赤本に全訳が載っていないので、全訳を作ってみました。
内容の背景を捉えることを第一目標としているので、直訳とは若干異なるところがありますが、ご了承下さい。
順次赤本に全訳が載っていない古典の文章の訳をアップしていこうと思います。
※因みに過去問は東進の大学入試問題過去問データベース から入手可能です
新古今に載せる和歌の分類も終わり、この4月に編纂が終わったことを祝う宴会を行った。あまりに待ち遠しく、まず清書にする前の段階で会を開いた。去年の10月の頃より、和歌どころに寄人などの職員を集めて、8時頃から日が暮れるまで作業をして、手は疲れ、ある者は和歌を書き、またある者は和歌に適宜修正を加え、気を抜く暇もなかった。全ての和歌においてこの選定をする様子は、本当に毛を吹き分けて小さな傷を探し出すかのような厳正なものだった。五人の和歌の選者がそれぞれ歌を選んだあと、それらにことごとく目を通して、気になる点は批評や添削を加え、左近将監が清書を書き出したあと、それを再びご覧になって、三度も書き直しを行った。選定の際はほんとうに身分の高さや賢さなどに関わらず、ただ歌としての素晴らしさのみを優先した。一般の人々から山寺の法師まで、和歌の道に優れたものであれば、自然とそこに漏れるものはひとつもなかっただろう。先の5人の選者は、まずそれぞれで和歌に対する評価を書き出したものを持ち寄ってひとつに纏め上げたため、選定の幅が狭くなるということはなかった。
全部で二千首にも及ぶものを、それぞれが何度も繰り返し調べ上げていたものであるから、選者の誰もがこれらの歌に作者が込めた心を理解し、類まれなほどに、これらの歌を覚えなさっていた。とはいえ、私はまさかそれほどとまでは思わなかった。後鳥羽院は私に向かって「試してみろ」とおっしゃって、編集したものを2,3巻手にとって渡し、「上の句を読め。それの下の句をみな私が言ってみせよう」と言って一巻を引き隠した。上の句を私が読むと、後鳥羽院は対応する下の句を一つとして漏れることなく読み上げなさった。たしかにこれは道理なことでもありました。後鳥羽院は仮にぱっと2,3度しか見ていないことでさえ、決してお忘れにはなりません。まして何度も丁寧に良し悪しを判断したものが、どうして後鳥羽院が忘れますでしょうか。
新古今に関しては、今までには例の無いような選集でありましたので、そこに掲載されるにふさわしい思われる歌詠みたちがの評判が漏れ聞こえ、思い思いに縁を辿って、時には気に入った相手に自らが歌を詠み添えて和歌を載せたいという旨の申し文を書き方々に申し入れをするその様は、雨脚よりも多いほどでした。後鳥羽院は和歌の編纂に関わっている間、あらゆる政を差し置いて、この和歌集のことのみに打ち込んでおられました。職事も院司も「お暇が増えたことだなあ」と言い合っていました。ある職事が、ちょっとしたことのうえ急用でもないものを繰り返し後鳥羽院に掛け合ったときには、不愉快な様子で、「今はそのようなことは耳に入らない。新古今の編算が終わってから聞こう」とおっしゃられたのだとか。それほどまでに風流の世界に没頭する後鳥羽院の姿は、本当に素晴らしいものであると感じ私は快くその言葉を理解しました。院のうわさに関しては、ちょっとしたことも耳に残り、私の心を動かさないことはありません。
さて、新古今の編集も終わりに差し掛かると、寄人たちは各々名残惜しくなり、年齢を問わずに歌の詠み合いなどをしまして、それらを一つにまとめることもありました。勝ち負けの判定は天皇が自らなさることもありました。家隆の朝臣が「濡れてや鹿の」と詠んだときは、そのままこの和歌集入ったほどです。この勅撰和歌集では、和歌の修辞上の欠点があるものでも、選定から外されることはありませんでした。ただ、歌としての良さのみを優先して選ばれております。これが、(歌として良くても修辞上埋もれてしまった可能性のある)昔の和歌までも調べ上げた理由であったのです。
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