基本的に同じアーティストはあまり繰り返さないと決めているのですが、ポルノグラフィティは昔からファンだったこともあり、以前取り上げた(「ハネウマライダー」考察〜20代後半でもう一度聴きたい、ハネウマライダーの人生論 - 新・薄口コラム)で満足できず、もう一本書いてしまいました。
僕がハネウマライダーと並んでポルノの楽曲のなかで好きな作品がアゲハ蝶です。
この作品のメインテーマといえる「蝶」。
僕はアゲハ蝶で歌われる「蝶」は、夢や才能、そして憧れの世界といったもののメタファーとして描かれていると考えています。
昔は好きな人を追いかける物語くらいに考えていたのですが、どうしてもそれでは内容に説明がつかないんですよね。
サビから始まるこの曲では、<ヒラリヒラリと舞い遊ぶように姿見せたアゲハ蝶>というように、不意にアゲハ蝶が登場します。
そして、主人公はその蝶に魅せられて、どこまでも追いかけていってしまうのです。
もちろんこれを、「急に現れた大好きな人」として捉えることもできなくはないのですが、そうすると所々で矛盾が生じます。
それが蝶=才能と考えると、途端に内容が繋がるのです。
1番のAメロでは主人公が旅人にどこに行くのかと尋ねるシーンが描かれます。
そして、その詩人が自分自身であったことに気づく。
歌の流れから、旅人が追いかけているものは蝶であると考えて間違えないでしょう。
<旅人に尋ねてみた どこまで行くのか いつになれば終えるのかと 旅人は答えた 終わりなどはないさ 終わらせることはできるけど>
蝶を追い掛ける旅人に、どこまで行くのかと尋ねると旅人はこう答えます。
蝶を夢や才能のメタファーであると考えると、「終わらせることはできる」というのは、あきらめるまでは夢を追い続けると解釈することができます。
<そう・・ じゃあお気をつけてと 見送ったのはずっと前で ここに未だ還らない 彼が僕自身だと気付いたのは今更になってだった>
Bメロの歌詞を見て、蝶を追い掛ける旅人の正体が自分であったことが分かります。
そして、はるか前に蝶を追い掛け始めた自分自身が未だそれを求めて帰ってこないということ気づくわけです。
この時点で、夢や才能に憧れてその世界に足を踏み入れた自分自身が、引き返すこともできず、未だそれを追いかけているということが分かります。
それを踏まえて、次の1番の歌詞に続きます。
<あなたに逢えたそれだけでよかった 世界に光が満ちた 夢で逢えるだけでよかったのに 愛されたいと願ってしまった 世界が表情を変えた 世の果てでは空と海が混じる>
僕がアゲハ蝶の中で1番好きな歌詞がこの部分です。
ずっと「好きな人に対して片想いのままでよかった」といっているのだと思っていたのですが、それだとどうしても「世界が表情を変えた」の説明がつかないんですよね。
これを、才能や夢と解釈するとうまく繋がります。
この歌詞の作者の晴一さんにとっての夢や才能に憧れる対象は音楽と考えて間違えないでしょう。
とすると、<あなたに逢えたそれだけでよかった>というのは、ロックに出会えたということになります。
ロックに出会うことで世界がまるで違うように見えたというのが前半の内容。
<夢で会えるだけでよかったのに>というのは、自分もそうなりたいなと漠然と思い、友達とバンドをしている少年時代のようなものだと思います。
それが、<愛されたいと願ってしまった>途端に<世界が表情を変え>るのです。
趣味でバンドをやっていた時は全てが輝いて見えたのだけれど、その音楽に<愛されたい>と思う、つまり本格的にその道に進もうとしたら、急に輝いていた世界が表情を変える訳です。
自分の才能を信じ、音楽の世界へと飛び込んだら、急にその道の険しさに気づく。
このサビで夢に憧れてその世界に足を踏み入れたが故に、その道の険しさを知り、それに絶望する主人公の心境が書かれています。
2番のAメロで、私の書いた歌詞があなたに届いて欲しいという歌詞が出てきます。
二人称でかかれるあなたは「蝶」のことでいいでしょう。
そして、蝶は自分が憧れる世界(晴一さんの場合はロックスターの仲間入りをすること?)のことです。
自分が書いた歌詞や歌が憧れの世界に届く、つまり自分の才能が認められることを願うのがこのAメロの意味だと思います。
そして、2番のBメロでは、自分の現状を戯曲にたとえて、先に進むことはできないけれど、今更戻ることもできず、どこに行けばいいのか分からなくなっている主人公の気持ちが述べられ、2番のサビに入ります。
<あなたが望むのなら この身などいつでも差し出していい>
2番のサビでこう書かれているのは、憧れの世界に行くためなら、自分はどんなこともするという気持ちだと解釈できます。
(因みにそれだけ夢を一心不乱に追いかけていた自分のことを、ハネウマライダーではハンドルもブレーキもないオンボロのバイクとして表現されています。)
どんなことでもするから、あなたの心の隅において欲しいと歌詞は続くのですが、これは僅かでもいいから憧れの世界に自分も入りたいと考えることができるでしょう(やや強引ですが...)
そして最後、1番のサビを繰り返した後に転調をして<荒野に咲いたアゲハ蝶 ゆらぐその景色の向こう 近づくことのできないオアシス>と続きます。
アゲハ蝶が自分の夢や才能、オアシスが夢のかなった世界と考えるとここの部分は意味が通ります。
夢や才能を追いかけてきたらその先に自分の行きたい夢の叶った世界が見えているのだけれど、どうしてもそこには手が届かない。
だから<近づくことのできないオアシス>なのだと思います。
この歌詞の段階で、主人公の旅人はひたすら蝶を追いかけているだけで、決して蝶を捕まえることができてません。
これは、才能を信じてずっと夢を追いかけているのに、未だそれが自分には手に入っていないということだと思うのです。
だから、オアシスにはどうしてもたどり着けない。
<冷たい水をください できたら愛してください 僕の肩で羽を休めておくれ>
上の解釈を踏まえて、最後の歌詞を見て行きます。
荒野をさまよう旅人にとって水を恵んでくれる存在は自分に気をかけてくれる存在です。
気にかけてくれるだけでいいと言った直後に、できたら愛して欲しいと言うこの場面は非常にグッとくるものがあります。
冷たい水も才能のメタファーとして考えると、一瞬でいいから才能がふってきて欲しいと捉えることができます。
そして、できるならそんな才能に愛されたいと願い、最後のフレーズ<僕の肩で羽を休めておくれ>となるのです。
羽を休めるのはもちろんアゲハ蝶でしょう。
アゲハ蝶には才能がメタファーとして込められているので、自分の肩に止まって欲しいというのは、自分に才能が欲しいということと解釈できます。
才能がないとオアシスにたどり着けないことは分かっているのだけれど、そのために蝶をどれだけ追いかけても手に入らない。
だから未だ旅人は還ってくることはできず、舞台にひとりで立っているだけなんですよね。
この歌は恋愛の歌ではなく、才能に焦がれ追い求める、1人のアーティスト(を夢見る男)の気持ちをストレートに書いたものであるというのが僕の解釈です。
ロックスターや小説家に憧れてその世界に入ったはいいけれど、そこで初めて自分と夢見る世界の間にある距離を知って絶望する。
たぶん、何かを目指したことがある人は誰もが経験したことのある感情だと思います。
そんな複雑な感情が蝶というメタファーで巧みに隠されながらラテンのリズムに乗せて歌われるため、僕たちは何と無くこの歌から哀愁のようなものを感じ惹きつけられる。
アゲハ蝶の魅力はこういったところにあるように思います。
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